シリウスをさがして…
この日この瞬間は戻らない
大越家族が車で自宅に着き、それぞれの荷物を運び入れていた。
紗栄は悠灯と一緒にリビングに行ってくつろいだ。
さとしは、自前の剣道の防具や竹刀を倉庫に持っていく。陸斗は一緒に荷物運びをした。
「あー、ごめん。はい、受け取るよ。」
「ねぇ、父さん。家族みたいに楽しかったね。あのお店。」
「そぉ?楽しかったようで何より。と言うか、陸斗の場合は洸と絡んでただけだろ?洸は従兄だから当たり前だろって。」
「あ、まあ。そうだけどさ。」
さとしは後頭部をかいた。
「あ、あと、陸斗…。紬ちゃんのことなんだけどさ。」
「え、紬? うん。」
「お付き合いするのやめといた方が良いかなと思って…ほら、俺と遼平って元仕事仲間ってこともあって、あと、知ってると思うけど、週刊誌事件もあったから、あまり関わるとマスコミに追われるからさ。」
「え……。」
「今すぐにどうこうじゃなくて良いから、だんだんとフェードアウトって感じで。困るのは俺とかじゃなくて、紬ちゃん本人で、傷つくかもしれないし。」
「は!? 俺、そう言うのできないから。ちょっと父さんの言うこと信じられない。」
陸斗は怒りが込み上げてきた。
自分の部屋に戻る途中で、廊下の壁にグーでパンチした。少し白い壁が小さくへこんだ。
想いがまっすぐにあった。
紬と別れなければならないと言われても納得できなかった。
さとしは立ち去っていく陸斗を説得できなかったのを悔やんだ。
あたまを大きくうなだれた。
「陸斗…。」
(あのまま、紬ちゃんと陸斗付き合い続けて、結婚しますまで行ったら、俺はどんな顔して谷口家と付き合わなきゃなんないだよ。もしかしたら、兄妹かもしれないのに…。)
倉庫の扉をパチンと閉めて、さとしは複雑な気持ちのまま、家の中に入った。
ーーー
陸斗はブレザーをハンガーにかけて、着替えずに部屋のベッドにどかっと横になった。
(なんで、父さんにあんなこと言われなきゃなんないだよ。マスコミ? 確か週刊誌に追われたって話あったけどなんだっけかな。)
陸斗はポケットからスマホを取り出し、ネット検索で大越さとしの芸名でもあった『SATOSHI』とタップした。
すると、出てくる出てくる過去の『不倫』の文字やら結構な数の誹謗中傷。
デジタルタトュー。消しても消してもイタチごっこで不可能に近かった。
裁判を起こして、完全に消すこともできたが、膨大なお金をかけてやる必要とない。
こう言うこともあり、さとしは業界から身を引いた。
現場となった写真や動画、週刊誌ニュースや、妻の紗栄である器の広い対応で絶賛するファンたち。
モザイクがかかって分かりづらいが、不倫相手は森野くるみと表示されている。
さらに、その名前を検索機能で追っていくと、今度は森野くるみは読者モデルだとか書いてある。
次々とInstagramリンクに飛んでいくと、森野くるみのモデル時代の写真が出回っている。
顔をよく見ると紬の眼鏡をしてない顔にかなり似ていた。
ほくろの位置で、紬のお母さんだと言うことがすぐにわかった。
やっと繋がった。
父であるさとしがあまり関わるなと言うことが何となく理解してきた。
本当はあの食事会も内心気まずい思いしていたんじゃないかと息子ながらに勘付いてしまった。
社交辞令の大人なお付き合い。
何となく胸の奥がソワソワする。
真実じゃない関係って何だろう。
親にとっては陸斗と紬と付き合うことはかなりストレスであるということ。
でも、親にそう言われても、陸斗は紬への気持ちは変わらなかった。
ダメと言われれば言われるほど、ダメな方を選択してしまうのはなぜだろう。
陸斗はいろんなことがありすぎて、几帳面な性格の陸斗が珍しく、お風呂に入ることもせずに、そのまま朝まで眠りについた。
ーーー
数日後、紗栄はリビングで東京から送られてきた書類に目を通した。
マグカップのコーヒーを飲む。
さとしはいつも通りに朝食を作っていた。
「何読んでるの?」
「えっと…何か番組の企画で芸能人の健康診断してみようのオファーかな。どうしようかと迷ってた。人間ドックみたいな感じをするんだって。」
「へぇー。普段健康診断まともに受けられないんだもの。やってみたら?」
「乳がんとか言われたらショックだけど…。」
「大丈夫っしょ? 今の時点で何も具合悪いところないんだから。」
「そうなんだけどさ。この、提出書類多すぎなんだよ。前もって受けてくださいって、言うのがあってさ。胃カメラとかは取材カメラ入るみたいだけど、地味に血液検査とかって…。」
「まあまあ。良い機会だもの。やってみなよ。」
「そうだね。」
さとしは、2人分の食事をテーブルに置いて、黙々とご飯を食べ始める。
紗栄も書類を見てからご飯に手をつけはじめた。
すると、バタバタの物音が聞こえてくる。陸斗の部屋からだった。
「うわ、寝坊した。やばー!」
「あれ、今日、学校だっけ?」
「バイトのことじゃないの?」
服を慌てて着替えた陸斗が部屋から出てきた。
「おはよー。時間ないからもう行くね。行ってきます!」
「あ、ご飯いらないの?」
紗栄が言う。
「外で食べるから良い!」
何となく数日前のこともあって、ここ数日、父のさとしと絡みたくなかった陸斗はすぐに家を出た。
玄関のドアがバタンと閉まる。
「慌てん坊だな。大丈夫かな。」
その頃の悠灯は、目覚まし時計もつけずに朝寝をしていた。
***
「ごめん、お待たせ。」
両親にはバイトだとごまかして、陸斗は紬と会う約束をしていた。
髪をとかす余裕もなかった陸斗は息があがっていた。紬はクスッと笑った。
「ちょっと屈んで!」
不思議に思った陸斗は紬の高さに合わせて、屈んでみせた。
紬はぴょんっとカーブを描いた寝癖をとかして直してあげた。
「あ、ああ。ごめん。ありがとう。」
少し照れている。
「ううん。大丈夫。お腹大丈夫?」
立ち上がった瞬間に大きな音がお腹の方から聞こえてきた。朝ごはんを食べずに出てきたため、お腹が鳴った。
「めっちゃお腹空いてて…我ながら大失態で寝坊したのよ。どこか軽く食べて良い?」
「うん。珍しいね。寝坊…。」
「ちょっとね。疲れてるんのかな。」
駅の中で待ち合わせしていた2人は改札口周辺にあった立ち食い蕎麦のお店に入った。
紬も一緒に1番シンプルで安いかけうどんを食べた。
出汁が効いていて味わい深かった。
「何か、ごめん。デートなのに立ち食い蕎麦屋でうどんって…。」
「別にいいよ。私、うどんもそばも好きだし。気にしないで。ちょうど、私も朝ごはん食べてなかったよ。」
陸斗は雰囲気とかを考えたつもりだったが、紬は許容範囲が広く何でも良いと思っていた。
本当は軽くパンをつまんで来ていたが、一緒に食べたい気持ちがあったため、優しい嘘をついた。
「良かった。美味しければ良いよね。同じ気持ちで安心するわ。」
人によってはデートはオシャレな場所とか、カフェとかこだわる人もいる。
陸斗は紬の考えが聞けて良かった。
女子は特に見た目や金額とか気にする人もいるだろうなと妹の悠灯や、母親の紗栄の考えで学んでいた。
女系家族で育つ男子は細かいところによく気がつくが、気がつくことで、苦しくなる部分もある。
鈍感な方が良かったと思う部分も
あった。
食事の会計を終えて、店を出ると
「あれ、今日ってどこに行くんだっけ。ごめん、約束してたのに何するか覚えてなくて…。」
「陸斗先輩、そんなに忙しかったの?」
「うん、まあ。康範にバイトの引き継ぎしてからちょっとね。キャパが溢れてたかな。学校の抜き打ちテストもあったから、神経使ったかも。」
「無理…してる?」
「いや、大丈夫。リフレッシュしたかったから、平気平気。んで、どこだっけ?」
「映画…だよ。地下鉄乗って、長町モールに行くって話だったかな。」
「そうそう。そうだった。新作の3D映画、観たいって言ってたんだよね。ごめん、思い出した。んじゃ、地下通路行こうか。」
横から陸斗の顔をのぞくと、目の下にクマができていることに気づく。紬は少し、陸斗の体調が心配だった。
小走りで後ろを着いて歩く。
少し歩くペースが早かった。
「あ、ごめん。早かったよね。」
さりげなく、左手を差し出す。
紬は追いかけて右手を伸ばして、手を繋いだ。
「今週、全然、図書室行けなくてごめんね。いろいろあって行けなかった。」
「ううん。大丈夫。ラインのスタンプ来てたから…。」
この1週間、忙しすぎてライン交換することさえも億劫に感じていた陸斗はとりあえず、毎日スタンプくらいは送っていた。
変顔や動物、キャラクターのスタンプで同じスタンプは送らないようにした。
元々、まめに連絡を交換する性格ではない陸斗は頑張って送っていた方だった。
紬も、忙しいのかなと考えながら、返事は遠慮がちだった。
どうにか今日の予定だけは連絡できた。
「絶対、不満あるよね。返事少ないし…。」
「無いわけじゃない。」
「会えてるからいいでしょ?」
「……。」
「俺さ、あまりまめに返事を返せないのよ。前にも説明したけど。もし、話したかったら、電話とか直接会おう?」
「電話かけたけど…出てくれなかった。」
「あ、あー。一昨日の不在着信? あれ、もう、寝落ちしてて、気づいたのが朝だったからさ。ごめんね。」
「うー…。」
「うさぎ?」
「ぎょうざ…。」
「ざ、ざ、ざくろ。」
「ろー、…って別に私はしりとりしたくて、うって言ったわけじゃないよ。」
頬を膨らませて、怒り出す。
「わかった。んじゃ、今日は1日一緒にいるから。夕方まで。時間、許す限り。それじゃ、ダメ?」
「う、うん。それなら良いよ!」
膨らませて頬を縮ませようとしたら、陸斗が歩きながら、紬の頬を人差し指で突いた。
「むー!」
少し痛かった紬は頬をまた膨らませる。陸斗はそんな仕草を愛しく思えて笑顔がこぼれた。
「映画見たら、パンケーキのお店行こう?何か悠灯が良かったよって教えてくれた店があって…。」
「へぇ~。妹ちゃんそう言うの好きなの?」
「母さんと2人で行ったんだって。ほら、これ。」
陸斗はインスタのカフェ写真を見せた。紬は体を寄せてスマホ画面を見せる。
紬は目をキラキラさせて、喜んだ。
「美味しそう。良いね。行きたい!」
手繋ぎから腕を組んだ。行く場所を考えてくれるだけで嬉しかった。
喜ぶ笑顔を見れて、陸斗は頬をほんの少し赤くした。
改札を通って、地下鉄に乗り、最寄りのデパートに着いた。たくさんの乗客とお客さんに囲まれて、少々、気疲れしたのが、紬は話せなくなった。
呼吸が荒くなる。
いつもだと大丈夫だったのに、家族と出かける時は平気だった。
でも、まだ陸斗と打ち解けられないな何があるのか、紬は不安を覚える。
陸斗の思いを何か感じとったのかもしれない。
デパートと映画館の間にある連絡通路の端っこで、しゃがんでしまった。
「紬?大丈夫?」
プラネタリウムの時は全然平気だったのに、今日のお客さんの数は半端なかった。人混みが苦手な紬は、手すりにつかまって呼吸を整える。
深呼吸をして、落ち着かせた。
「うん。ちょっと休めば…。」
「無理すんなよ。あそこにベンチあるから座ろう。」
警戒心が強く、周りの気を読みやすい紬は、気疲れしやすかった。
「あ、ありがとう。」
「映画、やめとく?」
「でも、行きたい。」
「…ちょっと待ってて。」
紬を1人ベンチに残して、陸斗は自販機に行った。ミネラルウォーターのペットボトルを買ってきてくれた。
「ほら、これ飲んで。汗かいてるし、ごめん、大きいタオルしかないけど…ハンカチ持ち歩いてないから。」
バックにたまたま入ってたタオルを出して、紬の汗を拭いてあげた。
ペットボトルのふたをあけてゆっくり水を飲んだ。
透き通った水が体を潤してくれる。
体も整って、息も落ち着いてきた。
「ふぅ。ありがとう。何とか平気。落ち着いてきた。私たちの見る映画、たぶんそこまで有名じゃないから混まないと思うし、行くよ。だって、しばらく来れない気がするから。」
「……うん。そうだね。大丈夫ならいいんだけど。ダメそうなら言ってよ。」
陸斗は、心配そうに見つめながら、バックのチャックを閉めた。
「うん。」
2人は映画のチケットを購入し、フードドリンクコーナーの飲み物とキャラメル味のポップコーンを買うと、トレイを陸斗が代わりに持ってくれた。
チケットを紬が代わりに2枚持って受付に渡した。
入場アナウンスはすでに終わっており、上映開始時刻が5分前になっていた。
「暗くなるよね。間に合うかな。」
「大丈夫、暗い方が私にとっては好都合。周りに目立たないから。」
「そっか。ならゆっくりでもいいか。」
今日見る映画は、恋愛要素のアクションの戦うアクションがあるスリル満点の洋画だった。一昔流行ったものだったもので、鑑賞するお客さんもまばらでほぼ貸切に近かった。
Cー13とCー14の座席にした。
なるべく一目につかない位置を選んだ。
座席横に紬はミルクティー、陸斗はコーラをセットした。真ん中にはポップコーンをおけるプレートを置いた。
ついてすぐにシアター内が暗くなった。
予告映画が次々と上映されていくと、本編が始まった。
飲みものを飲みながら、映画鑑賞を楽しんだ。
人気が引いた館内は紬の気持ちも落ち着いていた。良からぬ思いが働いて、何だか胸がザワザワしていた。
見ている中盤あたりで、主人公がのんびりと長く移動しているシーンに陸斗が屈んで、こちらを見てくる。
小声で
「なに?」
だんだんと間延びした映画に飽きてきたらしく上のお客さんから見えないように必死で隠れていた。
「何しているの?」
「紬、目、つぶって!」
「え?」
映画そっちのけで目をつぶった。映画を見にきたはずなのに疑問を感じながら。
陸斗は遊び心のある鳥のようにそっとキスをした。
目を開けると、目の前に顔があって暗いはずなのにはっきり相手の気持ちがわかる。今、すごくドキドキしている。
陸斗は紬の頭に手を添えて、暗いから誰も見てないだろうと夢中になって何度も口づけを交わした。タガが外れた。
陸斗の唇で、紬の上唇を挟んだ。
自分たちがまるで映画のワンシーンに入ったかとシンクロするようにスクリーンにも同じシーンが流れていた。
もう、映画の内容なんて頭に入ってこない。
キスの味は甘く香ばしいキャラメルな味になっていた。
さっき食べたポップコーンの味だったことを思い出す。
お互いに笑みがこぼれる。
指と指の絡める手を繋ぎ、体を寄せて、陸斗の左肩に頭をこつんと乗せて、映画の続きを見続けた。
ストーリーはわからなかったが、その一緒にいるその空間、その瞬間が愛しく
ずっと止まって欲しかった。
映画を見終えて、会場は明るくなった。眩しくて目が眩んだ。
「終わったね。」
身の回りのものをかたづけて、
席をたつ。
頬を赤らめて、頷いた。
「行こうか。」
恥ずかしさがあるのか急足に出入り口に進んでいく。
慌てて、紬は着いていく。
陸斗は後ろを見ずに、トレイを持って進んでいく。
片付けのカウンターにトレイを乗せると軽くなった左手を差し伸べた。
手をパタパタと振る。
紬は右手を伸ばした。
またギュッと絡めた手を繋いだ。
「次は、パンケーキ屋だよね。」
「うん。」
頭のアホ毛をそっと撫でて、直した。
「ありがとう。」
「地下鉄行こうか。」
「うん。」
何気ないさりげない仕草や動作だけですごく嬉しかった。沈黙が続いていても平気だった。安心しきっていた。
一緒にいて、手を繋いでそれだけでよかったのに。
その時間はもう来ないかもしれないとなんとなく予感がしていた紬。
パンケーキ屋さんでも、あまり話すことはなかった。
出てきたおしゃれなメニューをスマホに残したり、外の様子を頬杖ついて物思いにふける陸斗の姿を音無しで写真を撮っていた。
紬もニコニコ笑顔でパンケーキを食べて頬に生クリームをつける姿をこちらも音無しで撮影した。
2人とも一緒にいるのに何となく寂しげだった。
そうこうしているうちに帰る時間になった。最後に駅前にある高層ビルの展望台に立ち寄った。
エレベーターに乗った。
空に近いところで、立ち並ぶビルが低く感じた。
遠くの方で1番星が輝いていた。
「紬、今日はありがとう。楽しかったね。」
「ううん。私も楽しかった。パンケーキ美味しかった。また行けるといいな。」
「……あと、ごめん。もう、会えないかもしれないんだ。」
紬はハッと息をのんだ。
「え、なんで……。」
「ほら、平日のバイトの辞めるんだけど、その代わり部活やらなきゃないし、そのあと、塾も通うって話になって、会う暇がなくて、平日出ない分、土日のバイトどっちも働くことになって…。」
「……。」
陸斗は半分本当で半分嘘をついた。
父のさとしの言う会うのを控えないと困るのは紬だと傷つけたくなかった。
本当のこと言ったら、辛いのはお互いなのかもしれないと思った。
「ごめん。今日までありがとう。」
「ラインはしちゃダメなのかな。」
「ほら、俺、まめじゃないし、送ってくれてもいいけど、返事できないかも。それでも良いなら。」
頑張って言い訳を考えた。傷つけない別れ方なんてしらない。本当ならば、別れたくない。
「ひどいな…。」
のどから手が出るほどに話したかった。本当のこと言いたかった。
ずっとずっと一緒にいたいって、大事な人ほど守りたい。
忙しいなんて言い訳でしかない。
本当に好きなら、時間を作って会うはずだ。
涙を出すのをおさえた。紬は出入り口まで歩いた。
「1人で帰りたい。ごめん。」
「え、うちまで送るよ。」
「ううん。私が無理。さようなら。」
辛い気持ちをおさえて、エレベーターのスイッチを押した。
陸斗は空気読んで、展望台から離れようとしなかった。
窓から見えるネオンが光る夜景を見ていた。
窓にはポツポツと雨が降り出していた。
まるで自分の心の中を代弁してくれてるようだった。
ザーザーと本降りになってきた。
バスプールのバス停で待っていた。
傘を持っていなかった。
バスの中に入ると、偶然にも輝久が中に乗っていた。どこかに出かけた後だったらしく、後ろの方に座っていた。
紬は気づかずに、座席に座った。
バックの中に入っていた陸斗に借りたタオルで頭を拭いた。
紺色のブランドタオルを借りたままだった。
一喜一憂した表情をしていた。
雨とまじって涙が頬を伝う。
バスの乗客は前に1人後ろに紬と輝久だけだった。
何となく、話しかけづらいなと思いつつ、そっと肩を触る。
「よっ! 今帰り?」
「う、うん。」
会話が続かない。
元気がないことに気づく。
「何かあった?」
「べ、別に、何も。」
幅をきかせた会話ができていない。
このまま静かに過ごすのもと思った輝久が、会話を続けようとした。
紬の目から涙が滴り落ちている。
泣いていることさえも本人は気づいてないくらいだった。
窓の外を見て、夜景を見ようとしたが、大雨になっていて、外は全然見えていなかった。
「紬?」
「え…。」
たまたま持っていたハンカチをそっと差し出した。ハンドタオルのふわふわした素材だった。
「ほら、目。」
ジェスチャーで目の横を指差した。
ようやく、涙が出ていることに気づいた。それに伴って、さらに涙が止まらなくなった。
顔を借りたハンカチで隠した。
顔がグシャグシャになった。
頭をポンポンと撫でられた。
黙って何も言わなかった。
輝久は、そっと静かに過ごしてくれた。
好きになったり、嫌いになったり、傷ついたり、恋はこんなにも切なくて、悲しいんだろう。
辛いんだろうと何とも言えない涙が流れ落ちていく。
家の近くのバス停に到着した。
輝久も一緒におりた。
「紬、泣きたいときは泣きたいだけなけばいい。すっきりするから。な?」
笑顔で言う輝久。
その笑顔に応えられない紬はただただ頷くだけだった。
手を振ってそれぞれに家に帰った。
「ただいま。」
「おかえり。お腹空いてる?今日、お鍋だけどいるかな。」
父遼平が言う。奥にいた母のくるみが出てきた。
「今、お腹すいてないから。いらない。」
表情が暗かった。
くるみが追い打ちをかけるように
「あのさ、紬。言うの忘れたんだけど、陸斗くんの話で、あまり、関わるのはやめておいた方がいいかもしれないかな。同業者ってこともあるし、過去にいろいろあったから…。」
遼平は紬が暗い表情で嫌なことがあったんだろうなってことは察知したが、くるみは空気を読める人ではなかった。
「今、その話、しないでほしい!!」
そう叫ぶと階段を音を立てて、駆け上がっていく。
悪いことしたかなと反省したくるみ。遼平は、何となく、状況を理解した。
そもそも、2人が付き合うのに大人たちが関わるのはおかしな話で、大人の都合で、子ども同士は関係ないはずと紬は思っていた。
でも、そうも言ってられない事情があったんだとのちのち聞かされる。
紗栄は悠灯と一緒にリビングに行ってくつろいだ。
さとしは、自前の剣道の防具や竹刀を倉庫に持っていく。陸斗は一緒に荷物運びをした。
「あー、ごめん。はい、受け取るよ。」
「ねぇ、父さん。家族みたいに楽しかったね。あのお店。」
「そぉ?楽しかったようで何より。と言うか、陸斗の場合は洸と絡んでただけだろ?洸は従兄だから当たり前だろって。」
「あ、まあ。そうだけどさ。」
さとしは後頭部をかいた。
「あ、あと、陸斗…。紬ちゃんのことなんだけどさ。」
「え、紬? うん。」
「お付き合いするのやめといた方が良いかなと思って…ほら、俺と遼平って元仕事仲間ってこともあって、あと、知ってると思うけど、週刊誌事件もあったから、あまり関わるとマスコミに追われるからさ。」
「え……。」
「今すぐにどうこうじゃなくて良いから、だんだんとフェードアウトって感じで。困るのは俺とかじゃなくて、紬ちゃん本人で、傷つくかもしれないし。」
「は!? 俺、そう言うのできないから。ちょっと父さんの言うこと信じられない。」
陸斗は怒りが込み上げてきた。
自分の部屋に戻る途中で、廊下の壁にグーでパンチした。少し白い壁が小さくへこんだ。
想いがまっすぐにあった。
紬と別れなければならないと言われても納得できなかった。
さとしは立ち去っていく陸斗を説得できなかったのを悔やんだ。
あたまを大きくうなだれた。
「陸斗…。」
(あのまま、紬ちゃんと陸斗付き合い続けて、結婚しますまで行ったら、俺はどんな顔して谷口家と付き合わなきゃなんないだよ。もしかしたら、兄妹かもしれないのに…。)
倉庫の扉をパチンと閉めて、さとしは複雑な気持ちのまま、家の中に入った。
ーーー
陸斗はブレザーをハンガーにかけて、着替えずに部屋のベッドにどかっと横になった。
(なんで、父さんにあんなこと言われなきゃなんないだよ。マスコミ? 確か週刊誌に追われたって話あったけどなんだっけかな。)
陸斗はポケットからスマホを取り出し、ネット検索で大越さとしの芸名でもあった『SATOSHI』とタップした。
すると、出てくる出てくる過去の『不倫』の文字やら結構な数の誹謗中傷。
デジタルタトュー。消しても消してもイタチごっこで不可能に近かった。
裁判を起こして、完全に消すこともできたが、膨大なお金をかけてやる必要とない。
こう言うこともあり、さとしは業界から身を引いた。
現場となった写真や動画、週刊誌ニュースや、妻の紗栄である器の広い対応で絶賛するファンたち。
モザイクがかかって分かりづらいが、不倫相手は森野くるみと表示されている。
さらに、その名前を検索機能で追っていくと、今度は森野くるみは読者モデルだとか書いてある。
次々とInstagramリンクに飛んでいくと、森野くるみのモデル時代の写真が出回っている。
顔をよく見ると紬の眼鏡をしてない顔にかなり似ていた。
ほくろの位置で、紬のお母さんだと言うことがすぐにわかった。
やっと繋がった。
父であるさとしがあまり関わるなと言うことが何となく理解してきた。
本当はあの食事会も内心気まずい思いしていたんじゃないかと息子ながらに勘付いてしまった。
社交辞令の大人なお付き合い。
何となく胸の奥がソワソワする。
真実じゃない関係って何だろう。
親にとっては陸斗と紬と付き合うことはかなりストレスであるということ。
でも、親にそう言われても、陸斗は紬への気持ちは変わらなかった。
ダメと言われれば言われるほど、ダメな方を選択してしまうのはなぜだろう。
陸斗はいろんなことがありすぎて、几帳面な性格の陸斗が珍しく、お風呂に入ることもせずに、そのまま朝まで眠りについた。
ーーー
数日後、紗栄はリビングで東京から送られてきた書類に目を通した。
マグカップのコーヒーを飲む。
さとしはいつも通りに朝食を作っていた。
「何読んでるの?」
「えっと…何か番組の企画で芸能人の健康診断してみようのオファーかな。どうしようかと迷ってた。人間ドックみたいな感じをするんだって。」
「へぇー。普段健康診断まともに受けられないんだもの。やってみたら?」
「乳がんとか言われたらショックだけど…。」
「大丈夫っしょ? 今の時点で何も具合悪いところないんだから。」
「そうなんだけどさ。この、提出書類多すぎなんだよ。前もって受けてくださいって、言うのがあってさ。胃カメラとかは取材カメラ入るみたいだけど、地味に血液検査とかって…。」
「まあまあ。良い機会だもの。やってみなよ。」
「そうだね。」
さとしは、2人分の食事をテーブルに置いて、黙々とご飯を食べ始める。
紗栄も書類を見てからご飯に手をつけはじめた。
すると、バタバタの物音が聞こえてくる。陸斗の部屋からだった。
「うわ、寝坊した。やばー!」
「あれ、今日、学校だっけ?」
「バイトのことじゃないの?」
服を慌てて着替えた陸斗が部屋から出てきた。
「おはよー。時間ないからもう行くね。行ってきます!」
「あ、ご飯いらないの?」
紗栄が言う。
「外で食べるから良い!」
何となく数日前のこともあって、ここ数日、父のさとしと絡みたくなかった陸斗はすぐに家を出た。
玄関のドアがバタンと閉まる。
「慌てん坊だな。大丈夫かな。」
その頃の悠灯は、目覚まし時計もつけずに朝寝をしていた。
***
「ごめん、お待たせ。」
両親にはバイトだとごまかして、陸斗は紬と会う約束をしていた。
髪をとかす余裕もなかった陸斗は息があがっていた。紬はクスッと笑った。
「ちょっと屈んで!」
不思議に思った陸斗は紬の高さに合わせて、屈んでみせた。
紬はぴょんっとカーブを描いた寝癖をとかして直してあげた。
「あ、ああ。ごめん。ありがとう。」
少し照れている。
「ううん。大丈夫。お腹大丈夫?」
立ち上がった瞬間に大きな音がお腹の方から聞こえてきた。朝ごはんを食べずに出てきたため、お腹が鳴った。
「めっちゃお腹空いてて…我ながら大失態で寝坊したのよ。どこか軽く食べて良い?」
「うん。珍しいね。寝坊…。」
「ちょっとね。疲れてるんのかな。」
駅の中で待ち合わせしていた2人は改札口周辺にあった立ち食い蕎麦のお店に入った。
紬も一緒に1番シンプルで安いかけうどんを食べた。
出汁が効いていて味わい深かった。
「何か、ごめん。デートなのに立ち食い蕎麦屋でうどんって…。」
「別にいいよ。私、うどんもそばも好きだし。気にしないで。ちょうど、私も朝ごはん食べてなかったよ。」
陸斗は雰囲気とかを考えたつもりだったが、紬は許容範囲が広く何でも良いと思っていた。
本当は軽くパンをつまんで来ていたが、一緒に食べたい気持ちがあったため、優しい嘘をついた。
「良かった。美味しければ良いよね。同じ気持ちで安心するわ。」
人によってはデートはオシャレな場所とか、カフェとかこだわる人もいる。
陸斗は紬の考えが聞けて良かった。
女子は特に見た目や金額とか気にする人もいるだろうなと妹の悠灯や、母親の紗栄の考えで学んでいた。
女系家族で育つ男子は細かいところによく気がつくが、気がつくことで、苦しくなる部分もある。
鈍感な方が良かったと思う部分も
あった。
食事の会計を終えて、店を出ると
「あれ、今日ってどこに行くんだっけ。ごめん、約束してたのに何するか覚えてなくて…。」
「陸斗先輩、そんなに忙しかったの?」
「うん、まあ。康範にバイトの引き継ぎしてからちょっとね。キャパが溢れてたかな。学校の抜き打ちテストもあったから、神経使ったかも。」
「無理…してる?」
「いや、大丈夫。リフレッシュしたかったから、平気平気。んで、どこだっけ?」
「映画…だよ。地下鉄乗って、長町モールに行くって話だったかな。」
「そうそう。そうだった。新作の3D映画、観たいって言ってたんだよね。ごめん、思い出した。んじゃ、地下通路行こうか。」
横から陸斗の顔をのぞくと、目の下にクマができていることに気づく。紬は少し、陸斗の体調が心配だった。
小走りで後ろを着いて歩く。
少し歩くペースが早かった。
「あ、ごめん。早かったよね。」
さりげなく、左手を差し出す。
紬は追いかけて右手を伸ばして、手を繋いだ。
「今週、全然、図書室行けなくてごめんね。いろいろあって行けなかった。」
「ううん。大丈夫。ラインのスタンプ来てたから…。」
この1週間、忙しすぎてライン交換することさえも億劫に感じていた陸斗はとりあえず、毎日スタンプくらいは送っていた。
変顔や動物、キャラクターのスタンプで同じスタンプは送らないようにした。
元々、まめに連絡を交換する性格ではない陸斗は頑張って送っていた方だった。
紬も、忙しいのかなと考えながら、返事は遠慮がちだった。
どうにか今日の予定だけは連絡できた。
「絶対、不満あるよね。返事少ないし…。」
「無いわけじゃない。」
「会えてるからいいでしょ?」
「……。」
「俺さ、あまりまめに返事を返せないのよ。前にも説明したけど。もし、話したかったら、電話とか直接会おう?」
「電話かけたけど…出てくれなかった。」
「あ、あー。一昨日の不在着信? あれ、もう、寝落ちしてて、気づいたのが朝だったからさ。ごめんね。」
「うー…。」
「うさぎ?」
「ぎょうざ…。」
「ざ、ざ、ざくろ。」
「ろー、…って別に私はしりとりしたくて、うって言ったわけじゃないよ。」
頬を膨らませて、怒り出す。
「わかった。んじゃ、今日は1日一緒にいるから。夕方まで。時間、許す限り。それじゃ、ダメ?」
「う、うん。それなら良いよ!」
膨らませて頬を縮ませようとしたら、陸斗が歩きながら、紬の頬を人差し指で突いた。
「むー!」
少し痛かった紬は頬をまた膨らませる。陸斗はそんな仕草を愛しく思えて笑顔がこぼれた。
「映画見たら、パンケーキのお店行こう?何か悠灯が良かったよって教えてくれた店があって…。」
「へぇ~。妹ちゃんそう言うの好きなの?」
「母さんと2人で行ったんだって。ほら、これ。」
陸斗はインスタのカフェ写真を見せた。紬は体を寄せてスマホ画面を見せる。
紬は目をキラキラさせて、喜んだ。
「美味しそう。良いね。行きたい!」
手繋ぎから腕を組んだ。行く場所を考えてくれるだけで嬉しかった。
喜ぶ笑顔を見れて、陸斗は頬をほんの少し赤くした。
改札を通って、地下鉄に乗り、最寄りのデパートに着いた。たくさんの乗客とお客さんに囲まれて、少々、気疲れしたのが、紬は話せなくなった。
呼吸が荒くなる。
いつもだと大丈夫だったのに、家族と出かける時は平気だった。
でも、まだ陸斗と打ち解けられないな何があるのか、紬は不安を覚える。
陸斗の思いを何か感じとったのかもしれない。
デパートと映画館の間にある連絡通路の端っこで、しゃがんでしまった。
「紬?大丈夫?」
プラネタリウムの時は全然平気だったのに、今日のお客さんの数は半端なかった。人混みが苦手な紬は、手すりにつかまって呼吸を整える。
深呼吸をして、落ち着かせた。
「うん。ちょっと休めば…。」
「無理すんなよ。あそこにベンチあるから座ろう。」
警戒心が強く、周りの気を読みやすい紬は、気疲れしやすかった。
「あ、ありがとう。」
「映画、やめとく?」
「でも、行きたい。」
「…ちょっと待ってて。」
紬を1人ベンチに残して、陸斗は自販機に行った。ミネラルウォーターのペットボトルを買ってきてくれた。
「ほら、これ飲んで。汗かいてるし、ごめん、大きいタオルしかないけど…ハンカチ持ち歩いてないから。」
バックにたまたま入ってたタオルを出して、紬の汗を拭いてあげた。
ペットボトルのふたをあけてゆっくり水を飲んだ。
透き通った水が体を潤してくれる。
体も整って、息も落ち着いてきた。
「ふぅ。ありがとう。何とか平気。落ち着いてきた。私たちの見る映画、たぶんそこまで有名じゃないから混まないと思うし、行くよ。だって、しばらく来れない気がするから。」
「……うん。そうだね。大丈夫ならいいんだけど。ダメそうなら言ってよ。」
陸斗は、心配そうに見つめながら、バックのチャックを閉めた。
「うん。」
2人は映画のチケットを購入し、フードドリンクコーナーの飲み物とキャラメル味のポップコーンを買うと、トレイを陸斗が代わりに持ってくれた。
チケットを紬が代わりに2枚持って受付に渡した。
入場アナウンスはすでに終わっており、上映開始時刻が5分前になっていた。
「暗くなるよね。間に合うかな。」
「大丈夫、暗い方が私にとっては好都合。周りに目立たないから。」
「そっか。ならゆっくりでもいいか。」
今日見る映画は、恋愛要素のアクションの戦うアクションがあるスリル満点の洋画だった。一昔流行ったものだったもので、鑑賞するお客さんもまばらでほぼ貸切に近かった。
Cー13とCー14の座席にした。
なるべく一目につかない位置を選んだ。
座席横に紬はミルクティー、陸斗はコーラをセットした。真ん中にはポップコーンをおけるプレートを置いた。
ついてすぐにシアター内が暗くなった。
予告映画が次々と上映されていくと、本編が始まった。
飲みものを飲みながら、映画鑑賞を楽しんだ。
人気が引いた館内は紬の気持ちも落ち着いていた。良からぬ思いが働いて、何だか胸がザワザワしていた。
見ている中盤あたりで、主人公がのんびりと長く移動しているシーンに陸斗が屈んで、こちらを見てくる。
小声で
「なに?」
だんだんと間延びした映画に飽きてきたらしく上のお客さんから見えないように必死で隠れていた。
「何しているの?」
「紬、目、つぶって!」
「え?」
映画そっちのけで目をつぶった。映画を見にきたはずなのに疑問を感じながら。
陸斗は遊び心のある鳥のようにそっとキスをした。
目を開けると、目の前に顔があって暗いはずなのにはっきり相手の気持ちがわかる。今、すごくドキドキしている。
陸斗は紬の頭に手を添えて、暗いから誰も見てないだろうと夢中になって何度も口づけを交わした。タガが外れた。
陸斗の唇で、紬の上唇を挟んだ。
自分たちがまるで映画のワンシーンに入ったかとシンクロするようにスクリーンにも同じシーンが流れていた。
もう、映画の内容なんて頭に入ってこない。
キスの味は甘く香ばしいキャラメルな味になっていた。
さっき食べたポップコーンの味だったことを思い出す。
お互いに笑みがこぼれる。
指と指の絡める手を繋ぎ、体を寄せて、陸斗の左肩に頭をこつんと乗せて、映画の続きを見続けた。
ストーリーはわからなかったが、その一緒にいるその空間、その瞬間が愛しく
ずっと止まって欲しかった。
映画を見終えて、会場は明るくなった。眩しくて目が眩んだ。
「終わったね。」
身の回りのものをかたづけて、
席をたつ。
頬を赤らめて、頷いた。
「行こうか。」
恥ずかしさがあるのか急足に出入り口に進んでいく。
慌てて、紬は着いていく。
陸斗は後ろを見ずに、トレイを持って進んでいく。
片付けのカウンターにトレイを乗せると軽くなった左手を差し伸べた。
手をパタパタと振る。
紬は右手を伸ばした。
またギュッと絡めた手を繋いだ。
「次は、パンケーキ屋だよね。」
「うん。」
頭のアホ毛をそっと撫でて、直した。
「ありがとう。」
「地下鉄行こうか。」
「うん。」
何気ないさりげない仕草や動作だけですごく嬉しかった。沈黙が続いていても平気だった。安心しきっていた。
一緒にいて、手を繋いでそれだけでよかったのに。
その時間はもう来ないかもしれないとなんとなく予感がしていた紬。
パンケーキ屋さんでも、あまり話すことはなかった。
出てきたおしゃれなメニューをスマホに残したり、外の様子を頬杖ついて物思いにふける陸斗の姿を音無しで写真を撮っていた。
紬もニコニコ笑顔でパンケーキを食べて頬に生クリームをつける姿をこちらも音無しで撮影した。
2人とも一緒にいるのに何となく寂しげだった。
そうこうしているうちに帰る時間になった。最後に駅前にある高層ビルの展望台に立ち寄った。
エレベーターに乗った。
空に近いところで、立ち並ぶビルが低く感じた。
遠くの方で1番星が輝いていた。
「紬、今日はありがとう。楽しかったね。」
「ううん。私も楽しかった。パンケーキ美味しかった。また行けるといいな。」
「……あと、ごめん。もう、会えないかもしれないんだ。」
紬はハッと息をのんだ。
「え、なんで……。」
「ほら、平日のバイトの辞めるんだけど、その代わり部活やらなきゃないし、そのあと、塾も通うって話になって、会う暇がなくて、平日出ない分、土日のバイトどっちも働くことになって…。」
「……。」
陸斗は半分本当で半分嘘をついた。
父のさとしの言う会うのを控えないと困るのは紬だと傷つけたくなかった。
本当のこと言ったら、辛いのはお互いなのかもしれないと思った。
「ごめん。今日までありがとう。」
「ラインはしちゃダメなのかな。」
「ほら、俺、まめじゃないし、送ってくれてもいいけど、返事できないかも。それでも良いなら。」
頑張って言い訳を考えた。傷つけない別れ方なんてしらない。本当ならば、別れたくない。
「ひどいな…。」
のどから手が出るほどに話したかった。本当のこと言いたかった。
ずっとずっと一緒にいたいって、大事な人ほど守りたい。
忙しいなんて言い訳でしかない。
本当に好きなら、時間を作って会うはずだ。
涙を出すのをおさえた。紬は出入り口まで歩いた。
「1人で帰りたい。ごめん。」
「え、うちまで送るよ。」
「ううん。私が無理。さようなら。」
辛い気持ちをおさえて、エレベーターのスイッチを押した。
陸斗は空気読んで、展望台から離れようとしなかった。
窓から見えるネオンが光る夜景を見ていた。
窓にはポツポツと雨が降り出していた。
まるで自分の心の中を代弁してくれてるようだった。
ザーザーと本降りになってきた。
バスプールのバス停で待っていた。
傘を持っていなかった。
バスの中に入ると、偶然にも輝久が中に乗っていた。どこかに出かけた後だったらしく、後ろの方に座っていた。
紬は気づかずに、座席に座った。
バックの中に入っていた陸斗に借りたタオルで頭を拭いた。
紺色のブランドタオルを借りたままだった。
一喜一憂した表情をしていた。
雨とまじって涙が頬を伝う。
バスの乗客は前に1人後ろに紬と輝久だけだった。
何となく、話しかけづらいなと思いつつ、そっと肩を触る。
「よっ! 今帰り?」
「う、うん。」
会話が続かない。
元気がないことに気づく。
「何かあった?」
「べ、別に、何も。」
幅をきかせた会話ができていない。
このまま静かに過ごすのもと思った輝久が、会話を続けようとした。
紬の目から涙が滴り落ちている。
泣いていることさえも本人は気づいてないくらいだった。
窓の外を見て、夜景を見ようとしたが、大雨になっていて、外は全然見えていなかった。
「紬?」
「え…。」
たまたま持っていたハンカチをそっと差し出した。ハンドタオルのふわふわした素材だった。
「ほら、目。」
ジェスチャーで目の横を指差した。
ようやく、涙が出ていることに気づいた。それに伴って、さらに涙が止まらなくなった。
顔を借りたハンカチで隠した。
顔がグシャグシャになった。
頭をポンポンと撫でられた。
黙って何も言わなかった。
輝久は、そっと静かに過ごしてくれた。
好きになったり、嫌いになったり、傷ついたり、恋はこんなにも切なくて、悲しいんだろう。
辛いんだろうと何とも言えない涙が流れ落ちていく。
家の近くのバス停に到着した。
輝久も一緒におりた。
「紬、泣きたいときは泣きたいだけなけばいい。すっきりするから。な?」
笑顔で言う輝久。
その笑顔に応えられない紬はただただ頷くだけだった。
手を振ってそれぞれに家に帰った。
「ただいま。」
「おかえり。お腹空いてる?今日、お鍋だけどいるかな。」
父遼平が言う。奥にいた母のくるみが出てきた。
「今、お腹すいてないから。いらない。」
表情が暗かった。
くるみが追い打ちをかけるように
「あのさ、紬。言うの忘れたんだけど、陸斗くんの話で、あまり、関わるのはやめておいた方がいいかもしれないかな。同業者ってこともあるし、過去にいろいろあったから…。」
遼平は紬が暗い表情で嫌なことがあったんだろうなってことは察知したが、くるみは空気を読める人ではなかった。
「今、その話、しないでほしい!!」
そう叫ぶと階段を音を立てて、駆け上がっていく。
悪いことしたかなと反省したくるみ。遼平は、何となく、状況を理解した。
そもそも、2人が付き合うのに大人たちが関わるのはおかしな話で、大人の都合で、子ども同士は関係ないはずと紬は思っていた。
でも、そうも言ってられない事情があったんだとのちのち聞かされる。