ワケあり王子は社員食堂の女神に恋をする
岳少年は目の前に並ぶ美味しそうなオムライスを見て一瞬、自分の意識が飛びそうになるが父の掛け声で直ぐ様我に返ることができた。
「おかえりっ岳。いっぱい動いて腹減っただろう?!……ん?どうした、母さんは一緒じゃないのか」
そう言った父は廊下の先にある玄関を見やったがそこにも母の姿はない。
「た、大変だよ、お父さんっ!!
お母さんがこの前の悪いやつに連れて行かれたっ!」
悪いやつというのは嘘ではないが、実際には母自ら車に乗り込んだ。
しかし七歳の岳少年にとって父に詳細な事柄を伝えるのはまだ難しい。
彼の言葉の意味をそのままに受け取った父は京一郎に対する怒りが一気に込み上げ、岳少年の肩を衝動のまま強い力で掴みかかってしまった。
「岳っ! お母さん達がどこに行ったか知らないかっ?!」
「え、え…あ、なんかアカルミア?…ホテル、とか、何とかって言ってたような」
突然、怖い表情へと豹変してしまった父に圧倒された岳少年は、ついホテルの名を噛んでしまったがそんなことは関係ない、父にはその言葉だけでホテルの名がすぐにわかったようだった。
ホテルの名を聞いた父は直ぐ様ハンガーに掛けてあった自分のジャンパーを引きちぎる様に奪っていくと、そのまま玄関へと向かって走って行く。
「いいか、岳! 父さんがここを出たらすぐ家の鍵を閉めるんだっ!
俺は母さんを迎えに行ってくるから少しの間、一人で留守番しててくれっ」
「う、うん…わかった…」
ここからアカデミアホテルまでは二度電車を乗り継ぎ、約四十分ほどで辿り着く。
当時、まだ車を所有していなかった父には電車もしくはタクシーという選択肢しかなかったが、運悪くこんな時に限ってタクシーは一台も通らない。
ここで、もたもたして時間を取られるより少しでも先を急ぎたかった父は仕方なく電車という選択肢を選んだ。
──しかしあの時
岳少年は母に何かあっては…と父に助けを求めたが……あんな結果になってしまうのなら、今となっては伝えないほうが反対に良かったのではないかと俺は思ってしまう──
母を助けに出て行った父はそれから二度と、家に帰ってくることはなかったからである。
かなり遅くに母だけが家へと戻り、既に寝ていた岳少年の横に来ると力なくその場にペタンと座り込み、只々すすり泣くだけの母。
帰ってきた物音でぼんやりとした覚醒をしながらも、その時の母の様子は鮮明に今でも覚えている。