ワケあり王子は社員食堂の女神に恋をする


── しかしその瞬間、

落ち行く桜葉の身体はがっしりとしたあるものの中へと吸い込まれていったのだ。

それはとても温かくて逞しくて……桜葉を大切に優しく包み込んでくれた。
桜葉は支えられたその中で、張り詰めていた気持ちがホッと一気に解き放たれていくような気がした。

(…………あ、れ…い、痛く、ない?)

つい今しがたまで自分の人生の終わりに覚悟を決めていた桜葉にとっては何とも呆気に取られる状況。
今、自分の身に何が起きているのか──状況を把握しようと桜葉はゆっくりと目を開けた。


(── え……い、せみ、さん?)

真っ先に視界に飛び込んできたのは倒れ込む桜葉を両腕でがっしりと抱き寄せる岳の姿。
岳は息を切らし汗をかきながらも心配そうな顔を覗かせ桜葉のことを見つめている。

「大丈夫、鳴宮さん!?」

「え、い……院瀬見さん? あれ、私どうして」

一度に色々なことが起こり過ぎて桜葉の脳内は一時的に混乱をきたしていた。
自分の身に一体何が起きたのかすっかり頭から抜け落ちてしまっている。

「間に合って良かった。鳴宮さんのことが気になって家まで来てみたんだけど……ほんと無事で良かった」

(──あ……そうか、私…あの男の人と揉み合ってる内に勢い余って落ちそうに…)

そう思った瞬間、今までの事柄が勢いよく脳内へと流れ込んでくる。
(もや)のかかっていた頭の中が一気に冴え始めると桜葉は抱えられていた岳の腕から飛び起き「あ、あの人は!?」と踊り場にいるはずの忠彦の方へと視線を送った。
すると踊り場では何かを大声で叫ぶ忠彦と、その忠彦の両腕を後ろで掴み拘束する一人の男性がいたのだ。


「くそっ! 離せっ!! さよちゃんは僕の恋人だぞ! お前、近寄るなぁぁあぁー!!」

「はいはい、ストーカー君。さよちゃんは君の恋人でもなければ知り合いでさえもない。君のやってることは一種の犯罪だよぉ~」

忠彦を拘束する大柄な男性が軽い口調で諭すが、忠彦の耳には何も届いていないようだ。

「あ、あの…人は?」

「あぁ、心配いらないよ。彼は俺の知り合いでこういう事柄には慣れている男だから。今日は念の為一緒に来てもらったんだ。
── 鳴宮さん、ちょっとここで待っててくれる?」

「は、はい」

岳は自分の上着を脱ぎ小刻みに震える桜葉の背中にそっとかけた後、その場を立ち上がり踊り場の方へと近寄って行ったのである。



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