社宅ラプソディ
6.奥様たちのマイルール
『梅ケ谷社宅』 では、資源ゴミの日が決まっている。
段ボールやプラスチック、新聞紙や雑誌、布など、再利用できる資源ゴミは、月に一度、管理室前の広場に集められ、仕分け係の立ち合いのもと分別される。
係りは当番制で、一棟を階段ごとに三つに分けた班が持ち回りで担当しており、月に二度交付される市報の配布や社宅自治会の回覧板も、この班ごとに行われていた。
プラスチックの分別に迷った明日香は、隣の部屋の中瀬美浜に教えてもらおうと、玄関を出たところで回覧板を手にした鈴木五十鈴に会った。
明日香が 「こんにちは」 と挨拶をすると、五十鈴は 「こんにちは」 と返しながら中瀬宅のインターホンを押した。
回覧板は玄関ポストに入れても良いことになっているのに、わざわざインターホンを押したということは、美浜に話があるのだろう。
明日香の頭にさきほどの出来事が浮かんだ。
家庭訪問のあと、五十鈴が小泉棟長と担任教師の様子を携帯で撮影していたのは今日の午後のこと。
担任教師へ土産を強引に渡す小泉棟長に驚いたが、その様子を二階の踊り場から身を乗り出して撮影していた五十鈴の姿にも驚いた。
出直すつもりで軽く会釈をして背を向けようとしたとき、
「明日香さん、明日は早いけど、頑張りましょうね」
社宅の先輩の気遣いの声掛けに、明日香は体を戻した。
「初めてでわからないことも多いので、よろしくお願いします」
新人らしく頭をさげる明日香へ、資源ゴミは6時半からなのに、みんな早く持ってくるから大変なんですよ、だから当番は6時に集合するの、早すぎるよね、ホント、などと、五十鈴の口は忙しく動く。
『社宅一番のおしゃべり』 は本当らしい。
明日は今年度初めての資源ゴミ回収日、明日香はさっそく当番になっている。
同じ班の五十鈴と美浜も一緒である。
ドアが開いて美浜が顔を出した。
「はい、回覧板です。ねぇねぇ、美浜さん、これ、どう思う? 明日香さんも聞いてよ」
回覧板を渡しながら、五十鈴は明日香と美浜を交互に見た。
「うちの子、今日、家庭訪問だったの。終わったあと小泉さんが先生を迎えに来たんだけど、あの人、先生にお土産を渡したんだよね」
「見て見て、これ」 と言いながら五十鈴がスマホ画面を差し出し、美浜は興味津々で覗き込み、明日香も横からのぞいた。
画面は一階の階段前の映像で、誰も写っていないが音声は鮮明だった。
『親戚から送られてきたものです。先生におすそ分けをと思いまして、少しですがお持ちください』
『いや、あの、これはちょっと……』
『イクラと数の子とウニの三大珍味です。おつまみでも、ご飯のお供にでも、いかがですか。おいしいですよ』
『はぁ、ですが、こういうのは困りますので』
『お嫌いですか? イクラと数の子とウニ』
『いえ、嫌いではありませんが』
『でしたら、遠慮なく。ご家族のみなさまでどうぞ』
『あの、ですから、困ったな』
『ご心配なく。冷蔵ですけど、保冷剤を入れておきましたから大丈夫です。お家に帰られたら冷蔵庫に入れてくださいね。はい、どうぞ』
『どうも……』
途中、カンカンと音がしたのは階段を下りる音だろう、五月の部屋から見えた光景が音声とともによみがえる。
スマホからガザガザと袋の音がした、小泉が教師に三大珍味が入った袋を押し付けた音だろうか。
ふたたびガザガザと音がしたのは、教師が袋をカバンにしまった音に違いない。
それから、三棟から立ち去る教師と小泉の背中が映し出された。
明日香が美浜を見ると、美浜も明日香を見ていた。
ふたりだけに通じる苦笑いをかわす。
「これってさぁ、おすそ分けとか言ってるけど、先生にお土産を渡したってことだよね」
「うーん、そうかもしれないけど、先生が受け取ったかどうか、これだけじゃわからないでしょう」
「ガサガサって音がしたじゃない。先生、受け取ったんだよ。ダメじゃん」
五十鈴より美浜の方がひとつ年上だが、会話に遠慮はない。
「声だけで判断するのはどうかな」
「先生の最後の声、どうも……って、どうもありがとうございます、じゃない? どうもいりませんとは言わないでしょう」
確かに、「どうも」 のあとには 「ありがとうございます」 もしくは 「すみません」 が続くだろう。
五十鈴の指摘はもっともだ。
「明日香さんはどう思う?」
いきなり意見を求められて明日香は思わず身を引いた。
「すみません、わかりません」 と、かろうじて返事をすると、五十鈴は不満そうに口を尖らせた。
「えーっ、これを聞いてわかんないかな。イクラと数の子とウニ、おすそ分けにしては豪華すぎるって」
美浜の返事が曖昧だったため、五十鈴は明日香に同意を求めようとグイグイ押してくる。
明日香さんは引っ越してきたばかりだからね、先生のこととかわかんないでしょうと、美浜は明日香の肩を持った。
「それもそうか。わかった、ほかの人にも聞いてみる」
「明日の当番だけど、五十鈴ちゃんとこの旦那さん、出られる?」
「出るつもりだって。夜勤明けだから、帰ってきて資源ゴミの当番をして、それから寝るって言ってたから。そうだ、これ、ゴミ当番のとき、みんなに聞いてみよう」
じゃあねー、とご機嫌になった五十鈴は階段をおりていった。