社宅ラプソディ
その日の午後、明日香は夫の実家から届いた和菓子を理由に 「お茶しませんか」 と五月を誘った。
菓子のおすそ分けを持って五月を訪ねようと思ったが、聞きたいことは玄関先でできる話ではない。
そこで自宅に招いた。
「今朝、あれからどうなりましたか。五十鈴さんから話を聞きました?」
「明日香さんがいなくなったから、五十鈴さんにつかまって断れなくなったんだから」
「わぁ、すみません」
「明日香さんに一緒にいて欲しかったのに」
口でいうほど気にしていない五月の顔が、明日香が出した菓子に大きく反応した。
「文明堂の 『極上金かすてら』、わぁ、嬉しい」
「どうぞどうぞ、いくつでも。朝、五月さんを置いて帰っちゃったおわびです」
「ふふっ、いいの? では、遠慮なく」
ほかにも、くろぎの 『宇治抹茶最中』 もあるというと、和菓子好きの五月は大喜びした。
義母から届いた菓子なら間違いないと思っていたが、予想通りの五月の反応に明日香は胸をなでおろした。
佐東の母は、会社の要職にある義父宛に届く進物を、ときどきまとめて息子宅に送ってくる。
そのどれもが上等な物で、明日香は義母からの送りものを密かに心待ちにしていた。
「それで、家庭教師を引き受けたんですか」
「家庭教師は断った。美浜さんみたいに親しい人ならともかく、そうでない人にあまりかかわりたくないじゃない。
だから、みなさん全員のお宅に行くのは無理だから、と言う理由にしたんだけど」
美浜の長男の源太は中学一年生、英語のテストの点数が急上昇したため周りが驚いた。
五月の指導と源太の努力のたまものだが、五月に言わせれば中学一年生の英語は勉強次第ですぐに結果が出る。
今回は五月の予想問題が的中、試験前に解いた問題が、そっくりそのままテストに出て源太は高得点を取った。
「平均点も高くて、100点を取った子もたくさんいたそうよ。源太君は90点で30番、自信がついたみたい。
勉強に意欲的になってきたから教えがいがあるけれど、ほかの子も同じように教えるのは難しいわね」
「五十鈴さんのお友達、みんなって何人ですか?」
「あちこち声をかけたから10人くらいだって」
「えーっ、五月さんに聞く前に子どもたちを集めたんですか。だいたい、その人数は無理ですって。
じゃぁ、グッチ小泉さんの息子さんの方を優先するんですね」
「グッチさんも断ったの。全教科教えて欲しいって言われたのよ。進学塾の講師でもないのに無理よ」
やはり小泉棟長の三男は中学受験をするそうだ。
けれど、私立ではなく公立の中等学校が志望校で、すでに受験塾にも通っているが、さらに五月に家庭教師を頼みたいと言ってきた。
「中等学校は公立だけど入試があるの。私立とは問題形式も違うのよ。こっちは専門家でもないのに、責任を負えないじゃない」
「合格したら問題ありませんけど、不合格になって、五月さんのせいにされるのもいやですね」
「まぁね、それもあって断ったんだけど……」
カステラの最後の一切れを口に入れる前に、五月は大きなため息をついた。
「実はその前に、幸子さんから、お子さんたちに英語を教えてくれないかって頼まれたの」
「えっ、紫苑ちゃんと梨花ちゃんも? まだ小さいのに、受験準備かな」
「受験準備かどうかはわからないけれど、会話中心にお願いしますって」
「幼稚園にも英語の先生がいるんでしょう? 英語に慣れさせたくて 『ロンシャン幼稚園』 に行ったんじゃないんですか? まだ足りないのかな」
「紫音ちゃん、おとなしくて外国人の先生に話しかけられないみたい。そんな子が、私と話ができると思う? 梨花ちゃんは三歳になったばかりで、まだ日本語も怪しいのに。
幸子さんの教育熱心はわかるけど、私を巻き込まないで欲しいのよね。幼児教育の専門家ではないので、教えるのは難しいですって断ったの」
日ごろ顔を合わせる五月が相手なら、子どもたちも多少気楽に話ができるのではないかと明日香は思ったが、五月は幸子の頼みそのものを迷惑と感じている。
できるかできないかではない、五月がやりたくないのだ。
最後の一切れを口に入れたあと、こちらもいただきますと、五月は最中に手を伸ばした。