ワケあり王子は社員食堂の女神に恋をする
「ねぇねぇ、それより聞いたぁ〜?」
「え、何を?」
給湯室の中はそれ程広くない。
この階にある部署専用の給湯室なのだが、そこには一人暮らし用の小さな冷蔵庫と流し台や電気ポット、社員達のマグカップなどを保管する小さな食器棚が置かれてあるだけ。
そんな狭い給湯室にいるのは三人の若い女子社員達──それぞれが流し台、冷蔵庫、壁際に寄っかかりながら輪の中心に向かって各々が小声で話し合っている。
(女子社員の方達?……あ、偶然でもここにいたら盗み聞きみたいになっちゃ──)
「院瀬見部長っ、とうとう蓮見令嬢との結婚が決まったらしいよっ!」
(…………え)
「はぁ〜?! それ本当? またガセじゃないのぉ」
「それが、秘書課の同期から聞いたからあながち嘘でもないらしいのよぉ〜」
「マジかぁー!…あ〜あ、推しのイケメンが人のものになっちゃうなんてぇ〜、ショック〜」
(……院瀬見さんの結婚が…決まっ、た…?)
盗み聞きしてはいけないと思いながらもつい聞き耳を立ててしまった桜葉。
早くこの場を立ち去らなければいけないのに体が思うように動かない。
唯一、自販機のボタンに当てていた指だけがかろうじて動く。
(……そ、っかぁ)
思考がぼんやりとしながらも落ちてきたペットボトルを拾い上げた桜葉は、無理矢理にでもその体をゆっくりとエレベーターの方へと向かわせようとする。
(院瀬見さんが…結婚、する……そっか…そうだよね、そんなようなこと潮くんも言ってたし、私だってわかっていたことなのに……)
──そのはずなのに……もしかしたらまた、いつもの噂に過ぎないのではないかとどこか頭の片隅で願っていたのかもしれない。
桜葉が岳と接するなかで、自分に都合よくそう思い始めてしまっていた矢先の結婚話だった。
「さ~よちゃんっ!」
突然その陽気な声と共に、エレベーター前で呆然と立ち尽くす桜葉の肩がポンッと誰かに叩かれたのだ。
モヤモヤした感情の渦の中にいた桜葉の意識は一瞬にして現実の世界へと引き戻されてしまった。
「か、神谷さんっ!?……はぁ、びっくりした…」
急に意識が引き戻されたものだから、桜葉の心臓はバクバクと激しく波打っている。
「ごめんごめん、そんなに驚くとは思わなくて。桜葉ちゃんはまだ仕事中?」
「はい。今、食堂で最終的な打ち合わせをやっているんです……あ、でも私はこれから少し屋上で休憩を取ろうかと思っていて」