藤間くんは、初恋をこじらせている
藤間くんと理人
○小鳥遊家・キッチンダイニング(夜)
真剣な表情を浮かべた上半身裸の晴輝が、莉子のもとに近づいてくる。
晴輝「焦げ臭くないか?」
莉子「あっ! カレー!」
鼻をクンクンさせる晴輝を見て、莉子は慌ててクッキングヒーターのスイッチを切る。
莉子「やっちゃった……」
晴輝「上の方は焦げてないんじゃねえの?」
蓋を開けた莉子の横に立った晴輝が、鍋を覗き込む。その拍子に莉子の肩に、晴輝の腕がトンとあたる。
莉子(うっ、近い……)
気恥ずかしさを感じた莉子が、急いで晴輝から離れる。
莉子「シミが落ちなくなったら大変だから、先にワイシャツ洗ってきちゃうね」
晴輝「よろしく」
照れを隠して晴輝からワイシャツを受け取り、小走りでキッチンを後にする。
○同・洗面所
莉子(藤間君って帰宅部だったはずだよね。家で体を鍛えているのかな)
晴輝のワイシャツを手洗いしながら考えにふける。
莉子(腹筋も割れていたし、二の腕も筋肉がついていて、理人とは全然違っていた)
ワイシャツを洗っていた手が止まる。
莉子「かっこよかったな……」
洗面所に響いた自分の声に驚き、ハッと我に返る。
莉子(弟の親友の裸をカッコいいと思うなんて、どう考えてもおかしいでしょ!)
あたふたしつつ、洗濯機にワイシャツを入れてスイッチを押す。
○同・キッチンダイニング
莉子が洗面所を後にして廊下を歩いていると、理人の笑い声が聞こえてくる。
莉子(大笑いしているけど、なにがあったんだろう)
気にしながらダイニングに戻ると、理人の長袖Tシャツを着た晴輝と目が合う。
莉子「あっ……」
背が高く手足が長い晴輝には、理人のシャツでは丈も袖も短い。
サイズが合っていないシャツを着た晴輝の姿を見て、理人がお腹を抱えて笑っている。
莉子「理人。大きめのシャツ持ってないの?」
理人「ない。そもそも体格が違うんだから仕方ないだろ」
莉子が困った表情を浮かべる中、晴輝が口を挟む。
晴輝「いいよ。これで」
莉子「ごめんね。カレーを食べている間に乾くと思うから」
晴輝「ん。サンキュ」
照れくさそうにうなずいた晴輝が、莉子から視線を逸らす。
○(数分後)
ダイニングテーブルに座り、三人で手を合わせる。
三人「いただきます」
カレーに口をつけた理人と晴輝の様子を、莉子が不安そうに見つめる。
莉子「どう?」
理人「平気。焦げた味なんかしないよな? 晴輝?」
晴輝「ああ。うまいよ」
莉子「よかった」
ホッと安堵してカレーを口に運ぶ。
理人「お代わりあるからな。育ち盛りなんだから、たくさん食えよな」
晴輝「お前もな」
理人と晴輝が陽気な声をあげて笑い合う。
莉子(理人と一緒にいるときの藤間君って自然体で、なんだか親近感があるよね)
晴輝の笑顔につられるように微笑み、ふたりの様子を見つめる。
○同・玄関
晴輝「ごちそうさま。あと、これもありがとう」
靴を履いて莉子に向き直った晴輝が、綺麗になったワイシャツを指でつまむ。
莉子「ううん。こちらこそ今日は楽しかった。ありがとう」
挨拶を交わしたものの、お互い気恥ずかしさを感じてうつむく。
理人「じゃあ、晴輝を駅まで送ってくるから」
莉子「うん。気をつけてね」
玄関を出ていくふたりに、莉子は手を振る。
○駅に続く道路
晴輝「駅まで送ってくれなくても大丈夫だったのに」
理人「食後の散歩には丁度いいだろ」
晴輝「そっか」
肩を並べて歩いていた晴輝と理人が、赤信号で立ち止まる。そのとき、晴輝が〝ちかんに注意〟という看板に気づく。
晴輝「お前の姉ちゃん、バイトしているんだよな?」
理人「うん。あそこでな」
交差点を渡った先にあるコンビニを、理人が指さす。
晴輝「何曜日の何時から何時まで?」
理人「水曜日は午後六時から九時までで、土日は午後一時から九時までだったかな」
晴輝「そうか。働き者だな。少しは見習えよ」
看板を気にしながら理人の肩をポンと叩くと信号が青になり、晴輝が足を踏み出す。しかし理人はその場から動かない。
晴輝「理人?」
足を止めて振り返ると、握り拳を小さく震わせてうつむいていた理人が顔を上げる。
理人「悪かったな。どうせ俺は家族のお荷物だよ」
晴輝「別にそうは言ってないだろ」
急に投げやりな言葉を放つ理人に、晴輝は戸惑う。
理人「両親はなにも言わないけど、親戚に借りた俺の手術代を早く返すために残業しまくっているって知っているし、莉子が小遣い稼ぎにバイトしているのだって、家計に負担をかけないためだってわかってる」
晴輝「……」
興奮した様子で語る理人の話に、晴輝は黙ったまま耳を傾ける。
理人「家族には本当に感謝しているんだ。それなのに人の気も知らないで、偉そうなこと言うなよな!」
晴輝の胸を拳でトンと叩いて怒りをあらわにする。
晴輝「理人!」
声をあげても、背中を向けて立ち去っていく理人の足は止まらない。
○翌日 学校・屋上(昼休み)
購買で買ったパンが入った袋を持った晴輝が屋上へ行くも、理人の姿はない。
晴輝(LINEも既読にならないし、これはかなり怒っているな)
ため息をついて座り、パンを食べる。
晴輝(ひとりで食ってもうまくないな)
パンをひとつしか食べずに地面に寝転ぶ。
○小鳥遊家・理人の部屋(夜)
理人(晴輝のヤツ、怒っているだろうな)
暗がりの中、ベッドに横になっていた理人が上半身を起こしてスマホを手に取る。
晴輝【無神経なことを言って悪かった。ごめん】
理人【俺も悪か……】
読まずにいたLINEに目を通して返信を打つも、途中で手を止める。
理人(ずっと無視していたくせに、今になって謝るなんてカッコ悪すぎるだろ)
アプリを閉じて布団にもぐる。
○翌日 学校・購買(昼休み)
多くの生徒で混雑している購買で、晴輝がパンをひとつだけ手に取って会計をしようとしたとき、那美に声をかけられる。
那美「藤間君、それしか食べないの?」
晴輝「あまり食欲ないんだ」
那美「えっ? そうなの? 具合悪いの? 保健室まで一緒に行こうか?」
晴輝「大丈夫。心配してくれてありがとう」
那美に向かってニコリと微笑み、パンの代金を払って購買を後にする。
○同・屋上に続く階段
晴輝(今日も理人は来ないんだろうな)
パンが入った袋を手に持った晴輝が、重い足取りで屋上に向かう。
○同・屋上
理人「遅せえよ」
普段と変わらない様子で、理人が晴輝に声をかける。
理人「あ~、腹減った。早く食おうぜ」
晴輝「あ、ああ」
すでに弁当の包みを開けている理人の隣に座り、袋からパンを取り出す。
理人「なんだよ。それしか食わないのかよ。仕方ねえな。ほら、おすそ分けだ」
理人は玉子焼きを箸で掴み、晴輝の口に運ぶ。
晴輝「いただきます」
玉子焼きをモグモグと咀嚼したのも束の間、すぐに大きな声をあげる。
晴輝「しょっぱっ!」
ケホケホとむせ返りながらペットボトルのお茶を飲む晴輝を見て、理人は目を丸くする。
理人「まさか……」
恐る恐る玉子焼きを食べる。
理人「ゲッ! 砂糖と塩を間違えた!」
理人が口に手をあてる。
晴輝「これ、理人が作ったのか?」
理人「まあな」
形の崩れた大きなおにぎりと、少し焦げている玉子焼きを見て尋ねてきた晴輝に、理人はうなずく。
晴輝「この前は、理人の家庭の事情も知らないのに口を出して悪かった」
理人「いや、俺も……ムキになって悪かったよ」
照れたようにうつむいたものの、お互いの様子を確認するためにゆっくりと顔を上げる。
理人「俺は病気を言い訳にして、ただ面倒くさいことから逃げていただけだって気づいたんだ。だから、まずは家事を手伝うことにした」
晴輝「そうか」
理人「ああ。早起きして弁当を作る俺を見て、莉子は雪でも降るんじゃないかって驚いていたけどな」
話を聞いていた晴輝がハハハッと声をあげて笑う。
理人「あっ、ヤベ!」
晴輝「どうした?」
理人「これと同じ弁当を、莉子に持たせたんだった」
理人の顔が青ざめる。
○同・二年三組の教室
沙良「今日のお弁当、いつもと違うね」
机の上に置かれたおにぎりと玉子焼きを見た沙良が、複雑な表情を浮かべる。
莉子「理人が作ってくれたんだ」
沙良「へえ、そうなんだ」
莉子「うん。いただきます」
玉子焼きを頬張った莉子の顔が歪む。
莉子「しょっぱい!」
莉子の大きな声が教室に響き渡る。
○同・二年三組の教室(HR中)(午後)
莉子「体育祭の実行委員に立候補する人いませんか?」
教壇に立って声をあげても、クラスメイトは机に突っ伏して居眠りをしていたり、スマホをいじったりして莉子の話など聞いていない。
莉子(これは決まるまで時間がかかりそうだな)
莉子「あのっ! 体育祭の実行委員ですが誰か……」
晴輝「俺、立候補します」
莉子の言葉を遮った晴輝が手を上げる。
女子生徒①「えっ? ヤバい!」
女子生徒②「じゃあ、私も立候補しちゃおうかな」
晴輝の言動に驚いた女子生徒たちがざわつき始める中、那美が手を上げてイスから立ち上がる。
那美「はい! 私もやります!」
鬼気迫る那美の様子に怯んだ女子生徒①と②が、黙って口を閉じる。
莉子「それじゃあ、体育祭の実行委員は藤間君と渡辺さんにお願いします」
莉子が手を叩くと、パラパラと拍手が起きる。
○同・二年三組の教室(放課後)
HRが終わり、教室から出ていこうとする晴輝を莉子が呼び止める。
莉子「藤間君、実行委員に立候補してくれてありがとう」
晴輝「別にアンタのためじゃないから」
ポケットに手を入れて、莉子から視線を逸らす。
莉子「そうだけど、藤間君が立候補してくれなかったら、いつまでも決まらなかったと思うから」
晴輝「……」
ふたりの間に少しの沈黙が流れる。
莉子「呼び止めてごめんね。じゃあ、また明日」
晴輝「あのさ、理人が作った弁当食った?」
話を切り上げようとした莉子に、晴輝が声をかける。
莉子「もしかして、藤間君も食べたの?」
晴輝「まあな」
莉子「砂糖と塩を間違えるなんて信じられないよね。帰ったら文句言わなくちゃ」
頬を膨らませて文句を言う莉子を見て、晴輝がクスクスと笑う。
晴輝「俺も玉子焼きは甘い方が好き」
莉子「そうなんだ」
普段はクールな晴輝の口から出た子供っぽい言葉と無邪気な笑顔に、莉子の心臓がドキリと跳ね上がる。
莉子(なんだか、かわいらしいな)
つられるように笑みをこぼしたとき、那美が晴輝に声をかけてくる。
那美「藤間君、体調は大丈夫?」
晴輝「ああ、平気。心配かけて悪かったな」
莉子(えっ? 藤間君、調子が悪かったの?)
晴輝の様子を気にかけながら、ふたりの会話に耳を澄ます。
那美「ううん。気にしないで。那美、体育祭の実行委員するの初めてだからいろいろと教えてね」
晴輝「一緒にがんばろうな」
那美「うん」
晴輝と那美が楽しそうに話す様子を、莉子が見つめる。
莉子(もしかして渡辺さんって、藤間君のことが好きなのかもしれない。邪魔したら悪いよね)
莉子「じゃあ、私はこれで。沙良、お待たせ!」
晴輝と那美の前からそそくさと立ち去り、沙良のもとに急ぐ。
那美「小鳥遊さんが気になる?」
沙良と一緒に教室から出ていく莉子のうしろ姿を見つめていた晴輝の顔を、那美が覗き込む。
晴輝「まさか。じゃあ俺もこれで」
那美「藤間君! パンケーキの美味しいお店知っているんだけど、今度一緒に行かない?」
晴輝「悪いけど俺、甘いもの苦手なんだ。ごめん」
軽く手を上げて教室から出ていく晴輝のうしろ姿を見つめながら、那美は不満そうに唇を尖らせる。
真剣な表情を浮かべた上半身裸の晴輝が、莉子のもとに近づいてくる。
晴輝「焦げ臭くないか?」
莉子「あっ! カレー!」
鼻をクンクンさせる晴輝を見て、莉子は慌ててクッキングヒーターのスイッチを切る。
莉子「やっちゃった……」
晴輝「上の方は焦げてないんじゃねえの?」
蓋を開けた莉子の横に立った晴輝が、鍋を覗き込む。その拍子に莉子の肩に、晴輝の腕がトンとあたる。
莉子(うっ、近い……)
気恥ずかしさを感じた莉子が、急いで晴輝から離れる。
莉子「シミが落ちなくなったら大変だから、先にワイシャツ洗ってきちゃうね」
晴輝「よろしく」
照れを隠して晴輝からワイシャツを受け取り、小走りでキッチンを後にする。
○同・洗面所
莉子(藤間君って帰宅部だったはずだよね。家で体を鍛えているのかな)
晴輝のワイシャツを手洗いしながら考えにふける。
莉子(腹筋も割れていたし、二の腕も筋肉がついていて、理人とは全然違っていた)
ワイシャツを洗っていた手が止まる。
莉子「かっこよかったな……」
洗面所に響いた自分の声に驚き、ハッと我に返る。
莉子(弟の親友の裸をカッコいいと思うなんて、どう考えてもおかしいでしょ!)
あたふたしつつ、洗濯機にワイシャツを入れてスイッチを押す。
○同・キッチンダイニング
莉子が洗面所を後にして廊下を歩いていると、理人の笑い声が聞こえてくる。
莉子(大笑いしているけど、なにがあったんだろう)
気にしながらダイニングに戻ると、理人の長袖Tシャツを着た晴輝と目が合う。
莉子「あっ……」
背が高く手足が長い晴輝には、理人のシャツでは丈も袖も短い。
サイズが合っていないシャツを着た晴輝の姿を見て、理人がお腹を抱えて笑っている。
莉子「理人。大きめのシャツ持ってないの?」
理人「ない。そもそも体格が違うんだから仕方ないだろ」
莉子が困った表情を浮かべる中、晴輝が口を挟む。
晴輝「いいよ。これで」
莉子「ごめんね。カレーを食べている間に乾くと思うから」
晴輝「ん。サンキュ」
照れくさそうにうなずいた晴輝が、莉子から視線を逸らす。
○(数分後)
ダイニングテーブルに座り、三人で手を合わせる。
三人「いただきます」
カレーに口をつけた理人と晴輝の様子を、莉子が不安そうに見つめる。
莉子「どう?」
理人「平気。焦げた味なんかしないよな? 晴輝?」
晴輝「ああ。うまいよ」
莉子「よかった」
ホッと安堵してカレーを口に運ぶ。
理人「お代わりあるからな。育ち盛りなんだから、たくさん食えよな」
晴輝「お前もな」
理人と晴輝が陽気な声をあげて笑い合う。
莉子(理人と一緒にいるときの藤間君って自然体で、なんだか親近感があるよね)
晴輝の笑顔につられるように微笑み、ふたりの様子を見つめる。
○同・玄関
晴輝「ごちそうさま。あと、これもありがとう」
靴を履いて莉子に向き直った晴輝が、綺麗になったワイシャツを指でつまむ。
莉子「ううん。こちらこそ今日は楽しかった。ありがとう」
挨拶を交わしたものの、お互い気恥ずかしさを感じてうつむく。
理人「じゃあ、晴輝を駅まで送ってくるから」
莉子「うん。気をつけてね」
玄関を出ていくふたりに、莉子は手を振る。
○駅に続く道路
晴輝「駅まで送ってくれなくても大丈夫だったのに」
理人「食後の散歩には丁度いいだろ」
晴輝「そっか」
肩を並べて歩いていた晴輝と理人が、赤信号で立ち止まる。そのとき、晴輝が〝ちかんに注意〟という看板に気づく。
晴輝「お前の姉ちゃん、バイトしているんだよな?」
理人「うん。あそこでな」
交差点を渡った先にあるコンビニを、理人が指さす。
晴輝「何曜日の何時から何時まで?」
理人「水曜日は午後六時から九時までで、土日は午後一時から九時までだったかな」
晴輝「そうか。働き者だな。少しは見習えよ」
看板を気にしながら理人の肩をポンと叩くと信号が青になり、晴輝が足を踏み出す。しかし理人はその場から動かない。
晴輝「理人?」
足を止めて振り返ると、握り拳を小さく震わせてうつむいていた理人が顔を上げる。
理人「悪かったな。どうせ俺は家族のお荷物だよ」
晴輝「別にそうは言ってないだろ」
急に投げやりな言葉を放つ理人に、晴輝は戸惑う。
理人「両親はなにも言わないけど、親戚に借りた俺の手術代を早く返すために残業しまくっているって知っているし、莉子が小遣い稼ぎにバイトしているのだって、家計に負担をかけないためだってわかってる」
晴輝「……」
興奮した様子で語る理人の話に、晴輝は黙ったまま耳を傾ける。
理人「家族には本当に感謝しているんだ。それなのに人の気も知らないで、偉そうなこと言うなよな!」
晴輝の胸を拳でトンと叩いて怒りをあらわにする。
晴輝「理人!」
声をあげても、背中を向けて立ち去っていく理人の足は止まらない。
○翌日 学校・屋上(昼休み)
購買で買ったパンが入った袋を持った晴輝が屋上へ行くも、理人の姿はない。
晴輝(LINEも既読にならないし、これはかなり怒っているな)
ため息をついて座り、パンを食べる。
晴輝(ひとりで食ってもうまくないな)
パンをひとつしか食べずに地面に寝転ぶ。
○小鳥遊家・理人の部屋(夜)
理人(晴輝のヤツ、怒っているだろうな)
暗がりの中、ベッドに横になっていた理人が上半身を起こしてスマホを手に取る。
晴輝【無神経なことを言って悪かった。ごめん】
理人【俺も悪か……】
読まずにいたLINEに目を通して返信を打つも、途中で手を止める。
理人(ずっと無視していたくせに、今になって謝るなんてカッコ悪すぎるだろ)
アプリを閉じて布団にもぐる。
○翌日 学校・購買(昼休み)
多くの生徒で混雑している購買で、晴輝がパンをひとつだけ手に取って会計をしようとしたとき、那美に声をかけられる。
那美「藤間君、それしか食べないの?」
晴輝「あまり食欲ないんだ」
那美「えっ? そうなの? 具合悪いの? 保健室まで一緒に行こうか?」
晴輝「大丈夫。心配してくれてありがとう」
那美に向かってニコリと微笑み、パンの代金を払って購買を後にする。
○同・屋上に続く階段
晴輝(今日も理人は来ないんだろうな)
パンが入った袋を手に持った晴輝が、重い足取りで屋上に向かう。
○同・屋上
理人「遅せえよ」
普段と変わらない様子で、理人が晴輝に声をかける。
理人「あ~、腹減った。早く食おうぜ」
晴輝「あ、ああ」
すでに弁当の包みを開けている理人の隣に座り、袋からパンを取り出す。
理人「なんだよ。それしか食わないのかよ。仕方ねえな。ほら、おすそ分けだ」
理人は玉子焼きを箸で掴み、晴輝の口に運ぶ。
晴輝「いただきます」
玉子焼きをモグモグと咀嚼したのも束の間、すぐに大きな声をあげる。
晴輝「しょっぱっ!」
ケホケホとむせ返りながらペットボトルのお茶を飲む晴輝を見て、理人は目を丸くする。
理人「まさか……」
恐る恐る玉子焼きを食べる。
理人「ゲッ! 砂糖と塩を間違えた!」
理人が口に手をあてる。
晴輝「これ、理人が作ったのか?」
理人「まあな」
形の崩れた大きなおにぎりと、少し焦げている玉子焼きを見て尋ねてきた晴輝に、理人はうなずく。
晴輝「この前は、理人の家庭の事情も知らないのに口を出して悪かった」
理人「いや、俺も……ムキになって悪かったよ」
照れたようにうつむいたものの、お互いの様子を確認するためにゆっくりと顔を上げる。
理人「俺は病気を言い訳にして、ただ面倒くさいことから逃げていただけだって気づいたんだ。だから、まずは家事を手伝うことにした」
晴輝「そうか」
理人「ああ。早起きして弁当を作る俺を見て、莉子は雪でも降るんじゃないかって驚いていたけどな」
話を聞いていた晴輝がハハハッと声をあげて笑う。
理人「あっ、ヤベ!」
晴輝「どうした?」
理人「これと同じ弁当を、莉子に持たせたんだった」
理人の顔が青ざめる。
○同・二年三組の教室
沙良「今日のお弁当、いつもと違うね」
机の上に置かれたおにぎりと玉子焼きを見た沙良が、複雑な表情を浮かべる。
莉子「理人が作ってくれたんだ」
沙良「へえ、そうなんだ」
莉子「うん。いただきます」
玉子焼きを頬張った莉子の顔が歪む。
莉子「しょっぱい!」
莉子の大きな声が教室に響き渡る。
○同・二年三組の教室(HR中)(午後)
莉子「体育祭の実行委員に立候補する人いませんか?」
教壇に立って声をあげても、クラスメイトは机に突っ伏して居眠りをしていたり、スマホをいじったりして莉子の話など聞いていない。
莉子(これは決まるまで時間がかかりそうだな)
莉子「あのっ! 体育祭の実行委員ですが誰か……」
晴輝「俺、立候補します」
莉子の言葉を遮った晴輝が手を上げる。
女子生徒①「えっ? ヤバい!」
女子生徒②「じゃあ、私も立候補しちゃおうかな」
晴輝の言動に驚いた女子生徒たちがざわつき始める中、那美が手を上げてイスから立ち上がる。
那美「はい! 私もやります!」
鬼気迫る那美の様子に怯んだ女子生徒①と②が、黙って口を閉じる。
莉子「それじゃあ、体育祭の実行委員は藤間君と渡辺さんにお願いします」
莉子が手を叩くと、パラパラと拍手が起きる。
○同・二年三組の教室(放課後)
HRが終わり、教室から出ていこうとする晴輝を莉子が呼び止める。
莉子「藤間君、実行委員に立候補してくれてありがとう」
晴輝「別にアンタのためじゃないから」
ポケットに手を入れて、莉子から視線を逸らす。
莉子「そうだけど、藤間君が立候補してくれなかったら、いつまでも決まらなかったと思うから」
晴輝「……」
ふたりの間に少しの沈黙が流れる。
莉子「呼び止めてごめんね。じゃあ、また明日」
晴輝「あのさ、理人が作った弁当食った?」
話を切り上げようとした莉子に、晴輝が声をかける。
莉子「もしかして、藤間君も食べたの?」
晴輝「まあな」
莉子「砂糖と塩を間違えるなんて信じられないよね。帰ったら文句言わなくちゃ」
頬を膨らませて文句を言う莉子を見て、晴輝がクスクスと笑う。
晴輝「俺も玉子焼きは甘い方が好き」
莉子「そうなんだ」
普段はクールな晴輝の口から出た子供っぽい言葉と無邪気な笑顔に、莉子の心臓がドキリと跳ね上がる。
莉子(なんだか、かわいらしいな)
つられるように笑みをこぼしたとき、那美が晴輝に声をかけてくる。
那美「藤間君、体調は大丈夫?」
晴輝「ああ、平気。心配かけて悪かったな」
莉子(えっ? 藤間君、調子が悪かったの?)
晴輝の様子を気にかけながら、ふたりの会話に耳を澄ます。
那美「ううん。気にしないで。那美、体育祭の実行委員するの初めてだからいろいろと教えてね」
晴輝「一緒にがんばろうな」
那美「うん」
晴輝と那美が楽しそうに話す様子を、莉子が見つめる。
莉子(もしかして渡辺さんって、藤間君のことが好きなのかもしれない。邪魔したら悪いよね)
莉子「じゃあ、私はこれで。沙良、お待たせ!」
晴輝と那美の前からそそくさと立ち去り、沙良のもとに急ぐ。
那美「小鳥遊さんが気になる?」
沙良と一緒に教室から出ていく莉子のうしろ姿を見つめていた晴輝の顔を、那美が覗き込む。
晴輝「まさか。じゃあ俺もこれで」
那美「藤間君! パンケーキの美味しいお店知っているんだけど、今度一緒に行かない?」
晴輝「悪いけど俺、甘いもの苦手なんだ。ごめん」
軽く手を上げて教室から出ていく晴輝のうしろ姿を見つめながら、那美は不満そうに唇を尖らせる。