純潔嗜好男子
いや、どちら様ですか?と顔色に出ているのは間違いない。
それなのにきょとんと首を傾げた男に、私も同じ動きをみせる。
「…楽しんでる?」
やっと口が開いたと思えば、やたらと甘ったるい声で尋ねてきた。
キラキラと輝くクリーム色に程近い少しだけ肩に掛かるサラサラな髪の毛。目鼻立ちは掘り深く、こちらを見つめる眼球は、白浜の青を思い出させる程澄んでいる。
見た目外国人の男がナチュラルに日本語を話すものだから、とりあえず安心した。
「はじめて来ましたが、とりあえず五月蝿いですね…ココ。」
「ッハハ!そりゃここはクラブだからね〜。酒と音楽が好きで飢えた男女が集まるんだからテンションぶち上げる為に五月蝿くしてるんだよ。」
「そうですか、ま、仕事じゃなかったらこんな所絶対来たくないですね。」
「へぇ〜君、仕事で来てんの?市場調査?取材?それとも接待とか?」
なんだこの男は、妙に距離感が近いし、まあ本当に顔面が近いのは否めないのだが…。
でも、無駄に美形だしなんなら良い匂いするし、とりあえず社長の口臭と比べたら無害だ。
見るからにモテそうなのに、どういう目的でここに来たのか、まーじで分からん。
「調査と言えば調査ですけど、ちょっと野暮用で上司の娘さんの付き添いなんですよ。」
上司というか社長だけどね。因みに本物の上司は半年前に消えました。
「そっかー。で、その連れは?」
「それが、目当ての人物が来たらしく…恐らくあちらの方かと思います。」
そっと指差した方向は、矢鱈と女の子が群がってるエリア。
きっと杏奈は、その近くの席を確保したかったみたいだが…。
「へぇ〜。そうなんだ。」
「はあ。」
普通こういう時の会話ってどうすのだろうか。適当に相槌打ってれば、この男はどっか行くのかな?
いや、まず回した腕を払いたいものだ。
表面積は杏奈と比べれば絶対防備な私の服装だが、布越しでも男の体温や感触が鮮明にわかる。
緊張してるか?と問われれば確かにそうなんだけど、とりあえず早くどっか行けよと念を送っていると、ニタリと何を考えてるのか分からない怪しげな笑みを浮かべた男が、近くを徘徊していた店員を呼びつけて何やら一言二言交わし終えると、「で、君何ちゃん?」とこいつも今更ながらに私の名前を聞いてきたので、すかさず「佐藤です。」と偽名を答えていた。
「本当に佐藤?てか、名前聞いて初めて名字言われたよ。」
何故かケラケラと笑い出した男に、「佐藤ってこの国に何人居ると思います?一番多い名字ですよ。」と淡々と言えば、「へぇ〜てっきり田中が一番かと思ってたよ。」と意外にもコミュニケーション能力は高いみたいだ。
見た目がこんなんだから、偏見を持ってしまう。ま、俗に言う色欲塗れのこんな場所だから、この程度の会話は初歩的なものに違いない。
「因みに田中は四位です。佐藤の次に多いのは鈴木ですよ。」
「へぇ〜佐藤ちゃん詳しいね。頭良いでしょ。」
「そんなことないです。仕事で調べなきゃいけない場面があって、偶々覚えてただけです。」
社長との日常会話で、暇つぶしとしか思えない素朴な疑問を投げかけられ、自ら動こうとしないあのおっさんの代わりに私が調べてあげたんですよ。
凄くどうでもいい話題だったが、『ありがとう。これからは顧客の名前ど忘れしたら、とりあえず佐藤さんですね!って言うね。』『やめてください。分からなかったらちゃんと私に訊いてくださいよ。』と念を押しといた。
ここ三年近く、上司のフォローをしつつ顧客の顔や名前を覚えることに専念していたから、完璧とは言い難いが、それなりに自分の記憶力に自信はある。
物覚えは比較的早い方。元上司がそこだけは太鼓判を押してくれていた。
そんな長所が今役立つなんて…。