社宅ラプソディ


亜久里が土産をさげて帰宅したのはハロウィンの前日、ゴディバのハロウィンコレクションの包みが見えて明日香は大喜びした。

ひとつはおばけが描かれたパンプキンクッキー5個入りの小さな包み、もうひとつはパッケージも凝ったハロウィンチョコレートの詰め合わせである。


「有栖川部長から、奥さんによろしくって言われた」


「ゴディバは、部長さんからいただいたの?」


「もらったのは接待先の店だけど……俺はクッキー、部長はチョコレート。部長の奥さん、東京に帰ってるんだってね。

部長はチョコレートを食べないらしい。これも持って帰りなさいって渡された」


「お店って、女性が相手をするクラブとか、そんなところ?」


土産の中身より、土産を持たされた店に関心を向けた明日香の問いかけは亜久里をあわてさせた。


「あぁ、そうだね、クラブだよ。中州でも高級な店だから、席に女の子はいるけど、俺みたいな平社員は見向きもされない」


接待に使った店がハロウィンのために客に配った菓子だと、明日香の誤解を解くように詳しく説明した亜久里は、一目でわかる土産のランクの違いにヒラと部長の格差は大きいねと笑った。

亜久里が女の子のいるクラブに行ったのは仕事上の付き合いのため、隠す必要はないから土産を妻に渡した。

仕事の付き合いでそういう場所に出かけることもあると、わかってはいても、夫のそばに女性がいるのかと思うだけでいい気はしない。

けれど、ゴディバのクッキーとチョコレートの土産は嬉しい。

亜久里は部長と同じくあまりチョコレートを好まない、これはすべて自分のものと思うと笑みもこぼれてくる。

乙羽は先日から東京の自宅に戻っている。

ひとりで家の管理をしている娘の様子を見にときどき帰るのだが、今回は佐東の母と宝塚東京公演を観る予定も入っているらしい。


「部長が、近ごろ奥さんが明るくなったと喜んでた。佐東君のお母さんと奥さんのおかげですと言われて照れたよ」


亜久里は言葉通り照れながら、おばけのクッキーを一枚つまんだ。


「いろんなことに積極的になって、行動範囲が広がったそうだけど、それって、お袋の影響だよな」


携帯を持たずに出かけることも多く、連絡が取れないと家族に言われることの多かった乙羽が、いまではスマホを片手にネット検索はもとより、便利にアプリを使いこなしている。

しのぶに影響されたのは言うまでもない。


「部長の奥さんとウチのお袋、そこそこ年が離れてるだろう。それでも趣味でつながるってすごいな」


「趣味もそうだけど、息子さんの境遇が似ていたから話が合ったみたい」


なんだよそれ、とクッキーをもう一枚口に入れて怪訝そうな顔をした亜久里に、浪人生がいたのが同じなんだってと言うと、明日香はチョコレートを一個とった。


「グリさんも雅久都(がくと)さんも、一浪したでしょう。グリさんは留年もしたんだよね。だけど、ちゃんと社会人になって結婚もしたから、いまはなんの心配もないんだって」


亜久里と弟の雅久都は、一浪して大学に入学、雅久都は4年で卒業したが、亜久里は単位が足りず留年している。


「ふぅん、俺の浪人と留年が励みになったのか。俺の一浪一留も無駄じゃなかったな」


「そこ、自慢するところじゃないと思うけど」


そうか? と亜久里は三枚目のクッキーに手を伸ばした。

さすがにゴディバのクッキーは美味しいと気がついたようである。

チョコレートも食べてみようと言い出すかもしれない。

明日香は、亜久里がチョコレートの美味しさに目覚める前に箱をしまおうと考え、包装紙で元通りに包むために裏返して、缶の底に店の名前のシールを見つけた。


「『Club Alice』 クラブアリス……お義姉さんと同じ名前だね」


「そうなんだよ。ママの名前もアリス、本名かどうかわからないけどね。で、俺の名刺を見て、アグリとアリス、名前が似ているといわれて、姉貴の名前がありすですって言ったら、亜久里さんは私の弟みたいって、気に入られてさ」


有栖川部長はお父さんみたいだって言われて、あの部長がニコニコしてた……と明日香にとって面白くもなんともない話を亜久里は上機嫌で語った。

夫がクラブのママに気に入られて嬉しい妻がいるだろうか、乙羽だって夫がクラブのママの前でニヤついていたと聞いたら、いい気分はしないはずだ。

チョコレートを片付けるまえに、もう一度包みを開いて一個を口に放り込んだ。

甘いはずのチョコレートが、今夜はやけにビターに感じられた。

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