ワケあり王子は社員食堂の女神に恋をする
その中の一人── 歳は三十代前半だろうか……黒縁眼鏡をかけスーツを綺麗に着こなすその男性は開いた手帳を左手に持ちながら静かに口を開く。
「しかしですね植島さん。こんな好条件はなかなかありませんよ。
ここよりももっと良い条件のお店を紹介しますし、立退き料も破格の金額をお支払いする……一体何が不服だと言うんです?」
“植島” は父の姓、今名乗っている “院瀬見” と言う名は岳少年を引き取ってくれた親戚の姓だ。
良い条件?…立退き料?
聞いたことのない言葉がズラッと並び、当時の岳少年が理解しようとするのは到底無理なこと。
でもこの男性の口調からして、かなり苛ついているのは何となくわかった。
「まぁまぁ久藤くん。
植島さんにも色々と考えることがあるのだろう、秘書の君がそう攻め立ててはいけないんじゃないかな」
「しかし、蓮見しゃ…」
「それともっ──君は私に意見でもするつもりなのかい?」
一瞬にして場の空気が更に悪化し凍りつくのを感じる。
社長と呼ばれたその男性は一見、優しそうな物腰で対処したかと思うと、一変して眼光鋭く誰もが息を吞んでしまうほどの威圧感を与えてくる。
どうやらこの二人の関係性は社長に秘書という立場らしい。
社長は二十代後半、秘書と呼ばれた久遠よりも少し若く見える。
背が高く栗毛色の髪はオールバックにスタイリングされ、加えて整った顔立ちに大手企業の社長という肩書があれば、今まで女性に不自由しない人生を歩んできたのは容易に想像できた。
彼は大手不動産会社 “ハスミ不動産” の新社長、蓮見京一郎という人物だ。
一年前に急死した前社長の後を継ぎ、彼は若くしてその地位を自分のものとした。
若いながらもやり手で先見の明があり次々と新事業に手を出してはどれも成功を収めている。
──だが反対に黒い噂もある。
法律すれすれの汚いやり方で蓮見は成功しているのだとか── 脅迫、暴力、対象者を自殺へと追い込む……などなど。
自分が仕掛けた後処理を裏の人間にまかせているのだとかという黒い噂。
しかし彼の手際良さなのか、それとも頭が回るからなのか確たる証拠は今まで出てきていない、だからそれはどれも黒い噂の域を出ないのだ。