ワケあり王子は社員食堂の女神に恋をする
怒りも気まずさもあり、上辺しか見ていなかった自分への情けなさもありで、桜葉が俯いたまま足早で岳の横を通り過ぎようとしたちょうどその時──
強い力で桜葉の手首は岳に突然掴まれたのである。
「え…ちょ、っと?!」
強い力の反動によって小柄の桜葉は簡単に岳の方へと引き寄せられてしまい、そのまま彼の胸元に収まるような形になってしまったのだ。
理由がわからない。
そう思った桜葉はすぐ後ろにいる岳を見上げ一言物申した。
「な、なんでしょうかっ?! 離してもらえませ…」
「悪いっ!
さっきは確かに最低なことを言った。──だからお詫びと言ってはなんだけど……君の働く食堂でこれから毎日一番高いランチを頼むようにする……その代わり今回のこと話さないでほしいんだ」
(な、そんな交換条件みたいなこと……院瀬見さんって、結局自分のことばかり)
桜葉は掴まれていた力が少し緩くなったのを感じて咄嗟的に手を払い、岳からの束縛を解いた。
「そんな……よくわからないお詫びなんてやっていただかなくて結構ですっ。そもそも私は誰かに言う気なんて全くありませんから。それでは今度こそ、失礼しますっ!」
(── っていうか私、昨日あの人になんて言った?
“優しい人柄”?“ラッキー”?… 全然違うじゃない。
あ~もう…私、人を見る目無さ過ぎ)
再度その場を立ち去ろうとする桜葉にまたもや岳が何かを言いかけてくる。
「鳴宮さ……」
岳の呼び掛けを遮るかのように桜葉は怖い顔をしながらくるっと振り返り、最後にもう一言を投げていったのだった。
「あのっ!申し訳ありませんが、昨日の“優しい”と“ラッキー”っていう言葉、撤回させてください! で、ではっ!」
礼儀正しいのか正しくないのか、去っていく桜葉の後ろ姿を唖然としながら見つめている岳は、ジリジリ遅れて桜葉のその言葉がツボにはまってしまった。
プッとまた自然と笑いが噴き出してくる。
「ハッ……撤回って、真面目かよ」
*
頭にまだ血が上ったままの桜葉はそのまま人事部へ行き、食堂の控室へ戻って帰り支度を始めていた。
すると次第に頭の火照りが冷めていき、桜葉の顔は徐々に青ざめていく。
(いやいやいや……え、冷静になってきたら私、社員の人に手を上げてしまっ、た?
これって……マズイのでは…や、今更ながら……どうしよう)
今後のことを考えると頭が痛い。
頭が痛いのと同時に自分への反省文をブツブツと呟きながら桜葉は家へと帰って行った。
──しかし、
翌日のランチから約束通り毎日食堂で岳が高いメニューを頼み、何かと桜葉に絡んでくるという構図が徐々に他の社員達に認識され始めたのは、それから一週間も経たない頃のことだった。