冷徹ホテル王の最上愛 ~天涯孤独だったのに一途な恋情で娶られました~
——本当は、彼の優しさが義務感からくるものではないとわかっている。

彼と彼の両親は日奈子を本当の家族のように大切に思ってくれている。それを素直に受け入れられたなら、どんなにかいいだろう。
 
……できないのは、日奈子が彼に兄以上の思いを抱いてしまっているからだ。

「こんなの、屋敷を出た意味がないじゃない」
 
遠ざかっていくテールランプを見つめながら日奈子はぽつりと呟いた。
 
彼との距離を取るために九条家を出てひとり暮らしを始めたのに、これではまったく意味がない。
 
ため息をついてカーテンを閉じ、振り返る。チェストの上には亡き母の写真が飾られている。
 
母が亡くなったのは日奈子が大学四年生の春。ホテル九条に就職が決まってすぐだった。

体調に異変を感じて病院を受診した時はすでに手遅れの状態で、その後半年で亡くなった。あっという間のことだった。
 
日奈子がホテル九条への就職を決め、これで親子そろって九条家への恩返しができると喜んでもらえたことが唯一の救いだった。
 
日奈子はチェストに歩み寄り、写真の前に置いてある青いノートを手に取った。

中には、母の手書きでたくさんの言葉がびっしりと書かれている。死期を悟った母が、日奈子のために遺した言葉である。
 
ほとんどがたわいもないことだ。
 
どんなに忙しくとも朝食は必ず食べること、夜はシャワーではなく湯を溜めて浸かること。

よく作ってくれた料理のレシピや日奈子の体調が崩れたときの見分け方など、普段の生活の中で母が小言のように日奈子に言っていたことである。
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