ワケあり王子は社員食堂の女神に恋をする


父は一人、妙に納得した表情を浮かべ冷ややかな視線を母に送ってくる。
きっとこの時の父はまともな判断が出来なかったのだろう。
まともな判断が出来ていれば── 母にあんな酷いことを言うはずがなかった。
このような苦境な立場に直面した時、案外男の方が脆かったりするものかもしれない。


「……そういうことって、なに…」

「詩乃、お前──もしかしてあの蓮見京一郎とデキてるんじゃないのか?
お前は俺達が守ってきたあの店を簡単に手放せと言う……ハァッ、貧乏料理人より金持ち社長にでも乗り換え…」

バシッッ! ──


父が下衆な言葉を言い切る前に母の強烈なビンタが父の頬へと飛んできた。

今までも喧嘩することはあったがお互い手を出すことはなかった、そもそもこれまでの喧嘩自体、他愛も無い軽い言い合いのようなもの。
だからなのか、強く頬を叩かれた父は母の怒りの形相を目の当たりにし驚きを隠せないでいる。

「何バカなこと言ってるの!? ちゃんと目を覚ましてよっ。
私だってあの店は大事、あんな奴に盗られたくもない!……でもそれよりも私は、あなたと岳との三人の生活をもっと大事にしたいだけっ」

口に出してしまった父の言葉が何とも酷いものだったか。
目に大粒の涙を浮かべ諭すように話しかけた母をジッと見つめるだけの父は後悔ばかりが心に残った。
涙を手で拭いながら父の制止も聞かず、母は鞄を手に取ると急いで外へと出て行ってしまったのである。

母の後ろ姿を目で追いながら頭を抱えた父は、後悔と自分への怒りを吐き出すように大きな溜め息を吐く。

(ハァァッー……俺は何てことを言ったんだっ。思ってもいないことをわざと口に出して、詩乃を傷つけて)

そう思った父は再度、大きな溜め息を床に落とす。

(…詩乃達が帰ってきたら…ちゃんと謝ろう。そして、今後のことをちゃんと前向きに話し合おう──
俺達は家族なのだから)

良くも悪くも母に叩かれ言われた言葉で我に返ることが出来た父。
落ち着かない心情を鎮めるためにとりあえず少し動かなければと、二人が好きなオムライスを作ろうとキッチンへ向かうのだった。




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