社宅ラプソディ
学習会を終えた子どもたちは大輝と大樹を囲んで、母親たちの差し入れのアイスクリームを食べながらゲームの話に夢中になっている。
大人たちは乙羽が持参した老舗和菓子店の水ようかんと、冷えたほうじ茶でお茶会となった。
先日と違って、老舗和菓子店の水ようかんは深い味わいで、こしあんが苦手になったと言っていた五月も、美味しそうに口に運んでいる。
「乙羽さんの息子さん、九州大学にいらしたんですね。すごいわぁ」
小泉棟長は、もう感心しきりと言う顔である。
「そう言っていただいて、私も胸のつかえがおりました。東京の親戚に九州大学と言っても、誰も知りませんでした」
「まぁーっ、こちらでは、東大、京大、九大ですよ。そうだ、乙羽さん、お願いがあるのですが」
「はい?」
小泉棟長は身を乗り出し、懇願する目で乙羽へ訴えた。
「大樹君に家庭教師をお願いできませんか。うちの息子、中等学校を受験するんですけれど、自宅学習に不安がありまして、ぜひお願いします」
「えっ、えぇ、息子に聞いてみませんと……でも、うちの息子でよろしいの? もっと優秀な方がいらっしゃるでしょう」
「いいえ、ここでは九大以上の学生さんはいません」
グッチ小泉、調子のいいことを言うなと明日香は思ったが、今日はその調子の良さが乙羽を救っている。
そうですよ、こちらでは九大が一番ですからと、美浜や川森棟長だけでなく早水棟長も励ましの声をかけた。
「うちの息子は私大で教科も少なかったので、なんとか現役で合格できましたが、国公立は正直難しかったと思います」
乙羽は、えっ、と言ったあと言葉につまった。
「もしかして、息子は東大と思っていらっしゃいましたか?」
「えっ、えぇ……」
「東京の大学には違いありませんけれど……私がまぎらわしい言い方をしたので、すみません」
乙羽の歓迎会のとき、早水棟長が 「うちの息子は東京の大学に」 と言ったのを、乙羽が東京大学と思い込んだのが原因だった。
わかってみればなんのことはない。
けれど、早水棟長の顔がほっとしたように見えるのは、乙羽の勘違いを利用したい気持ちもあったのではないか。
明日香は早水棟長の横顔を注意深く見ながら、そんな読みをしていた。
すみませんと謝ったのは、まぎらわしい言い方をしたことだけでなく、乙羽に勘違いさせたままでいようとしたことへの謝罪の意味も含まれていたのかもしれない。
厄介な母親の心も、吐き出してしまえば通じ合う。
「大樹君の二年間の頑張り、素晴らしいですね。なかなかできることではありませんから」
「ありがとうございます。息子も父親と同じ大学を目指しましたが、二年かかっても無理でした。
けれど、息子がこちらに進学して、間もなく私たちも転勤になりました。ご縁があったのでしょう……」
しんみりする乙羽を口々に励ます棟長たちを見ながら、五月がぼそっとつぶやいた。
「有栖川部長、一橋大の出身だって知ってた?」
「えっ、そうなんですか? うわぁ、大樹君、すごすぎます」
超難関大学の一橋大学には届かなかったが、九州の最難関大に合格した息子を恥ずかしがることはない。
乙羽は、むしろ大威張りしてもいいくらいだ。
自信がなさそうにしていた大樹も、子どもたちの 『キューダイ』『すげー』 の連呼に励まされたのではないか。
「学習クラブ、これからも彼に手伝ってほしいわね」
「はい、口説きましょう」
「ふふっ、口説くって、明日香さん、やっぱりおもしろい」
楽しそうな顔でマシュマロの食感がいいのよと言いながら、五月は川森棟長が差し入れた、石村萬盛堂の 『鶴乃子』 に手を伸ばした。
五月が好む菓子に間違いなはい、明日香も続いて 『鶴乃子』 をとった。
乙羽を囲んで進学談義はますます弾んでいる。
肩肘を張っていた早水棟長も、ほどよく力が抜けて穏やかな話しぶりで、なにかと調子のよい小泉棟長もいまは神妙な面持ちで受験の心得を聞いている。
川森棟長と美浜も真剣な顔だ。
いつか母親になったら、自分もこうなるのだろうか。
子どものいる将来を想像しようとしたが、明日香の頭には亜久里と二人の生活の様子しか浮かばない。
そのとき考えよう……
無駄な想像をやめた明日香は、『鶴乃子』 をひと口で頬張った。