スイート×トキシック
「……っ」
彼の双眸が揺れたかと思うと、伸びてきた腕に包み込まれていた。
爽やかなシトラスの香りがほのかに漂う。
以前より薄く感じるのは、わたしからも同じにおいがしているからかな。
十和くんを抱きとめるように、その背に手を添えた。
「このまま、好きでいていい?」
そう尋ねられ、思わず小さく笑ってしまう。
「駄目って……言わせてくれるの?」
聞き返すと、彼がふるふると首を横に振った。
髪の先が頬に触れてくすぐったい。
「やだ。……もう止められないし、やめらんない」
わずかに掠れた声は普段より低かった。
肩に顎を載せ、体重を預けてくる。
迷子の犬みたいでも、気まぐれな猫みたいでもあり、やっぱり掴みどころがなかった。
(もしかしたら────)
最初の頃に見せていた、わたしの心を得られる自信は、不安の裏返しだったのかもしれない。
“好き”が高じて誘拐や監禁なんていう特異な行動に出て、もう後には引けなくなって。
自分が間違っていないことを証明するには、わたしを好きにさせるしかなくて。
ふと、十和くんがわたしを離した。
愛しむような眼差しを残したまま、やんわりと笑う。
(あ……)
何だか、似ていた。
先生の優しい笑顔と。
(────そんなわけない)
目を覚まさなきゃ。
ほだされて、騙されたら、甘い毒が回ってしまう。
まかり間違っても好意なんて抱いちゃいけない。
抱くはずもない。
(そうだよ……。ぜんぶ、作戦だ)
彼に対して笑顔を見せることも、触れることも、抱き締め返すことも、すべては目的のための手段でしかない。
信用を得て、生きてここから抜け出す。
もう一度、先生に会う。
それだけがわたしの原動力だ。
十和くんに対して覚えた肯定的な感情は、ぜんぶぜんぶまやかし。
(わたしが騙されちゃ駄目だ)
*
ぱたん、と閉じた漫画をテーブルの上に置いた。
(暇だなぁ……)
部屋に閉じ込められ、何もかもを取り上げられては、することがなくて退屈だ。
せめてもの娯楽として彼が渡してくれた漫画や小説も、すぐに読み終わってしまった。
(でも、はじめはこんなの考えられなかった)
────最初のうちは混乱して、怯えて、ただ息をしているだけで精一杯だった。
何もない部屋でひとり座って放心しているだけで、傷の痛みをこらえているだけで、1日なんてあっという間に過ぎ去った。
……人間って、結構図太い生きものだと思う。
どんなに過酷な状況に放り込まれても、生きようともがけば適応してしまう。
(でもこんなとこ、慣れる必要なんてない)
早くここから出たい。
ひとまず部屋の鍵を開けるために、フォークを手に入れることが目標だ。
しかし、常にチャンスがあるわけじゃない。
いつ来るとも知れない機会に備えて、今はこの退屈に耐えるしか出来ることがないのだ。