ワケあり王子は社員食堂の女神に恋をする
手が温かいのは当たり前のことだが、桜葉の手は温かいを通り越してとても熱を帯びているように感じたのだ。
「だ、大丈夫です。
確かに少し咳は出てますけど私、風邪を引いても熱が出る前にいつも治っちゃうもので……あっ、でもそうか、マスクはちゃんとしないとですよねっ」
「いや、それよりも今日はこのまま帰ったほうがいいんじゃないかな。明日のこともあるし、何より鳴宮さんの身体が心配だ」
神妙な面持ちで心配する岳のアンニュイな表情に桜葉はふとして目を奪われ、悪いと思いながらも暫しその空間に魅入ってしまっていた。
──しかし
桜葉は同時に疑問だらけの思考で胸が苦しく締め付けられている。
(どうして院瀬見さんは……私のことを心配してくれるんですか? どうして優しく手に触れてくれるの? どうして今週は食堂に来なかったんですか?
どうして、好きでもない相手と結婚を──)
疑問を考えだしたら止まらなくなる、不安になる、でも好きだと伝えてしまったらもっと欲張ってしまいそうで怖い──そう思うと桜葉は今の状況に感情のまま流されているのではと、いつもの癖で自分の気持ちにブレーキを掛けてしまいそうになる。
(…院瀬見さんは感情のまま流されてはいけない相手なんだ……結婚のこともちゃんと聞きたいのに、決定的なことを言われるのが怖くて聞けないだなんて──情けないな…諦めたくないって決めたばかりなのに)
「鳴宮さん?……あ、いや、俺も君のこと桜葉さんって下の名前で呼んでも──」
無理にでも冷静にならなければと咄嗟的に自分の気持ちを抑え込もうとした桜葉は、動揺を隠せないまま握られていた岳の手を慌てて振り解いてしまう。
「あっ、あの!
……えっと、もうすぐ降りる駅、ですよね。あの……あ、ありがとうございます、電車の揺れで私が倒れそうだから手を…握ってくれてたんですよねっ。
でももう…大丈夫ですので、スミマセン…」
それは偽りの言葉……本心はずっと繋いでいたかった。
手を離したくはなかった。
──でも、降りる駅に近づくにつれて同じ会社の人に見られてしまう可能性だってある。
(例え好きではない相手だとしても院瀬見さんには今、婚約者がいる身、もし私といて変な噂でも立てられたら……院瀬見さんの仕事にも影響がでてしまう…)
手を離してしまった数秒後、電車内には会社の最寄り駅へ着く旨のアナウンスが流れ始める。
二人の間に微妙な空気が漂い始めていたため、そのアナウンスに少し安堵した桜葉は小さな溜め息を漏らしてしまった。