社宅ラプソディ
数日後の夜……
バス通勤が増えてるよと、亜久里がおもしろそうな顔で言い出した。
「部長は腰を痛めてからバス通勤だけど、部長と歩きだった課長たちもバスに乗り始めたんだって。俺の自転車をバスが追い越していくんだけど、日に日に人が増えてるのがわかるよ」
「部長さんが乗るから、みんなバス通勤になっちゃったの?」
自転車通勤だった者までバスに乗り始めたのだというと、亜久里は実家から送られてきたワインに口をつけた。
コンクール金賞受賞の栄冠に輝いた赤ワインの香りは芳醇だった。
少し酔いの回った亜久里は、いつもは言わないことまで口にした。
「小泉課長と早水課長は、朝、わざわざ部長の家の玄関まで迎えに行って、カバンを持って部長に付き添ってバスに乗るらしい。
どっちが先に行くか、ふたりで競争してるみたいだってさ。課長も大変だよな。
でもさ、奥さんの留守中に部長の世話をしたのは、川森課長と奥さんなんだよね。
課長の奥さんは部長の食事の準備をして、課長は部長の病院に付き添って、付きっ切りだったらしい。この差は大きいね」
「誰に聞いたの?」
「坂東さん。坂東さんは、最初っからバス利用だから。課長たちが朝、部長の部屋に走っていくのは面白いって、笑ってた」
「グリさんにも、いろいろ聞こえてくるんだね」
「まぁね」
「坂東さんと同期の田中さんもバスに代わったの?」
「田中さんはまだ歩いてるよ。いま、徒歩通勤は田中さんだけかな」
田中さんの徒歩通勤は部長へのアピールじゃなかったんだなと亜久里は言うが、はたしてそうだろうかと明日香は思っている。
いつか腰が治ったら有栖川部長は徒歩通勤に戻るだろう。幸子の夫はそれを待っているのかもしれない。
有栖川部長の腰が完治するまで通勤バスはにぎわっていたが、明日香の予想通り、部長が徒歩通勤に戻るとバス通勤者も徒歩に変更、歩く部長の周りは前にも増してにぎわっている。
そして、このごろ、幼稚園バスが来る頃になると、小さな子どもと母親が集まるようになった。
機関車の形の 『ロンシャン幼稚園』 のバスは、到着を汽笛を鳴らして知らせてくれる。
バスの形と音が子どもたちに人気で、あのバスに乗りたいと言う子が増えている。
田中家の長女が着る可愛い制服も子どもたちに人気だったが、セーラーカラーの夏の制服は母親たちの心をつかんだ。
来年は 『ロンシャン幼稚園』 に通う子が増えるのは間違いなさそうだ。
もうすぐ夏休み、社宅の暑い夏はそこまできている。
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高専 (高等専門学校)
中学校卒業者を対象に、5年間一貫教育を通じて実践的技術者を養成する学校。
大学などと同じ高等教育機関に位置付けられており、全国に57校(国立51校、公立3校、私立3校)がある。