ヒートフルーツ【特別編集版第1部】/リアル80’S青春群像ストーリー♪
麻衣の回想~セルフ・リバック/その1
麻衣
ずいぶん長いことこうしてる
部屋の鏡を前に、自分の顔見続けて…
相馬会長も若い時、こうやって自分の顔見つめてたんだろう
私を初めて見たとき、懐かしい気がしたって言ってたんだよね
鏡に映ってた自分の眼と一緒だって…
若いころの、狂気に満ちたギラギラした眼光、おんなじ眼だったって
確かに”アブナイ眼”、してるわ、私(笑)
...
その会長とは出会ってから、わずか1年数か月してお別れだった
持病でこの夏、死んじゃった
不思議なんだが、悲しいとか寂しいとかは全くないんだよな
葬式んときも涙、全然でなかった
でも…
相馬豹一…、この人を私、たぶん愛してたと思う
年は親以上に離れてて、肉体関係とかはなくても、すごく繋がってた感じしてた
妙な感覚なんだけど、ホントそうなんだ
この一年ちょっとは実際、これ以上ないくらいの疾走感だった
とにかくそれは、相馬豹一にはじめて会った”あの日”、始った…
そしてその翌月、相和会総本部の庭先に呼ばれ、会長と二人で昼食を共にした時、私は稀代のイカレ極道からその神髄を包摂された
それは、カレの死生観を私自身が己に植え込んだということだったんだ
ははは…、今思い出すのは宴の終わり間際、会長が太平洋戦争末期に南太平洋沖へ出征したくだりを語ってくれた話しだよ
...
「俺は、ガキの頃からケモノのように生きたいと思っててな、学校あがるくらいには、もう暴れ放題だった。相手が誰だろうと、目の前にはだかる奴にはかたっぱしから嚙みついてた。その後、戦争になって、年端もいかないうちからよう、兵隊にさせろって親にせがんでたんだよ。全くなあ…。ハハハ…」
大昔の話でもこの人のこういうところ、自然と目に浮かぶなあ…
この人の場合、単なる若い頃の恐いもの知らずじゃないってのところがミソだ
「徴兵されたのは、もう終わりの方でな。親とかは泣いてたけど、俺は意気揚々だったさ。あの時は戦争に行くのは人を殺すとか、殺されるとか、そんな感覚じゃなかったんだ。なんか、本気で暴れられるってな、そっちの感覚だったな。すでに、イカレてたわけだ、俺はよ…」
まあ、こんな感覚で戦争行く人なんて、いないだろうな…
ホントにイカレてるよ、こりゃ
...
「結局よう、戦地辿り着く途中で、戦争終わっちまってな。そんで、そのまま引き揚げ船乗って、暴れずじまいだった。親は大喜びだったが…(笑)。考えてみれば、もうその時分には、今の死生観ができあがってたと思う」
この引き揚げ船のなかで、明石田の親分と運命の出会いがあったらしいんだ
...
「戻ってからは、有り余るエネルギーを爆発させる毎日だったよ。はたち過ぎで、体の奥からブクブクと音が聞こえるくらい、力が溢れかえっていたな。怖いものなしで、思いっきり暴れた。戦後の混乱期でな、ある意味、やりたい放題できたし、力がすんなり通じた時代だったんだろう。気が付くと、この世界に身を置いていた」
相馬さん、饒舌になればなるほど、食が進んでね…
今は、さっ食べた鮎の骨、かじってるわ…
「だがよう…、そこでも細かい算段なんかは吹っ飛ばしで、イケイケだったからなあ…。すぐに危険人物扱いされたよ、まあ、敵味方ひっくるめてな。そのうち、時代は高度成長期に入ってな…。ふん…、だけどよ、俺は相変わらずとんがってたぜ…。同年代の奴らが落着いちゃっても、俺はケモノさながらに日々、疾走だ。気分良かったぜ」
この人と私はすでに同化してる…、いや、どうかしてる…(笑)
体の芯がしびれるほど、そう感じていたわよ!
「まあ、いつ死んでも不思議じゃない状況は肌で感じていたが、それがかえってヒリヒリしてていいんだ。周りの連中は俺の命を守るのに必死だったよ。俺に、監視までつけてやがってさ、子分どもが…。極道の常識、完全ひっくり返してたな、あの時分から、もう」
相馬さん、私は今、この時点で確信した
私…、性別、年齢超えて、”この夏”、あんたの分身になる…
この日、本郷舞衣というイカれ娘は、リバースされた...
麻衣
ずいぶん長いことこうしてる
部屋の鏡を前に、自分の顔見続けて…
相馬会長も若い時、こうやって自分の顔見つめてたんだろう
私を初めて見たとき、懐かしい気がしたって言ってたんだよね
鏡に映ってた自分の眼と一緒だって…
若いころの、狂気に満ちたギラギラした眼光、おんなじ眼だったって
確かに”アブナイ眼”、してるわ、私(笑)
...
その会長とは出会ってから、わずか1年数か月してお別れだった
持病でこの夏、死んじゃった
不思議なんだが、悲しいとか寂しいとかは全くないんだよな
葬式んときも涙、全然でなかった
でも…
相馬豹一…、この人を私、たぶん愛してたと思う
年は親以上に離れてて、肉体関係とかはなくても、すごく繋がってた感じしてた
妙な感覚なんだけど、ホントそうなんだ
この一年ちょっとは実際、これ以上ないくらいの疾走感だった
とにかくそれは、相馬豹一にはじめて会った”あの日”、始った…
そしてその翌月、相和会総本部の庭先に呼ばれ、会長と二人で昼食を共にした時、私は稀代のイカレ極道からその神髄を包摂された
それは、カレの死生観を私自身が己に植え込んだということだったんだ
ははは…、今思い出すのは宴の終わり間際、会長が太平洋戦争末期に南太平洋沖へ出征したくだりを語ってくれた話しだよ
...
「俺は、ガキの頃からケモノのように生きたいと思っててな、学校あがるくらいには、もう暴れ放題だった。相手が誰だろうと、目の前にはだかる奴にはかたっぱしから嚙みついてた。その後、戦争になって、年端もいかないうちからよう、兵隊にさせろって親にせがんでたんだよ。全くなあ…。ハハハ…」
大昔の話でもこの人のこういうところ、自然と目に浮かぶなあ…
この人の場合、単なる若い頃の恐いもの知らずじゃないってのところがミソだ
「徴兵されたのは、もう終わりの方でな。親とかは泣いてたけど、俺は意気揚々だったさ。あの時は戦争に行くのは人を殺すとか、殺されるとか、そんな感覚じゃなかったんだ。なんか、本気で暴れられるってな、そっちの感覚だったな。すでに、イカレてたわけだ、俺はよ…」
まあ、こんな感覚で戦争行く人なんて、いないだろうな…
ホントにイカレてるよ、こりゃ
...
「結局よう、戦地辿り着く途中で、戦争終わっちまってな。そんで、そのまま引き揚げ船乗って、暴れずじまいだった。親は大喜びだったが…(笑)。考えてみれば、もうその時分には、今の死生観ができあがってたと思う」
この引き揚げ船のなかで、明石田の親分と運命の出会いがあったらしいんだ
...
「戻ってからは、有り余るエネルギーを爆発させる毎日だったよ。はたち過ぎで、体の奥からブクブクと音が聞こえるくらい、力が溢れかえっていたな。怖いものなしで、思いっきり暴れた。戦後の混乱期でな、ある意味、やりたい放題できたし、力がすんなり通じた時代だったんだろう。気が付くと、この世界に身を置いていた」
相馬さん、饒舌になればなるほど、食が進んでね…
今は、さっ食べた鮎の骨、かじってるわ…
「だがよう…、そこでも細かい算段なんかは吹っ飛ばしで、イケイケだったからなあ…。すぐに危険人物扱いされたよ、まあ、敵味方ひっくるめてな。そのうち、時代は高度成長期に入ってな…。ふん…、だけどよ、俺は相変わらずとんがってたぜ…。同年代の奴らが落着いちゃっても、俺はケモノさながらに日々、疾走だ。気分良かったぜ」
この人と私はすでに同化してる…、いや、どうかしてる…(笑)
体の芯がしびれるほど、そう感じていたわよ!
「まあ、いつ死んでも不思議じゃない状況は肌で感じていたが、それがかえってヒリヒリしてていいんだ。周りの連中は俺の命を守るのに必死だったよ。俺に、監視までつけてやがってさ、子分どもが…。極道の常識、完全ひっくり返してたな、あの時分から、もう」
相馬さん、私は今、この時点で確信した
私…、性別、年齢超えて、”この夏”、あんたの分身になる…
この日、本郷舞衣というイカれ娘は、リバースされた...