引きこもり令嬢は皇妃になんてなりたくない!~強面皇帝の溺愛が駄々漏れで困ります~2
 皇妃としての仕事は、とても大切だ。
 それから数日も、毎日どこかしらに予定が入っているという忙しさで、あっという間に感じた。
 エレスティアに与えられているのは、皇妃としての公務に慣れてもらうための〝ほんの初級〟の仕事であり、元引きこもり令嬢ながら彼女なりにがんばろうと思って向き合ってもいる。
 だが、この日は反省点がありすぎて、宮殿の控室に戻った時には赤面していた。
「あっははは! ワンドルフ女大公も、ぽかんとしていましたわね」
 アイリーシャが、珍しく声を上げて笑った。
「め、面目なく……」
 エレスティアは恥ずかしすぎて、ぷしゅ~っと音を上げて縮こまる。控室で待っていたピィちゃんが、その肩にとまり、彼女の顔を覗き込みながら不思議がっていた。
 本日の午後、エレスティアは皇妃として、賢女と知られているシェレスタ王国のワンドルフ女大公と初めて会談した。
 彼女は女性の身でありながら当主を務め、現役の国王側近でもある。
 皇妃に興味があると彼女が国王を通して申し入れをし、それを皇国側が受理して急きょ実現した。
 そのスピード感は魔法大国ゆえだろう。転移魔法を駆使し、各地に設けられている装置を使って王都まで来るので数日程度でさくっと来られる。
「ふ、ふふっ、エレスティア様はほんと欲がないですわね」
「だ、だって願いと聞かれても咄嗟に好きな読書くらいしか浮かばなくて」
 国に特別招待されることがあったら図書館に立ち寄って本を読みたい、と答えたら大笑いされてしまったのだ。
「やはり観光地のことを答えるべきでしたよね? ごめんなさい、名所に大図書館もございましたので問題ないと思って答えてしまったのですが失敗してしまったみたい……」
「ふふふっ、そこではなくて、ふふっ、それは無料で達成される願いですわね」
「あ……」
 先程は女性しか入れない場だったので、アイリーシャは侍女たちと共に同席し、社交に不慣れなエレスティアをサポートしてくれていた。彼女は心獣まで持った優秀な魔法師であり、かなりの護衛力になる。
「よい意味で笑ったのですわ。あの鉄壁にして完璧の女大公が噴き出して大笑いするなんて、味方になってくれる吉兆ですわよ。もし味方になってくれたのなら、何かあればエレスティア様の大きな助けになりましょう」
 皇妃になってから続く各国の要人からの会談の希望。エレスティアに負担がないよう側近たちが選びつつ引き合わせているのも、今後本格化していく国交活動のため彼女の味方になってくれる権力者を国外につくる意味も兼ねている。
 謁見室で初めて対面したワンドルフ女大公は、男性の装いをしていた。
 エレスティアには、女性なのに〝男性的な美〟を持った凛々しい人だという印象が強かった。女性的な品のよさも特注の衣装には表れていて、夫と子がいる一人の女性であることはその柔らかな雰囲気に漂っているとも感じた。
『あなたのような愛らしく美しい皇妃とは、思いもしませんでした。挨拶の口づけを送っても?』
 入室前、出会い頭のそのやり取りにアインスが目をむいていたが。
(そうよね。女性が女性にすることはないから、私もどきどきしてしまったのよね)
 たぶん、アインスはそれに驚いたのだろうとエレスティアは思っている。
 ワンドルフ女大公の来訪において茶会は名目で、シェレスタ王国との国交を深めるための会談でもある。
 シェレスタ王国は、政治力でもかなりの国々へ発言権を持っているが、どの大国に対しても中立派のままだった。皇妃に興味を持って女大公から茶会の要望が届いた時、今後の国交によい一石を投じる結果になってくれればと、エンブリアナ皇国としては期待してもいた。
「でも、ピィちゃんがたまたまいなくて残念だったわ」
 エレスティアは、肩のピィちゃんに人さし指を近づけながら言った。ピィちゃんが察して、ひょいと指に乗ってくれる。
「そうですわね。国内初の小鳥姿の心獣を、女大公も興味を示していましたからね」
 アイリーシャも侍女に紅茶の追加を指示しながら苦笑した。
「気まぐれなのは心獣の特徴ですが、この子は……どちらかというと、三歳児みたいな感じですわよね」
「それは……否定できませんわね」
 好奇心が起こると即行動し、おやつには目がなくて侍女たちが用意しているそばから食い逃げしたり、遊んでいたかなと思ったら急に満足して眠っていたりする。
 先日なんて、公務中に姿が見えないなと思っていたら、一つ目に訪れていた応接室で立ち寝をして、そのままソファの後ろにひっくり返っていたのだ。
 それに気づいたのが、間もなくそこで会談が入っていたジルヴェストだ。着席する直前に彼がもしやあれはという感じで屈み、『なんだこれは』という感じでつまみ上げたのを側近たち全員が目撃したとか。
『寝落ちたという顔をして、焦って飛んでいく心獣を初めて見た』
『皇帝陛下も心獣の寝落ちに、やや驚きを隠せずその現象を〝これ〟とおっしゃっていた』
 などと噂になり、それを宮殿に来た際にワンドルフ女大公は耳にしたようだ。
「眠って落ちるのは心配よね。怪(け)我(が)をしてしまうかもしれませんし」
「はぁ、あまりにも柔らかなボディなのでそれはなさそうですが、まぁ、警戒心のなさはどうにかした方がいいかもしれませんわね」
「でも、どうしたら……?」
 ピィちゃんを眺めながら話していた二人は、同時に首をかしげる。
 室内に配置されている侍女たちが、苦しそうな表情をして顔を少し背ける。
「くっ、ツッコミのアインス様がいらっしゃらないと、あのアイリーシャ様も皇妃ののんびりペースに巻き込まれてしまいますわっ」
「そもそも寝るのがおかしいのですよね、普段お菓子をあげていると感覚が麻痺しそう……」
「アインス様、早くご報告から戻っていらっしゃらないかしらっ?」
 それを耳にしたアイリーシャが、ハタと顔を上げて控えめに咳払いをした。
「わたくしとしたことが、小動物の愛らしさにうっかりしていましたわ」
「何がですの?」
「いえ、ピィちゃんは本当に人懐っこい心獣ですわよね」
 はぐらかすようにそう言って、アイリーシャがピィちゃんの頭を指の腹で撫で撫でする。
「でも――当の女大公様が、皇帝に興味を示さないのは痛いですわよねぇ」
 アイリーシャが会談を思い返して小さく息を吐いた。
「ああ、そういえば皇帝の話になったら、さらりと話題を変えられましたわね」
「アレは全身で『興味がない』と語っていたも同然です。ワンドルフ女大公は、シェレスタ王国の三分の一の政治力と軍事力への影響力を持った女君主、と言っても過言ではないですから、皇帝陛下にとっても味方について欲しいお方ではあるのです」
 とても凛々しいとは感じていたが、それほどまでの人物だとは知らなかった。
「ごめんなさい。先に知っておくべきでしたわね。いただいた資料以外にも自分で目を通して――」
「いえ、あえて『あとで教えるように』とアインス様から指示がありましたの。エレスティア様は、何も悪くないですわ」
「えっ」
 なぜ、とエレスティアは思った。
 アイリーシャは、アインスとのことを思い出しているのかティーカップを取った際、その中にため息を小さく落としていた。
 アインスは無表情が基本なので、何を考えているのかよくわからないことが多い。
 とはいえジルヴェストから信頼され、実績も確かだった。エレスティアも皇妃になるまで彼の判断には助けられていて、何か理由があっての指示だろうと思えた。
(そこは知らない状態で話した方がよいと彼が判断してのことなら――それでいいわ)
 エレスティアも過剰な緊張もなく、和やかに会談を終えられた。
 すると、二人で紅茶を飲んでいたところにアインスが戻ってきた。
「それでは、わたくしはこれで」
 他にもやることがあるアイリーシャが速やかに立ち上がり、あとを任せて退出する。
「おや。私が離れていたほんの数分で、本のラインナップが変わっておりますね」
 アインスが、サイドテーブルを見て片眉を軽く引き上げた。
「あ、あはは……えと、いただいてしまったのです。ここで休憩をしているだけで三回ほど本の贈り物があって…………廊下に出たらまたバルボック様にも突撃されそう……」
 アイリーシャには言えなかったが、エレスティアが参っているのを察してじーっと見つめてきたアインスに、実はという感じで移動に気が乗らない心境も吐露した。
 アインスが離れている間、アイリーシャがそばにいるのは、護衛だけでなく贈り物の対応も兼ねていた。彼女は害を加える魔法がかかっていないか、毒物が仕込まれていないかを完璧に見抜ける女性魔法師の一人である――という、ジルヴェストやアインス、彼女の取り巻きの令嬢たちのお墨つきがある。
 これまで最弱の魔法師だと笑っていた貴族たちがエレスティアへの態度を一変して、こぞって機嫌を取ろうとしてくるのだ。露骨に気に入られたがって本を紹介したり、実際にその本を贈ったりしてくることが続いていた。
 嫌な気持ちと折り合いをつけて、皇妃としてあたり障りなく対応しているところだが、落ち着く気配がないどころか暇な貴族たちのアピール合戦は加熱して参ってもいる。
 中でも、先週から一番困らせているのはバルボック卿だ。
 宮殿内の移動中にも『この前話したのは覚えていますかな』と話しかけてくるなど、数日越しにしつこくつきまとわれて、エレスティアもさすがに困っている。
「ご安心ください。バルボック様も、先日社交場でオヴェール公爵閣下にボッコボコにされておりましたから、もうおとなしくされるかと」
「え? なんですって?」
「ですから、ボッコボコです」
 わざわざアインスがもう一度言ってきた。
 無表情で手振りを交えて伝えられたエレスティアは、ハッと想像し、血の気が引いた。
 エレスティアの父、ドーランは魔力量が皇帝の次にあるといわれている人だ。魔力により、息を吸うように肉体強化もできる才能を持っていて、床を一撃で叩き割れる。
「ま、まさか、軍人であるお父様の拳を……!?」
「そんなことになったら相手は死んでます。違います。さすがはオヴェール公爵閣下、と思わざるを得ない話術でした」
「あ、なんだ、よかった……」
「よかったかどうかはわかりませんね。たまたま目撃したのですが、バルボック様は実におかわいそうでした」
 いったい、ほんとに何があったのだろう。
「アインス様が『ボッコボコに』とおっしゃっているのも、ものすごく気になってきましたわ」
「私もまさか使うとは思っておりませんでした。そのあとの兄上様たちのコンボもすさまじく、彼らに合流されたバルボック様は本当に不運といいますか。相手を探し出しては、笑顔で次々に心を砕き折っていくさまはかえって痛快でした」
 優しい兄たちは社交の場でそんなことをしているのか。
(というか、全然イメージがないのだけれど)
 困惑するエレスティアに、アインスが追って報告する。
「目撃した際、私も問答無用でお二人の活動に引き込まれました」
「え? アインス様も?」
「兄上様たちは、タッグを組むと最悪ですよ」
 アインスは「いえ、最強です」と言い直した。
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