ワケあり王子は社員食堂の女神に恋をする
「それで見合いの日なんだが、明後日── 十五日の土曜は院瀬見くん、空いているかね?」
「…はい、空いています」
「そうか、良かった。詳細は追って連絡するが……娘、薫子が早く院瀬見くんに逢いたいと言っておってな」
岳は心にもないことを笑顔で返す。
「光栄です。私も薫子さんにお逢いするのが今から楽しみです」
(我ながら口がよく回る── 用事とはこんなことか…仕事もたまっているしもう帰りた)
「それはそうと…」
見合いの件も呆気なく終わるかと思っていた矢先、突然、蓮見社長が別案件を切り出してきたのである。
「最近、食堂で働く女性と何やら仲が良さそうじゃないか。……確か、鳴宮 桜葉、と言ったかね?」
思いがけない問い掛けに、岳の偽りの笑顔が剥がれ落ちそうになる。
──が、相手の揺さぶりに本心を見せてはいけないとすぐに冷静さを取り戻した。
「……お調べに、なられたのですか?」
その言葉に蓮見社長は岳を凝視すると、しばし二人の間には沈黙の時間が流れた。
「── いや。君のように眉目秀麗な社員は否が応でも目立ってしまう。調べなくとも勝手に噂が広がり私の耳にも入ってくるというものだ。
薫子と結婚したらもう少し周りに気を配るようにしなさい。愛人を囲むなとは言わないが、娘には気づかれないよう上手く隠せ」
(…あー反吐がでる。
上流階級の人間は何をやっても許させると思っているのか?── 俺の母さんだってお前に……)
喉の奥から今にも出そうになった恨み節を岳は寸前の所で呑み込んだ。
「──噂は、ただの噂でしかありません。
私はただ暇潰しに彼女と会話を楽しんでいるだけですから……ご心配なく」
(自分の真の想いを無理矢理否定する度に、何か違うものが壊れていくような気がしてならない…)
そんな虚無感に押し潰られそうになった時、岳の脳裏にふと桜葉の姿が思い浮かぶ。
今まで接してきた桜葉の行動や言動、笑顔に怒った顔────
(──あぁ……そうか。
彼女と離れがたくなるのは、壊れそうな自分を繋ぎ止めてくれそうな、そんな気がするからなのか)
「わかった。それを聞いて安心したよ。……ただ結婚までには自分の女性関係は一旦整理しておきなさい」
「──わかりました」
社長室を出た瞬間、岳はその偽りの笑顔を外すと直ぐ様、キチッと締めていたネクタイを緩め始める。
そして大きな深呼吸を何度か繰り返しながら、一刻も早くこの伏魔殿のような場所を立ち去りたいと思うのであった。