正しい恋の終わり方
第5話 罪悪感と道徳観
2ヶ月。
この期間が健翔にとっての理性の限界だったのかもしれない。
簡単にそうしてしまう事へのモラルの欠如、それが回りまわって千房自身を傷付けることに繋がるのではないかと、そんな一見相手を思ってこそのクーリング期間のようだがそれはきっと違った。
逸脱への恐怖だ。
コモンセンスから外れた行動が、平穏や無難、そんな当たり前の日々を失わせてしまうのではと言う恐れ。
思えば過去に何度か経験したことであるが、それでも今の妻が妊娠した時は頭が真っ白になったのを覚えている。
これで自分も父親か。
そんな逃げられない現実がなんの前触れもなく突然自身の変わらない日常を塗り替える。
年齢とともにいつの間にか避けたがるようになっていた日々の変化。
だが健翔の欲情はその変化と天秤にかけても、あっさり傾く程に大きくなっていた。
「あぁ!いぃぃ!!あぅぅん」
「はっ、はぁ、はっ、ぅ!あぁ、たまんない!最高です、千房さん」
待ち合わせたホテルで、ついに健翔と千房はその身体を貪り合った。
今までに無いほどの興奮、背徳感。
社内では強気で、お局感を出しながらも陰で美魔女と謳われるその女を、今健翔は好きなだけ味わう事が出来る。
目の前で身体を痙攣させながら何度も果ててはまた激しく腰を動かす目の前の美女は、社内でいい年をしたおっさん達がどう足掻いても手に入れられないものだ。
千房はだが今自分のモノでこんなにも喘ぎ、悶ている。
交差する背景、そして室内の大鏡に映る自分と、あられもない姿をして喘ぐ千房の裸体が健翔のリビドーを更に掻き立てていた。
ホテルの避妊具を使い切って、一頻りの愛を育んだ後、健翔と千房は車を走らせ海岸沿いの公園を歩く。
腕を組んで他愛もない語り合いを交えながら、平日の夕焼けを満喫した。
恋人さながらのデート時間をどれだけ演出しようとも、健翔に時間はあまり無い。
現実へ戻る時間だ。
別れを惜しみ、なかなか離れようとしない千房と、また会おうねと言う意味合いを込めたキスを交わし、そしてそれにまた欲情して、車内で身体を貪り合い、一時間程そんな事を繰り返しながら健翔は自分の車に乗って家路へと向かう。
車中、どこか胸がざわつくような、重苦しくもやもやとした感情が終始襲ってきたがその正体は健翔にもはっきりとわかっていた。
罪悪感だ。
平日、仕事に行くと言いながら一回りも上の女とホテルに行き、互いの咥内を舐め合い、裸になり、下半身を重ねる。
互いに快感に震え、何度も果てた。
そんな事実が健翔の脳内に確かな記憶としてあるからこその罪悪感。
もしこれが一人で休んでパチンコにでも行ったと言うなら罪悪感も少ないはずだ。
市役所の手続きと言うなら更に罪悪感などないだろう。
寧ろこれが妻へのサプライズプレゼント買いにいったと言うなら喜びや楽しみささえ感じるはずだ。
実際どの行動だったとしても、妻に黙って仕事をサボり休んだと言う事実は同じなのに、だ。
罪悪感と言うのは所詮日本の教育で培った道徳観念でしかないのかもしれない。
人を殺してはいけないと当たり前のモラルでさえ、数百年前には無かったものだから。
寧ろ戦争ならば殺して褒められる位である。
健翔はそんな正当化にも思えるような独自の理論を脳内で繰り広げながら、そんな罪悪感とせめぎ合っていた。
──罰は当たるものではない、もし当たったのなら、それは自らが罰したに過ぎない。
千房との密会はその後も2週間置きに続いた。
仕事終わりに色々な場所で待ち合わせをし、時にはご飯を食べ、お茶をし、語り合い。
だが互いに大きな目的は絞られていた。
そんな前置き等はもういらないとばかりに、二人は次第にどちらかの車内でただキスをし、身体を愛撫し、服を脱いで、挿入する。
それだけを目的に、ただ互いの欲情をぶつけるかのように健翔と千房はお互いを愛し合った。
誰でも良かったと、そんなふうには思えないほど、健翔と千房は引き合っていた。
他の女、他の男など互いに眼中に無いほど。
互いにLINEや、話の中に異性が出ると言うだけでもやもやしてしまう、そんな嫉妬にすら駆られるほどに恋をしていたのだ。
嫉妬をする資格等ないことは当然わかっているが、それでもやはり恋とはそういうものなのだと。
その時の健翔はそう思っていた。
この人と結婚できればどんなに幸せだったのだろうかと。
自分に尽くしてくれる相手。
そんなに人と付き合えた事があっただろうか。
思えば健翔はいつだって相手のペースに巻き込まれ、尽くし、裏切られ、それでも助けてあげる、そんな関係しか作っては来なかった。
女運が悪い。
そう一言で片付けるには健翔の面倒みはあまりに良すぎたのだ。
──「はっ、はぁ、、、千房さん、もう、だめ、イキます!!イク、イクッ」
「あぁっ、はぁぁんんっ」
健翔の身体は何かを考える前に、千房の中でドクドクと脈打ち、果てていた。
車内に避妊具は無い。
だがもうそれでもいいと、否、千房の歳なら問題ないとでも考えたのだろうか、健翔はもう自分の運命を天に任せることにする位、千房に夢中になっていた。
家に帰ればまた自分勝手な欲望の押し付けと、片付く事の無い服とバッグの山が疲れた健翔を迎えてくれる事だろう。
それでもその道を選んだのは、自分自身なのだ。
夜の国道を交差するヘッドライトが、健翔の視界で滲んで何重にも見えた。