スイート×トキシック

 咄嗟に引き止める。
 ドアの取っ手に手をかけていた彼が振り向く。

(……どうしよう、何も考えてない)

 何か言おうとしたわけじゃなかったのに、思わず呼び止めてしまった。

 そのうちこの気まずさも忘れて、何事もなかったみたいに戻るのかもしれない。

 でも、このまま放っておくのは無責任だ。
 彼にあんな顔をさせておいて。あんな声色にさせておいて。

 どのみち、もう後には引けない。

「その、わたしこそごめん」

「……え」

「自分のことしか考えてなかった。ここに来てからずっとそう」

 自分さえよければそれでよかった。

 彼は悪者で、わたしは被害者なのだとばかり思っていた。

 そんな前提がそもそも間違いだったのかも。
 だって、わたしも彼を振り回してしまっている。

「十和くんの気持ちも分かった気になってた」

 勝手に想像して、期待して、失望して。

 恋心だけじゃない。

 彼という人物に対する認識そのものが、わたしの中の虚像(きょぞう)でしかなかった。

(知らなかったから)

 わたしの気持ちを優先してくれた、その一途さも実直さも、彼が持ち合わせているなんて知らなかった。

 聞いてみて、触れてみて、初めて分かるのかもしれない。
 本当の十和くんがどんな人なのか。

 だから────。

「教えてくれない?」

 彼をまっすぐ見つめる。
 同じような眼差しが返ってくる。

「知りたいの、もっと。十和くんのこと」

 前にそう言ったとき、彼は笑った。
 警戒心を(あらわ)にして(しゃ)に構えたような態度で。

「……うん」

 彼はまた、笑った。

 今度はどこか純粋に嬉しそうに。花が開いたみたいに。

「俺も知って欲しいって思う」



*



 以前のように一緒に夕食をとることになった。

 手錠は今日1日中、わたしの手首に返ってきていない。

 代わりにあの小さなテーブルが部屋へ戻ってきて、それを囲むように座った。
 十和くんが口を開く。

「芽依の初恋は?」

「えっ」

 突然の問いかけに驚くと、彼はくすくす笑った。

「そう聞いたのは芽依でしょ。俺だけなんてずるいじゃん。芽依のことも知りたいんだよ」

「……わたしのことは何でも知ってるんじゃなかったの?」

「そんな意地悪言わないで教えてよ」

 ()ねたように言う。

(何か……)

 話しているうちに力が抜けた。

 彼が殺人鬼なんじゃないか、なんて突飛(とっぴ)な疑惑への緊張感を忘れてしまうほど。
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