ヒートフルーツ【特別編集版第1部】/リアル80’S青春群像ストーリー♪
盛夏の傷跡/その14
稀少女



ケイコの母、美沙は、学校以外でも周囲にケイコのことを、常々口にしていたようだった。

ケイコの友達やその親には、部活もやめて心配だと、つい愚痴気味に話してしまっていた。

ところが、決まって返ってくるのは、”お宅の競子ちゃんはしっかりしてるから大丈夫よ”といったものだった。

普通であれば、”自分の子じゃないから、そんなふうに言ってられるんだわ”となるだろう。

しかし、美沙はケイコが小さい頃からずっと、周りのからはこう言われ続けてきた。

活発で天真爛漫、誰にでも優しくて、正義感が強い。行動力もあって、みんなからは慕われてる云々…。

それこそ近所や親戚を含め、友達とその親、学校の教師に至るまで、ほとんどすべての人から、”絶賛”に近い褒め言葉を日常的に耳にしていた。

「お宅のお嬢さんが羨ましいわ。うちの子に爪の垢でも煎じて飲ませたいわ」は定番だった。

およそ自分の娘を悪く言われたという記憶がないのだ。

お転婆この上なく、ハラハラさせられることは多いが、美沙もそんな長女ケイコが自慢だったし、我が子ながら全幅の信頼を置いていた。


...



ところが、高校に進学してからは、タチの悪い連中との交友関係があからさまで、外泊は日常茶飯事となっていた。

仕事上夫は海外赴任が長く、女親一人というのも、美沙にはプレッシャーになっていたのだろう。

今年の春に夫が一時帰国した際は、交友関係や外泊が頻繁なことを相談した。

夫の洋介も、「日本を発つ時まで様子を見た上で、オレから本人に正してみるか…」と言ってくれた。

しかし、洋介は滞在中に何人もの父兄やケイコの友人から、ケイコへの賛辞を聞かされた。

そしてそれは、単に褒めているのではなく、彼女へは尊敬に近い念を抱いていることが、相手から伝わってくるのだ。

「うちの子が不良連中から嫌がらせを受けてたら、競子ちゃんの一言でその不良たち、うちの子に謝りに来たわ。おたくの子にはなんてお礼言っていいのか…」

近所に住む、ケイコより一級下の男の子を持つ母親に駅で会った時、こう話しかけられた。

「他の学校でも、子供のいじめで悩んでるお母さんに競子ちゃんのこと言ったら、相談したらしくて。そしたらいじめっ子のボスが急にやさしくなっちゃって、この前会ったら、泣きながら感謝してましたよ。競子ちゃんに助けてもらったって」

”どうやら競子は、南玉連合というグループのトップにいることで、こういった相談事をいくつもの学校で解決しているようだ…”

母親の美沙はともかく、父親としては、弱きを助け、強きをくじく正義感は、たまらなくうれしいことだった。

小学五年の時、駅でひったくり逮捕に協力した新聞記事のスクラップは、今でもとってある。

洋介が赴任先に戻る直前、夫婦は再び話し合った。

「そういえば小学生の頃、門限守らないで帰りが夜遅くなったことあったな。裸足のまま、外に出して雨戸閉めたら、友達のお母さんから電話あってさ。子供が家のカギ落としたの、一緒に探してくれてありがとうって。すぐに雨戸開けたら、野良猫と遊んでた、あの子。泣きもせず…」

夫はしばらく、様子を見たらどうかと美沙に言った。

確かに美沙も、「おたくの競子ちゃんには感謝してるわ、立派よ」「うちの子も助けてもらったのよ」と声をかけらる機会が最近、とみに増えていた。

結局、あまり詮索はせず、しばらくは見守っていこうということになった。


...


この日、ケイコはまだ校庭にいた。

職員室の窓越しから、陸上部顧問の志田先生がそのケイコを見ていると、後ろには生活指導の女性教諭、松川先生がいた。

「あれ、2年の横田競子さんですかね」

「ええ、部に戻るって言ってきたんですよ」

松川先生は、微笑を浮かべて答えた。

「そうですか、良かったですね。お母さんもホッとしてるでしょうね」

そして、鉄棒と戯れているケイコに視線を送りながら、しみじみとした口調で言った。

「稀な子ですよ、あの生徒は。生活指導で生徒の父兄と会う時、よく横田さんの名前あがるんです。子供のいじめとか友人関係のトラブル、あの子が掛け持ってくれたって。あんな子、めったにいませんよ」

志田先生も頷きながら、松川先生の方を向いて言った。

「僕の知合いの中学の先生、横田の担任だったそうなんですが、あの子のいるクラスじゃあ、いじめとか全く起きないそうなんです、いつも」

...


夏休みのある日の午後、滝が丘高校校庭の片隅…。

ケイコは鉄棒で逆上がりをしながら呟いていた。

”学校はいいな…、やっぱり”と。






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