冷徹ホテル王の最上愛 ~天涯孤独だったのに一途な恋情で娶られました~
九条夫妻との会話で母の話題が出る時も、友人とのやり取りで家族の話が出た時も、感情を凍らせてただ曖昧に微笑むようにしていた。ありし日の母のことを思い出して、心を乱されるのが怖かったから。
 
それなのに、こんな風に自分から懐かしく母の話をするなんて。
 
きっとそれは今日一日、いろいろなことを感じながら過ごしたからだ。
 
面白そうなことに心動かされ、夢中になって取り組んだ。空腹を感じて食事を楽しんだ。

だからこんな風に、母のことを自然と口にできたのだ。
 
——だけど。

「宗くん、私、わからないの……!」
 
広い胸に顔を埋めて流れる涙をそのままに、日奈子は彼に訴えた。

「こんな風に、楽しいことをしていいのかな? 美味しい物を食べていいのかな? お母さんはいないのに、お母さんはもうどこにもいないのに……!」
 
母が亡くなって、ずっと凍らせて、閉じ込めていた感情が、溶け出して爆発してしまったようだった。

唐突にこんなことを言い出して、困らせてしまうことはわかっている。でも止められなかった。

「お母さんにはできないのに、私だけ、私だけ……!」
 
自分を抱く宗一郎の腕に力が込もる。

「日奈子が楽しいことをして美味しいものを食べるのを、万里子さんは望んでいる」

「だけどそしたら、お母さんは私から離れていっちゃう。本当にいなくなってしまう気がして……!」
 
いっぱい笑って、楽しんで、それは生きているからこそできることで、母にはもうできない。

それなのに日奈子だけそれをしたら本当に母は消えてしまう。
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