ワケあり王子は社員食堂の女神に恋をする
その引き寄せられた強い力によって、桜葉の身体は反動で振り返るような形になってしまう。
不覚にも今一番、自分の顔を見られたくない康太先生に泣き顔を晒す羽目になってしまったのだ。
走っている間、自分も気付かないうちに桜葉の瞳からは大粒の涙が次々と流れ出ていたのである。
「……せ、先生……ど、どういうこと、ですか?──どうして……水樹と…」
──きっとこれは現実ではない、きっと何かの間違いなんだ、きっと先生はちゃんと否定して…
「ごめん桜葉……別れて、ほしい」
一番信じたくなかった、聞きたくなかった言葉が桜葉の全身を覆い尽くす。
その言葉の意味はわかっている、わかってはいるが何も考えられない桜葉はただ茫然と立ち尽くすしかなかったのだ。
そんな桜葉とは対照的に康太先生は、気まずそうに桜葉を直視できずにいながらも重ねて言葉を伝えてくる。
「今回……彼女に大怪我を負わせてしまったのは自分のせいだ、それも歩けるようになるとは言っても少し後遺症が残ると言われている。──そんな彼女を…俺は一人にさせられないし、ちゃんと責任は取らないといけないと思ってる……だからっ」
(わかってる。──先生が人一倍責任感が強いっていうこと……わかってる…けど)
「尾木さんは俺達の関係を知らない、だから桜葉も出来ることならこのまま黙っていてほしい。……桜葉には申し訳ないと思ってるし自分勝手で一方的なお願いだと思ってる…」
(だからって……何で私達が別れなきゃいけないの? 私は……先生とずっと一緒に、いたいのに)
「でも……こうするしか」
(──私は別れたくないよ、先生っ……)
「……わかった」
「桜葉…」
小さな溜め息を漏らし強張った身体から力を吐き出した桜葉は少しだけ口角を上げた顔を先生に向けた。
笑顔でもない泣き顔でもない、今できる精一杯の桜葉の表情──
「先生とは……別れます」
本心と違う言葉を吐き出すのがこんなにも辛いことなのか。
本当は言いたいことがたくさんあるというのに、この言葉しか桜葉の口から出ることはなかった。
そして、その別れ話を最後に康太先生と逢うことはなくなった。
一人でいっぱい泣いたし家から出ることもしばらく出来ず仕事も辞めた──苦しんで悲しんである時、家の貯金が残り少なくなっていることに桜葉は気付いたのだ。
このまま働かなければ一家が野垂れ死んでしまう、背に腹は替えられない。
(……いつまでも働かないわけにはいかない)
また、同時期に水樹と康太先生が婚約したことを知った桜葉は、二人がいるこの地元を離れ上京して働くことを決めたのである。