社宅ラプソディ
「川森さんのは本格的、私みたいに 「まぜてできあがり」 じゃないの。キッチンには調味料がズラッとそろっててさ。
何でもできて、手際も良くて、気が利いて頭も良くて、ちょっとおせっかいが過ぎるかなって思うこともあるけど、いい人よ。
あっ、ごめんなさい。初めての方にこんなことおしゃべりしちゃって」
『信和会』 を仕切っているのも川森棟長で、あの人についていけば心配ないよと、美浜はこの辺から気さくに話しかけるようになった。
川森棟長は42歳、家族は課長の夫と中学三年生の女の子、以前の勤務地は仙台だった、ということも美浜からの情報である。
美浜の夫は地元採用の現場スタッフで、転勤はないため結婚以来この社宅に住み、「棟長より詳しいよ」 と頼もしいお隣さんだ。
「あの……みなさん、名前で呼ばれるんですか?」
「驚いたでしょう」
「はい、ちょっと驚きました」
「まぁね、親しくなるきっかけにはなるけど、いきなり名前で呼ぶのは、ねぇ」
「はぁ……」
そこで明日香は疑問を口にした。
「棟長も名前でお呼びするんですか?」
「あっ、それだけは特別。川森さんでいいのよ。ほかの棟長もね」
各棟長の名前は、みな 「キョウコ」 だという。
「小泉京子、早水恭子、川森今日子、みんなキョウコさんだから。まぎらわしいでしょう? だから棟長だけは苗字なの」
コイズミキョウコさんですか、と明日香がふふっと笑うと、美浜もふふっと笑った。
「本人の前で笑っちゃだめよ。似ても似つかないから」
「はい、気をつけます。あっ、でも、笑っちゃいそう」
ふくよかでおっとりした 「小泉京子」 を思い出して、明日香は笑いが漏れる口に手を当てた。
「佐東さん、お名前を教えてもらってもいい?」
「明日香です」
「私は美浜。明日香さん、お隣同士、楽しくお付き合いしましょうね」
「私も名前で呼んでもいいですか?」
「もちろん」
美浜は明日香より10歳上、小学校6年生と中学一年生の男の子がいることが話から分かった。
美浜の夫を知っているかと亜久里に尋ねると 「知ってるよ。新人のとき研修で会った」 と懐かしい顔をした。
「新人研修で、『東京本社』 『名古屋本社』 『福岡本社』 を回って現場実習をした。
俺たちは独身寮から研修先の本社とか工場に通ったんだけど、その頃もここはなんにもなくてさ。
この社宅、あの頃も古かったけど、今では 『小早川製作所』 一番の古さだもんな。
まぁ、Wi-Fiがあるだけましになったかな」
グリさん、ここの社宅に来たことがあるの?
狭いってこと、知ってたんだね、どうして教えてくれなかったのよ!
と言ったところで、もうどうにもならない。
家具をそろえるとき、亜久里の反対を押し切って買ったダブルベッドが四畳半の部屋に入ったときの、亜久里の安堵した顔は、そう言うことだったのだ。
四畳半がふたつと六畳の部屋は、一部屋はベッドに占領され、残りの二部屋はふすまをはずしてワンルームにして家具を並べた。
名古屋の新築の社宅では、9畳のリビングに余裕で入った二人掛けのソファは、ここではキッチンにはみ出すことでどうにか収まったが、ダイニングセットは場所を取り過ぎるという理由で、分解したままベランダの倉庫にしまわれた。
部屋の狭さと反比例して無駄に広いベランダに、結構な大きさの物置があり、部屋に入らない物はそこに押し込んだ。
部屋の中に洗濯機が置けず、ベランダに置くことになるなんて、思いもしなかった。
脱衣所のない洗面所は玄関から丸見えで、まずはそこを何とかしたい。
「洗面台の前に脱衣所を作りたいな。カーテンで目隠しできないかな」
「それ、いい考えだね。カーテン、買いに行こう」
ホームセンターは近くにあるのだろうか、美浜さんに聞いてみよう。
ベランダに鉢植えでも置いたら気分も変わるのではないか。
狭い社宅をすこしでも快適に過ごすために、明日香の頭はまた忙しく動き出した。