正しい恋の終わり方
第6話 逸れた道
「はぁ、もう帰ってきたの?」
「早く終わったんだよ、てか遅くても怒るだろ」
「ルーティン崩れるんだよねぇ、あんたいると」
「へいへい、すいませんね」
早く帰れば邪魔だと言われ、遅くなれば寝れないと言われる。
飲み会といえばご飯を作らなくていいと喜ばれるが、実際当日にはその予定を忘れるし、そもそも大したご飯を用意された事はないのだが、それでもそんな妻を貰ったのは自分なのだ。
妻の百合子と結婚したのは健翔が24の時である。結婚を急いだ訳ではないが、いつもの遊び相手として彼女を口説いたのは間違いない。
そのまま出来婚したのだが、向こうは向こうで遊び相手がいたので互いに身辺整理はそこそこに手間であった。
言ってしまえば今の子が自分の子かどうかもはっきりとは分からない。
そう言う女を相手にするには健翔は少しばかり優しすぎたのかもしれない。
なんにせよ自分が選んだ相手であり、もっと言えばそんな相手でなければ健翔には選ぶことが出来なかった。
健翔には両親がいない。
よって大した学歴も手に入れることは無かった。
それなりに地頭は良かったはずだが、それでも社会は各人間の中身をいちいち見てくれる訳ではないのだ。
健翔の持つその資格は日本社会において、ただただ底辺の負組でしかなかった。
もしどこかで高学歴の女性を好きになったとしても、それはすぐに自分には見合わないと心を閉ざし身を引いていただろう。
だから健翔には、この片親で、学歴もなく、兄弟揃って不良の妻百合子が程よかったのだ。
ただそれでも百合子はそれなりの外見のおかげか、相当な世間知らずでも運と男の力でそこそこに楽しく生きてきたようで、当時健翔など見向きもされなかった程だ。
わがままで自己中心的、寂しがりやで疑い深く、自分の非を認めない天然。
そんな所がいいとも思い精一杯口説いた当時が懐かしい。
そんな重苦しい気持ちを胸に抱えながら、健翔は冷蔵庫から冷えたミネラルウォーターを取り出し一気に食道へ流し込んだ。
千房からLINEが届く。
先程トークをすべて消去したのだが、すぐにまた返信が来てしまうので都度消しておかなければならない。
誘いの内容も段々とエスカレートし、今やどこかへ遊びに行こうだの、夜景を見にいこうだのとかなりの短いスパンで誘いが入る。
千房は未だに独身を貫くいわゆるおひとり様だ。
故に同じ視点で誘っているのだろうが、健翔には仕事帰りの数時間でさえ作り出すのは相当な負担であった。
──俺なんかがいなければ彼女はもっと幸せになれるのではないだろうか。
そんな想いが悲しみに混じって健翔の胸を締め付けた。
おひとり様、年齢的にももう諦めていると社内でも言われているだろう千房だが、健翔にしてみればあれだけ魅力のある女性なら今からでも引く手は数多ではとしか思えなかった。
千房が自分に夢中になっていることは理解していた。それだけのコミュニケーションが二人の中であったからだ。
それぐらいは数十人を相手してきた健翔にも分かる。
だからこそそんな千房の誘いや、想いに応えられない自分が悔しく辛かった。
ただ夢中になって、欲望のままに繰り返した千房との関係。
好きだと思えば、その分申し訳無さが健翔の胸に湧き上がる。
小さな負担が、じわりじわりと、確かなストレスとなって健翔の心を押しつぶしていた。
──遊園地にいかない?
千房からのデートの誘い。
もうこれが最後になるだろうか。
そんな勝手な気持ちを抱えて、健翔は了承した。
いつも通り千房のマンションからほど近い駅前に車を停め、二人で電車に揺られてこのあたりでは一番大きく海も見える遊園地へと繰り出した。
道中は終始手を繋ぎ、互いに軽口を叩き合いながら、時に千房を後ろから抱きしめ、それはまさに付き合いたてのカップルさながらだ。
これが不倫であっても、今この瞬間に感じる幸せと悲しみと、温かな想いは確かに現実であった。
絶叫で騒ぎ、お化け屋敷の暗闇で抱き合い、観覧車でキスをする。
二人で昼間からお酒を入れ、海を眺めた。
横でパシャリと携帯カメラのシャッターを切る音がした。
「どーしたの?」
「ううん、ふふ、記念」
ツーショットでもなく、ただ健翔の横顔を自分のアルバムに収める千房は嬉しそうに笑った。
それは千房もまたどこかでこの関係に終わりを見ていたのかもしれない。
直に日が暮れる。
健翔と千房は何を買う訳でもなく、二人でお土産を見ながら帰路につく。
まだ、帰りたくはなかった。
「この近くにホテルありますねー」
「うん、そこにする?」
「じゃぁ行きましょっか」
また身体を重ねれば寂しくなるだろうか。
それでもこのまま帰れば更に想いは募る気がする。否、正直な所はただの欲求不満なのだろうか、それでも千房もまたその想いは同じに見えた。
日も沈みきった夜の街のネオンに包まれ二人暗い道を歩く。
だが社会からもともと外れ者にされた自分が、今更そんな事で責められる謂れはないのだと、そんなどこか薄暗い気持ちが健翔の脳裏に僅かな怒りとなって燻った。