ワケあり王子は社員食堂の女神に恋をする
── 知らなかった世界?
今時、そんなメルヘンのようなことをいう人間がいるのかと岳のクールな顔が一瞬歪む──が、本人の顔を見ていると本気で言っているよう。
そんな中、奥の厨房では「鳴宮さんっ! 早く持ち場に入りなさい!!」と、再び料理長の怒号が響き渡り始めた。
「は、はいっ! 今すぐっ!
……では院瀬見さん、本当にありがとうございました。
今度、食堂に来た際は内緒でちょっとだけサービスしますね」
桜葉は再びお辞儀をし慌てて自分の持ち場へ戻ろうとした──が、岳はその時なぜか、桜葉を引き止めたいという衝動に駆られてしまっていた。
「ちょっと待って、君の名前は……」
単純に興味が湧いた。
彼女の名前を知りたいと思った。
手に持っていたコック帽をかぶりながら振り返る桜葉は、屈託のない笑顔と共に岳の問い掛けに返答する。
「私、鳴宮 桜葉って言います。
色々とご迷惑をお掛けしてしまいましたが……院瀬見さんとお話しが出来てとても楽しかったですっ。
院瀬見さんの優しい人柄が知れましたし……今日は私、ラッキーでしたっ」
最後にその言葉だけを言い残し、彼女はその場を去って行った。
残された岳も桜葉を見送った後、直ぐ様、自分の職場へと戻って行く。
(……楽しい? 優しい?……ラッキー…)
その言葉に疑念を持ちながらも自分の顔が火照っていくのがわかる。
いつの間にか真っ赤になっている自分の顔を片手で覆い隠し誰にも見せず……岳は呼ばれていた社長室まで速足で駆け抜けていった。