純潔嗜好男子
何が何やらと思いつつも、見事杏奈に捕まってしまった男の表情は引き攣った笑みを浮かべており、それが実に滑稽である。
さっきまでのヘラついたものとは違く、圧倒されて困ってるとでも言いたげに。
「氷室さんのお姿だけ見えなかったので、どうしたのかな〜って思ってたんですよ?」
「あはは。君の連れが一人で寂しそうだったから声掛けたら意気投合しちゃってね〜。ね?志歩ちゃん。」
いつの間にやらじわじわと私に接近していた男が、同意を求めてくるが、私はコホンと咳を吐き密かに奴を睨みつけた。
「え!?そうだったんですか〜。志歩ちゃん連絡くれれば私直ぐに戻ってきたのに〜。」
「申し訳ございません。杏奈さんに連絡を取ろうと思ってはいたんですが、この方が執拗に話しかけてくるもので…」
すると男はぎこちない動きで「やだな〜…さっきまで楽しく会話してたじゃない。」と何故か罪のなすりつけ合いの様な展開になっていた。
杏奈はと言えば、私を軽く睨んでいたが直ぐに男の腕に絡みつきだして、その豊満な膨らみをこれでもかと押し付けていた。
「私、氷室さんにお会いしてみたくて今日来たんですよ。」
「あ、そうなんだ。」
「伊賀さんと篠宮さんはあちらで楽しんでたので、どうしたのかな〜って…」
「俺は席行く前にトイレ行ってたから、その帰り道で志歩ちゃん見つけてね。で、仲良く話してたら君が帰ってきたってわけよ。」
「え〜。そうだったんですか?それなら私もここに居れば良かった〜。」
猫撫で声、プルプルの唇、ガッツリ逆立ったバサバサの睫毛。ここまでこの男に媚びてれば、話の内容的に、杏奈のターゲットの一人だったのかと気付くのは安易なことである。
それにしてもこの男、氷室は先程から助けを求めるように、ちょこちょこと私の太もも辺りに触れてくる。それが妙に気色悪いが、知ってしまえば尚のこと、コイツを無下にするのは得策ではない…のだが、どうしたら良いものか。
「杏奈さんお手洗いに行ってきても宜しいですか?」
「うん!いってらっしゃい。」
この場から私が消えることで、彼女のご機嫌が取れるのならば、それは良いことで間違いなし。
さっき出会ったばかりのこの男を助ける義理なんてないし、況してや願ったり叶ったりである。
きっと杏奈は、さっき言ってた他の二人とは宜しく出来なかったから呆気なく戻ってきたが、神は彼女を見捨ててはいなかったらしい。
そっと腰を上げてその場から去ろうとすると、「志歩ちゃん、待ってるね。」と氷室が異常な程瞬きを繰り返している。
「三日ぶりなんで、お時間掛かるかもしれないです〜。」と杏奈の真似事の様に語尾を伸ばし、踏ん張る仕草をしてふざけて言ってのければ、氷室の表情が固まった。
その隙に人混みに紛れてトイレへと向かい、丁度空いた一室に入り便座に座り込むと、さっきまでの疲れがどっと押し寄せてきて、私は深い溜め息を溢した。
もうこのまま帰っても良いだろうか?念の為、社長に一報を入れる。
『対象に接触完了しました』
後は杏奈次第だ。あの子がヘマをしでかせば、それはそれで良い。私には関係ないのだから。
まあ、あんな美形男を手に入れたいって気持ちは客観的見てに分からなくもないが、氷室が杏奈に惚れることはまず無いだろう。
今夜の出来事は夢のひと時だと思って、諦めがついてくれればいいのだが、もし仮に二人がくっ付いたとすれば、それはそれで私の苦労も報われるってものだ。
結局どっちに転がろうが、杏奈が今幸せってのは間違いない。