密事 夫と秘書と、私
夫が所有するタワーマンションの最上階。
そこに私は住んでいる。

広々としたリビングは、黒やグレーを基調としたインテリアでまとめられ、間接照明でやんわりとした光に包まれている。
無駄に広くて、ピカピカで、モデルルームのようなこの空間は、全く落ち着かない。

ここも一面ガラス窓になっていて、街を見下ろすことができる。初めの頃はその美しい景色に感動したものだけど、もうすっかり見慣れてしまった。

「おいしい……」

革張りのソファに沈みながら、用意されていた温かいハーブティーをゆっくりと口に含むと、ふわりと鼻に香りが抜けて、体がほどける。

『私の為だけに』淹れてくれた。だから格別に美味しく感じる。そういうものだと、最近気付いた。

「来週の予定をお伝えしておきますね」

「……今?」

せっかく癒されていたのに。

そもそもこんな夜遅くにやってきて、来週のスケジュール確認を始めるなんて、非常識にもほどがある。

早く寝かしてよ、ってクレームをつけたいところだけど、全然眠くないから何も言わない。

「25日は創立記念祝賀会がありますので、ご同伴をお願いします」

「またパーティ?はぁ。着る物は瀬戸さんに任せるから手配しておいてくれる? 前日にネイルとエステ、当日はヘアセットの予約もお願い」

本当に気が滅入る。

「承知いたしました。それから27日は、12時から社長とお義母様とのランチの予定が入っていますがよろしいですか?」

「全然よろしくない……って言っても無理やり連行するんでしょう?」

「都合がつかなければ、他の日に変えますが」

「都合つかないわけないじゃない、私のスケジュールはあなたが全て管理してるんだから」

そう嫌味たらしく言い返したところで、こちらの意志で決定事項を覆すことはほぼ不可能な訳で。

「では、当日の11時15分にお迎えに上がりますね」

結局こうなる。 


「まだ濡れていますね、髪」

瀬戸さんがこちらに近づいてきて、細くて長い指で私の髪に触れた。
急に距離が詰められてドキリとする。

大丈夫。ほっといても乾くから、と言う言葉はスルーされた。
そしてドライヤーを持ってきた彼によって、半乾きの髪は完全に乾かされてしまう。

お手伝いさんだってここまでしてくれないのに。

世間知らずの私は、秘書の仕事がどのようなものから知らないけれど、こんなことまでしなきゃいけないものなんだろうか。
分からない。

「っていうか、瀬戸さん今何時かわかってる?帰って寝たら?」

そう促してみるも、彼は腕時計を確認して「あぁ、もうこんな時間ですか」と言うだけで、まだ帰る気配は無い。

「ずっと疑問だったんだけど、瀬戸さんはいつ寝てるの? 秘書って24時間365日営業? スーツ以外の服着ることある?」

私生活が全く見えてこない秘書にあれこれと質問を投げかけてみたけれど「愚問ですね」と切り捨てられてしまった。

それどころか、まじまじと私の顔を見つめて「顔色が優れませんが……」なんて言いながら、冷たくて骨張った手で私の額やら、首元やらをヒタヒタと無遠慮に触ってくる。その手つきは機械的で、何も感じない。

「ちゃんと眠れていますか?」

1番寝てなさそうな人がそれを訊くのか。それもこんな時間に訪ねてきておいて。

「さぁ? あなたよりかは寝てると思うけど?」

「今日は何時間寝ましたか」

「覚えてない。まぁ、ある意味ずっと眠ってるようなものかもね。頭も体も使わない……こんな廃人みたいな生活」

予定ゼロだった今日は、1日中本を読んだり、映画を観たり、ぼーっと考え事をしたりしていた。

身の回りのことは殆ど誰かが世話してくれて、全て与えられるだけで、何の生産性もなく、時間をいたずらに消費するだけ。

何もない。空っぽの毎日。
たまに入る予定といえば「退屈なパーティー」だったり、「ゾッとするようなメンバーでランチ」だったりするし。

23歳……若き乙女の貴重な時間を、こんなつまらないことで浪費していいのだろうかと不安ばかりが募る。

先を想像すればするほど絶望的になるので、私はソファに深く腰掛けて、顔を覆った。
< 6 / 13 >

この作品をシェア

pagetop