仕事好きな狂人

悠里

***

 朝、目が覚めて、ご飯を食べる。用意を済まし、仕事へ向かう。

 子どもたちと生活を共にしながら、一分、一秒で変わる状況を無事に乗り切り、翌日の準備も済ませて帰宅する。

 疲れ果てた体に栄養素を詰め込み、ベタベタになった汗を洗い流す。

 何もする気が起きず、布団に入り、眠りにつく。そしてまた、朝が来て、仕事に行く。

 そんな毎日を繰り返し、一瞬で休日がやってきた。正直、社会人になってからは、休日は体を休める日にしたい気持ちでいっぱいだったが、なんだかんだで予定が入る。

 短大を卒業したため、周りはまだ学生の友達がほとんどだ。そんな状況もあり、まだ学生気分も抜け切れず、今日は約一年ぶりに幼馴染とご飯に行く約束をした。

「お疲れ雪恵」

「久しぶり、悠里(ゆうり)。なんか可愛くなったね」

 小学生の頃から仲の良かった彼女は、少し会わないうちに、雰囲気が大きく変わっていた。

 高卒で働き始めた彼女は、以前まで黒髪ロングを後ろで縛っているような様子だったが、髪は肩までばっさりと切り落とされ、首の後ろにかけて金のインナーカラーが入っていた。

 化粧も少し派手さが出てきて、指には綺麗なネイルが伸びている。

「本当? ありがと。実は仕事辞めたんよね」

「え! そうなの!?」

 会って早々に話は盛り上がり、私たちは予約をしていた店に入った。

 なかなか会う機会がない分、溜まっていた話題は多い。

 続きを早く聞きたかったが、よりじっくりと話すためにも、先に料理を注文した。

 最近話題になっていたパスタのお店だったため、私はレモンのペペロンチーノのサラダセットを、悠里はトマトクリームパスタのピザセットを頼んでいた。

 待っている間、運ばれてきた水に口をつけつつ、先程の話題を掘り下げる。

「全然知らなかった。いつ辞めたの?」

「いつだっけ? 春くらいかな? 四十度近い熱出てたのにさぁ、あのクソ上司がそれでも出勤しろってうるさくて。耐えられなくて退職代行使って辞めたわ」

 さっぱりと話す彼女は、もう何も気にしていない口調。髪の毛の一部を指でクルクルと回し、枝毛を探している姿は、正直、本音か嘘かわからなかった。

「そうだったんだ。でも、確か前も言ってたよね、上司の話」

「そうそう。やばいよ、あいつ。気分によって人に怒鳴り散らすし、あれは結婚できてなくて当然だね。というか、会社自体やばい。労働時間もおかしい。辞めて正解だったわ」

 去年もその前も、確かに会う度に上司の愚痴は聞いていた。漫画に出てくる、昭和親父のような典型的な上司。

 愚痴を言うのは当然とも思えるほどの内容に、毎回私も一緒に文句を言いあって、彼女のストレスを発散させることしかできなかった。

 それほど大嫌いな上司ということは知っていたが、それでも悠里は、何だかんだこれまで仕事を続けていた。

 そのため、愚痴は話題の一つとなっているのかと思いかけてきていたが、やはり負担は大きかったのだろう。

「まあ、今でこそ、こうやって気軽に話せるくらいにはなったけどさ、当時は本当に精神的にきてたんだよね。体調不良も相まって、怖い、もう話したくない、会いたくない、顔も見たくないって思ってさ。

すんなり辞めさせてくれる便利なシステムがあるのなら、いくら金をつぎ込んででも利用してやろうと思って、わざわざ退職代行にお願いして辞めたんだよね」

 彼女は過去の自分を鼻で笑うような表情を見せて言った。

 弱いところをあまり見せるような人ではなかったからこそ、辞めることを決断した時は余程辛かったことが容易に想像できる。

「辛かったね……。でも辞める決断して行動する勇気を出したのは、本当に凄いと思う」

 少し気遣ってそう伝えたところで、セットで注文したサラダが届いた。程なくして悠里の元にも小さなピザが来る。店員が去ったところで、彼女は笑ってピザカッターを手に取った。

「もう、そんなしんみりしないでよー。大丈夫、今はもう吹っ切れてるし。それに私、次は資格取ろうと思ってるんだよね」

 皿とピザカッターを擦り合わせるように、カチャカチャと音を鳴らしてピザに切れ目が入る。私もサラダにフォークを刺しながら聞いた。

「資格? 何の?」

「いや、具体的にはまだ決めてないけど、化粧品関係か美容師か、ネイリストもいいかなって。仕事から解放されて、好き放題容姿いじってたら、美容に興味湧いてきてさ」

 八分の一に切ったピザを、彼女が一口で頬張るのと同時に、私もサラダを口に運んだ。

 飾りのように乗せられていたサラダチキンがやたら美味しい。

「そっか。でも前に進んでるのなら安心した」

 飲み込んですぐ、私は答える。彼女も口を動かしながら微笑んでいた。

「まあ、私の近況はそんな感じよ。雪恵はどうなの? 仕事始めてから会ったの、今日が初だけど」

 確かに、以前会った時はまだ学生だったのかとしみじみ思う。でも、本題はそれではない。

 どう伝えるか、一瞬迷ってから答えを出した。

「んー、やっぱり大変だよ〜。毎日疲労感が強くて……」


 ははっと軽く笑って流す。悠里は、わかると言いたげに頷いていた。

「いや、そりゃ保育士なんて肉体労働だから毎日大変だよね。私は子ども苦手だから絶対無理だわ。保育園って地獄絵図しか想像できないんだけど、可愛いって思えるものなの?」

 悠里は昔から子どもが苦手だ。恐らく、あまり関わったことがないからという理由が大きいのだと思う。

「可愛いよ。めちゃくちゃ可愛いの。毎日ね、『先生大好き』って言ってくれるんだよ」

 これは本心だった。私が仕事をどう思っているかの質問ではない。私が子どもたちのことをどう思っているかの問いだからこそ、素直になれたのかもしれない。

 正直、昔より今の方が、子どもたちを可愛いと思っている自分がいる。

 いくら大変であっても、愛おしくてたまらない。

 そう思うことができているのは、人間関係も良く、安心して働ける環境だからこそだとは思うが。

 そんな一言で、悠里は何かを察したような表情になった。
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