どうして君は今更、好きなんて言えない、あの夏の恋
第2話 嫌なヤツ
大丈夫。
彼と出会う前を思い出せばいい。
前は、LEINの既読なんて、たいして気にしてなかったじゃない。
中距離交際中の彼氏といつ休みが合うかを気にして、会える日ばかりを気にしてたじゃない。
だから、彼と出会う前を思い出せばいい。
でも、バイト先に行けばどうしたって思い出してしまう。
彼の行動、彼の声、彼が使っていたパソコン、彼の匂い。
もう思い出したくもないのに、今でも、涙が出そうになるんだよ。
「これくらいの距離が、お互いに一番いいんじゃないかな?」
あの時そういった、『これくらいのキョリ』ってどいうことなんだろう?
長さ的な距離?
気持ち的な距離?
会う頻度的な距離? 仕事ではなく、プライベートで。
今度会った時に聞いてみようかな。
って思ってたけど、本当に会えるのかな?
会いに行きたい。
ここでのバイトを始めて、初の週末を迎えた。
当時は夜シフトだけ入っていたので、土日の昼間がどれほど忙しいか知らなかった。
シフト表を見てみると、今回が初めて会う人ばかりだった。
職場に慣れるまでの緊張感は、本当に苦手だ。
誰だって始めは気を張るものだ、それでもフリーターでやっていくと決めた以上、自分を甘やかすのはイヤだった。
いつもの休憩室で、Tシャツの上から黒の甚平風な制服を着ていると、見知らぬ女の子が入ってきた。
一目で年下だと分かった。おそらく、十歳は年下。
「おはようございます」
と私が挨拶をすると、女の子も「おはようございます」と小さく挨拶してくれた。
声は小さかったが、恥ずかしそうな笑顔を向けてくれた。
背も小さくて、小柄だ。女の子らしい女の子、初々しい感じだった。
「私、伊崎です。まだ五日目なんです。よろしくお願いします」
苦笑い気味に私が軽く自己紹介すると、その子も名乗ってくれた。
「諸井です。よろしくお願いします」
またもや声が小さくて聞き逃しそうになった。
「変わった苗字ですねぇ、諸井さんは、もうどれぐらいなんですか?」
私が聞き返すと、諸井さんは「んーと」と小さくつぶやいた。
「先月の頭ぐらい、だと思います」
諸井さんはカバンからハンドタオルとペットボトルを取り出した。ハンドタオルはエプロンのポケットへ、そっとしまった。
私より一か月ほど早く、ここのバイトを始めたらしい。
十歳近く年下でも、先輩、先輩。
「そなんですか、あのー、若いですよね、いくつですか?」
思わず訊いてしまった。だって、余りにも若く見えたので気になった。
「十八です」
おお! やっぱり若い! しかも十歳近く年下。
「今年で十八?」
「いえ、今年、十九」
声は小さくて、照れ隠しみたいな感じだけど、言葉はハッキリしゃべろうという意思は感じられた。
とりあえず、よろしくお願いします。とお互いに二度目の挨拶をして、休憩室を出た。
休憩室は地下にある。
といっても、地中の中ではない。お店が斜面に立っているので、地元の町が見渡せる南向きに、下の部屋は作られている。
下の部屋の上に母屋が乗っかっている感じだ。
だから出勤してきたら、まず下へ降りて、バッグを置いて制服を着る。
昼シフとは十時(当時は十時、現在は九時)からなので、十分前になると、続々と見たことのないスタッフが出勤してきた。
彼は、誰よりも早く来て、下の洗い場でお米を洗っていた。
「おはようございます」と私が挨拶すると。
「おはよう」とちらっとお米から顔を上げて、挨拶をしたのは誰かを確認するためだろう。
正体が把握できたようで、直ぐにお米洗いに戻った。
私は彼に対して緊張が取れず、いつまでも話しかけ辛かった。
まだ右も左も分からないせいもあったかもしれないが、仕事ができないとか、覚えが悪いとか、トロイとか、思われたくなかったのかもしれない。
変なプライドで、さらに私を挙動不審にさせた。
その頑張りが後々、自分の首を絞めたようなものかもしれない。
店内やトイレ掃除が終わると、私も仕込みの手伝いをした。
漬物を小皿に盛り付けるからと、彼から漬物が入ったタッパーを冷蔵庫から出してと言われた。
人の身長より大きな冷蔵庫もあるが、漬物や小鉢の具があるのは人の半分ぐらいの高さの冷蔵庫だった。
確か漬物が入っているタッパーはこれだ!
と思って、自信を持って取り出して、蓋を開けたのは。
「間違えた!」
千切りされたネギだった。
あれ昨日はここらへんにあったのに、っていうか外から中身が見えないから分からないよ!
心の中でブツブツ文句を言いながら、私は慌ててタッパーの蓋を閉じた。
「それじゃあないよね、っていうか伊崎さんって時々そそっかしいよね、よく言われない?」
彼はあからさまに人をからかってきた。
初めからそうだった、最後まで私をからかい続けた。
その度に私もムキになって言い返した、軽くあしらえばいいのに、なぜか条件反射的にムキになっていた。
「言われませんよ! ちょっと間違えただけじゃないですか!」
「伊崎さんって、からかうとおもしろいねー」
油に水を掛けるようなことをするから、こっちはますますムキになった。
初日から妙に苦手な奴で、毎日のように人をイライラさせるもんだから、この人とは絶対に犬猿の仲だと、思わずにはいられなかった。
嫌いも、好きのうちなんて、今でも鼻で笑っちゃうよ。
この人とこれから仕事していくのかと思うと、ちょっと憂鬱になったけど、心のどこかで、彼に会える日々が嬉しくもあった。
閉店一時間前ぐらいになると、必ず彼は下へ降りていった。
何をしているのかと思いきや、伝票をパソコンに打ち込んで売り上げ集計をしていた。
その作業が当時の私は洗い物を手伝ってくれない彼にイライラした。
手伝えないのは、売り上げを入力していたからだと後々分かるわけなんだけど。
洗い物が終わって、お店を閉店すると、おとうさんに「おつかれさまです」と言って下に降りる。
すると彼はまだパソコンに向かって、何か熱心に打ち込みしていた。
「今日は売上十五万だったよ、みんなよく頑張った」
おお、なんか彼がハイテンションで喜ぶところ初めて見た!
私の足は、もう棒になって固まってたけど、顔が熱くなるぐらいに嬉しかった。
「私も頑張った! 今日は疲れたー」
「伊崎さんも頑張った!」
ほ、褒めてくれた! あの井坂さんが……
私もハイテンションになって、井坂さんの近くで膝を突いた。
「もう足の裏が痛いですよ」
「俺も足パンパン、今日はキツかったなぁ」
彼と一緒にいられることがこんなに嬉しいと、自覚した瞬間だった。
「じゃあ、帰ろうかな」
「おつかれさまー」
「お疲れ様でーす」
私は休憩室に彼を残して、出て行った。
その日、以降彼は、私が上での仕事が終わるころに売り上げの入力を終え、私が「じゃあ、帰ろうかなー」と支度を始めると、彼もさっさと帰り支度をした。
きっと溜まっている仕事があったんだと思う。
とにかくいつもパソコンで何かやっている人だった。
おとうさんは井坂さんと夜遅くまで、よく話しながら経営について話していたらしい。
そんな二人の姿を見たのは始めの一、二回で、後はよく私と一緒に店を出ていた。
そんなふうに思い返すと、まるで自意識過剰みたいなとらえ方だけど、一緒に店から出てくれるのが無性に嬉しかったんだよ。
彼と出会う前を思い出せばいい。
前は、LEINの既読なんて、たいして気にしてなかったじゃない。
中距離交際中の彼氏といつ休みが合うかを気にして、会える日ばかりを気にしてたじゃない。
だから、彼と出会う前を思い出せばいい。
でも、バイト先に行けばどうしたって思い出してしまう。
彼の行動、彼の声、彼が使っていたパソコン、彼の匂い。
もう思い出したくもないのに、今でも、涙が出そうになるんだよ。
「これくらいの距離が、お互いに一番いいんじゃないかな?」
あの時そういった、『これくらいのキョリ』ってどいうことなんだろう?
長さ的な距離?
気持ち的な距離?
会う頻度的な距離? 仕事ではなく、プライベートで。
今度会った時に聞いてみようかな。
って思ってたけど、本当に会えるのかな?
会いに行きたい。
ここでのバイトを始めて、初の週末を迎えた。
当時は夜シフトだけ入っていたので、土日の昼間がどれほど忙しいか知らなかった。
シフト表を見てみると、今回が初めて会う人ばかりだった。
職場に慣れるまでの緊張感は、本当に苦手だ。
誰だって始めは気を張るものだ、それでもフリーターでやっていくと決めた以上、自分を甘やかすのはイヤだった。
いつもの休憩室で、Tシャツの上から黒の甚平風な制服を着ていると、見知らぬ女の子が入ってきた。
一目で年下だと分かった。おそらく、十歳は年下。
「おはようございます」
と私が挨拶をすると、女の子も「おはようございます」と小さく挨拶してくれた。
声は小さかったが、恥ずかしそうな笑顔を向けてくれた。
背も小さくて、小柄だ。女の子らしい女の子、初々しい感じだった。
「私、伊崎です。まだ五日目なんです。よろしくお願いします」
苦笑い気味に私が軽く自己紹介すると、その子も名乗ってくれた。
「諸井です。よろしくお願いします」
またもや声が小さくて聞き逃しそうになった。
「変わった苗字ですねぇ、諸井さんは、もうどれぐらいなんですか?」
私が聞き返すと、諸井さんは「んーと」と小さくつぶやいた。
「先月の頭ぐらい、だと思います」
諸井さんはカバンからハンドタオルとペットボトルを取り出した。ハンドタオルはエプロンのポケットへ、そっとしまった。
私より一か月ほど早く、ここのバイトを始めたらしい。
十歳近く年下でも、先輩、先輩。
「そなんですか、あのー、若いですよね、いくつですか?」
思わず訊いてしまった。だって、余りにも若く見えたので気になった。
「十八です」
おお! やっぱり若い! しかも十歳近く年下。
「今年で十八?」
「いえ、今年、十九」
声は小さくて、照れ隠しみたいな感じだけど、言葉はハッキリしゃべろうという意思は感じられた。
とりあえず、よろしくお願いします。とお互いに二度目の挨拶をして、休憩室を出た。
休憩室は地下にある。
といっても、地中の中ではない。お店が斜面に立っているので、地元の町が見渡せる南向きに、下の部屋は作られている。
下の部屋の上に母屋が乗っかっている感じだ。
だから出勤してきたら、まず下へ降りて、バッグを置いて制服を着る。
昼シフとは十時(当時は十時、現在は九時)からなので、十分前になると、続々と見たことのないスタッフが出勤してきた。
彼は、誰よりも早く来て、下の洗い場でお米を洗っていた。
「おはようございます」と私が挨拶すると。
「おはよう」とちらっとお米から顔を上げて、挨拶をしたのは誰かを確認するためだろう。
正体が把握できたようで、直ぐにお米洗いに戻った。
私は彼に対して緊張が取れず、いつまでも話しかけ辛かった。
まだ右も左も分からないせいもあったかもしれないが、仕事ができないとか、覚えが悪いとか、トロイとか、思われたくなかったのかもしれない。
変なプライドで、さらに私を挙動不審にさせた。
その頑張りが後々、自分の首を絞めたようなものかもしれない。
店内やトイレ掃除が終わると、私も仕込みの手伝いをした。
漬物を小皿に盛り付けるからと、彼から漬物が入ったタッパーを冷蔵庫から出してと言われた。
人の身長より大きな冷蔵庫もあるが、漬物や小鉢の具があるのは人の半分ぐらいの高さの冷蔵庫だった。
確か漬物が入っているタッパーはこれだ!
と思って、自信を持って取り出して、蓋を開けたのは。
「間違えた!」
千切りされたネギだった。
あれ昨日はここらへんにあったのに、っていうか外から中身が見えないから分からないよ!
心の中でブツブツ文句を言いながら、私は慌ててタッパーの蓋を閉じた。
「それじゃあないよね、っていうか伊崎さんって時々そそっかしいよね、よく言われない?」
彼はあからさまに人をからかってきた。
初めからそうだった、最後まで私をからかい続けた。
その度に私もムキになって言い返した、軽くあしらえばいいのに、なぜか条件反射的にムキになっていた。
「言われませんよ! ちょっと間違えただけじゃないですか!」
「伊崎さんって、からかうとおもしろいねー」
油に水を掛けるようなことをするから、こっちはますますムキになった。
初日から妙に苦手な奴で、毎日のように人をイライラさせるもんだから、この人とは絶対に犬猿の仲だと、思わずにはいられなかった。
嫌いも、好きのうちなんて、今でも鼻で笑っちゃうよ。
この人とこれから仕事していくのかと思うと、ちょっと憂鬱になったけど、心のどこかで、彼に会える日々が嬉しくもあった。
閉店一時間前ぐらいになると、必ず彼は下へ降りていった。
何をしているのかと思いきや、伝票をパソコンに打ち込んで売り上げ集計をしていた。
その作業が当時の私は洗い物を手伝ってくれない彼にイライラした。
手伝えないのは、売り上げを入力していたからだと後々分かるわけなんだけど。
洗い物が終わって、お店を閉店すると、おとうさんに「おつかれさまです」と言って下に降りる。
すると彼はまだパソコンに向かって、何か熱心に打ち込みしていた。
「今日は売上十五万だったよ、みんなよく頑張った」
おお、なんか彼がハイテンションで喜ぶところ初めて見た!
私の足は、もう棒になって固まってたけど、顔が熱くなるぐらいに嬉しかった。
「私も頑張った! 今日は疲れたー」
「伊崎さんも頑張った!」
ほ、褒めてくれた! あの井坂さんが……
私もハイテンションになって、井坂さんの近くで膝を突いた。
「もう足の裏が痛いですよ」
「俺も足パンパン、今日はキツかったなぁ」
彼と一緒にいられることがこんなに嬉しいと、自覚した瞬間だった。
「じゃあ、帰ろうかな」
「おつかれさまー」
「お疲れ様でーす」
私は休憩室に彼を残して、出て行った。
その日、以降彼は、私が上での仕事が終わるころに売り上げの入力を終え、私が「じゃあ、帰ろうかなー」と支度を始めると、彼もさっさと帰り支度をした。
きっと溜まっている仕事があったんだと思う。
とにかくいつもパソコンで何かやっている人だった。
おとうさんは井坂さんと夜遅くまで、よく話しながら経営について話していたらしい。
そんな二人の姿を見たのは始めの一、二回で、後はよく私と一緒に店を出ていた。
そんなふうに思い返すと、まるで自意識過剰みたいなとらえ方だけど、一緒に店から出てくれるのが無性に嬉しかったんだよ。