鬼社長の迸る視線に今夜も甘く絆される
恋愛に関しては奥手すぎる伊織。
恋愛よりも仕事、仕事よりも生きることに重きを置いて来たつけが今頃現れている。
栞那もまた、恋愛よりも仕事を優先して来たため、お互いに恋愛において積極性に欠ける。
「三井はさ、今の仕事を辞めたいと思ったことはないのか?」
「そうですね。正直に申し上げますと、ないとは言えません。ですが、辞めたとしても、恐らく安堵よりも後悔の方が募るでしょうね」
「……」
「秘書という職種云々ではなく、久宝 伊織という人物を一番近くで見続けたいという願望の方が大きいです。デザイナーとしてだけではなく、経営者としても一人の人間としても。完璧でない部分をフォローできるのは、私だけだと思っておりますから」
「フッ、……俺は男に好かれる趣味はないぞ」
「私の一方的な片想いです」
ルームミラー越しに視線が絡む二人。
長年傍にいることで分かり合える部分は多い。
伊織はジャケットのポケットからスマホを取り出し、栞那にメールを送る。
『今日は仕事が終わったら家に来て欲しい』と。
数日ぶりのコンタクト。
メールも電話もできるのに、仕事を理由に放置していた。
いや、違う。
声を聞いたら、メッセージを見たら、すぐにでも会いたくなってしまうからだ。
同じ社屋にいるという安心感が原動力でもあるが、危険因子でもある。
仕事に手が付かなくなりそうで。
仕事を投げ出して、彼女と逃避行したくなってしまいそうで。
押さえ込んでいた感情が、今にも堰を切って溢れ出す寸前なのは分かっている。
その一方的な感情をそのまま彼女にぶつけたくない。
数分後。
『二十一時過ぎになると思います』と返信が来た。
メッセージを見てくれたというだけで、こんなにも心が満たされるとは。