あの日、桜のキミに恋をした
先輩の家は私とは反対の方向だった。


見た感じは本当に普通の一軒家。


忙しい時や出産後のお母さんがいる時は、先輩のお母さんもここに泊まるけれど、一応自宅はこことは別にあるらしい。


表のポストには〝桜の風助産院〟という木のプレートが吊り下がっていた。


「ただいま〜」 


「お、お邪魔します……」


先輩が鍵で玄関を開けるとパタパタとスリッパの音が聞こえて来て、私のお母さんより少し年上くらいの優しそうな女性が出迎えてくれた。


「あら〜いらっしゃい!あなたが由奈ちゃんよね!遠かったでしょ?どうぞ上がって〜!」


色んな掲示物や写真が貼ってある廊下を抜けると広々としたリビングダイニングと畳の和室があった。


久しぶりにおばあちゃんの家に遊びに来たような、そんな感覚だ。


先輩はお母さんから言われて庭の手入れに行ってしまい、リビングにはお母さんと私の2人きり。


麦茶を持って来てくれて、私たちはローテーブルを挟んで向かい合わせに座った。


「若い子は助産院なんてあまり聞いたことないでしょう?だから興味持ってる子がいるって潤から聞いて舞い上がっちゃったの!」


私がいつも見ている助産師さんは、スクラブを着て忙しそうに次々と私たち患者の対応をしている。


こんな風に向かい合ってお茶を啜りながらゆっくり会話したことなんてもちろんなかった。


だからそれと比べると、先輩のお母さんは医療職者というより〝みんなのお母さん〟というイメージが強い。


「本当はね、別に妊娠とか出産に限らず由奈ちゃんみたいな若い子から年配の方まで気軽に立ち寄って体とか体調のこととか、色々相談できるような場所でありたいんだけどね……なかなかこれが難しくって。何か悩みごととかなーい?恋愛とかでもなんでもいいのよ?」


結局明言はしなかったけど、私が妊娠していることは先輩も分かっているし、先輩のお母さんも知っているはずで。


今はきっと知らないフリをしてくれているだけだ。


悩み事なんて星の数ほどある。


これからお腹が大きくなってきたらいい加減学校にも伝えなきゃいけないだろうし、体育とか普通にやって大丈夫なのか、夏休み明けの修学旅行は行っていいのかとか、産むまでのことも産まれてからのことも、分からないことだらけだ。


でもそれ以前にずっと引っかかっているのが「私なんかが子供を産んでいいのか?」ということ。


正直誰にも祝福されなかったし、むしろ周りの人を困らせ、悲しませている気がする。


産むとは決めた。


でも産んでいいのかという迷いは心の中にずっとある。


こんなことを会ったばかりの人に話されても困るかもしれないけれど、先輩のお母さんは親身になって聞いてくれるような気がしたから、私は思い切って胸の内を吐露することにした。


「ご存知かもしれないんですけど、私妊娠してるんです……産むって決めたし、親も一応それに納得はしてくれたんですけど、なかなか手放しに喜ぶ雰囲気ではなくて……やっぱり高校生の私には子育てとか無理なのかなとか思うと、段々自信もなくなってきて。嬉しい反面、どうしてこんなことになったんだろうって後悔してる自分もいるから、こんなの母親失格ですよね……?」


先輩のお母さんは「そんなことない」と言うように首を横に振った。


「そうだったのね……きっと今日まで由奈ちゃんも、周りの人たちも色んなことを感じて考えて大変だったと思う。確かに手放しで喜べないっていうのも私は分かる。でもね、助産師として1つだけ言わせてほしいの」


先輩のお母さんは立ち上がって私の方へ来た。


そして手を握りながらひと言。


「由奈ちゃん、おめでとう」


その言葉を聞いた瞬間、涙が零れ落ちた。


初めて〝おめでとう〟という言葉をかけてもらえて嬉しかったのか、安心したのか。


それから私は涙が止まらなくなって、久しぶりに子どもみたいに声を上げて泣いた。


その間、先輩のお母さんはずっと背中をトントンとしながら私のことを抱きしめてくれた。
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