青春の坂道で

第1章 春風のごとくに

 ゼミを終えた俺は校舎を出て食堂へ向かっていた。 頭の上では真昼の太陽が元気いっぱいに輝いている。
経済学部や法学部に進んでいった親友たちは明けても暮れてもレポートや資料に囲まれて、喘ぎ喘ぎの生活を送っている。
それに引き換え、俺は文学部だから大した目標も無いままに机に向かって頬杖を突き、それが終われば何人かと飲み明かしている。
今朝ほども話題も行く当ても無く数人で飲み明かしていたところである。
 教授先生というのは喋っている間は寛容な物で寝ていようが鼾をかいていようがまったく無神経に咎めることも無い。
それがだ。 単位が決まるとなると有り難くも目の色を変えてお説教をしてくださるのだ。
そのおかげでなんとか滑り落ちずに俺もここまでやってきた。
 今は2年の春である。 二十歳ともなれば「これからは大人として国のために、、、。」などと形だけでも気持ちの良いことを言わせてもらっておとなしくしているのだが、、、。
最近はそうもいかないらしいね。 新成人は何処でもお暴れになる方がいらっしゃって。
だからか、俺たちまで巻き添えを食ってしまって、まるで危険物のように思われている。
 学内は先生方や先輩方があれやこれやと目を光らせていて、少しでも生意気なことを言おうものなら集団で血祭りにあげられてしまう。
サークルなんて物も有るけれど、これはまた厄介至極で怪しい物はとことんまで怪しいし、人気の無い物はとことんまで人気が無い。
宗教とか思想団体とかいうやつもこっそりと潜り込んでくるから捕まったら最後である。
俺の友達も[明日の日本を考える会]とかいうのに引っ張り込まれてしまって、今や真っ赤になって騒ぎを起こしまくっている。
結局は何をしたいのか自分でも分かっていないらしい。
 それだから真っ赤な人たちは困るんだ。 せめてゴールくらい決めて動いてくれよ。
 いつだったか、彼が俺に問いかけてきたことが有る。 「なあなあ、敵基地攻撃能力ってどう思う?」
「どう思うって、いきなり何だよ?」 「なあなあ、お前はどう思うよ?」
「無いよりは有ったほうがいいだろうよ。」 「うわ、こいつも戦争する気だあ。」
「は? 誰と戦うってよ?」 「お前も中国や韓国と戦いたいのか?」
「どっからそうなるんだ? 馬鹿じゃないのか?」 「だってよ、相手を攻撃するってことは憲法違反だし国際法違反だ。」
「お前、おかしいよ。」 「俺は正しいんだ。 お前が間違っている。」
「何処がだよ?」 「日本は専守防衛の国なんだ。 先制攻撃はいかん。」
「またそれか。 聞き飽きたから帰れ。」 「議論をすっぽかす気か? まともに答えられないんだろう?」
「まともに答えてお前が理解するなら応えてやるよ。 理解しないやつに何ぼ話しても無駄だよ。」 「ここにヒットラーが居る。 こいつは危ない男だあ。」
「危険でも違憲でもいいけど、これ以上絡むな。 面倒くさいんだから。」 「おー、逃げた逃げた。 議論に勝てないから逃げた逃げた。 卑怯者だあ。」
そんな感じで絡んできては訳の分らん質問を繰り返し、無視すると騒ぎだすから厄介至極な連中である。
 最近は形だけの平和論者が増えてしまって本当にうんざりする。 おかしくなっちまったね。

 食事を済ませたらバイトに出掛ける。 夜の仕込みとか店の掃除をする。
先輩がやっている小料理屋でバイトしてるんだ。 先輩はこの店の三代目。
俺が入学したころ、不思議にも仲良くしてもらってたからバイト先に選んだまでのことだ。
夜の店と言ったって客が来なければ10時には閉めてしまって、あとは朝までグダグダと飲み明かすんだ。
いっぱい入っても1時には閉めるから、それからはお決まりの部屋に行く。 先輩のお姉さんもいろいろと話を聞いてくれてな。
んで、だちと寝転がっても文句一つ言わずに毛布を掛けてくれる。 親元を離れて2年目。
「そろそろ彼女くらい居るんじゃないの?」 お姉さんには聞かれるけど、そもそもが出会いの無い人間だからねえ。
趣味らしい趣味も、特技らしい特技も持ってない人間だからさ、、、。
 店が終わったらお決まりの部屋で麻雀に嵌る。 他愛も無いことを話しながら朝まで飲む。
ところが最近は不意に真面目な話が出てくるからおっかない。
「雄二、中国が攻めてきたらどうするね?」 「どうするねってどうするね?」
「お前ならどうする?」 「第一、未だ起きてないことを言われてもだなあ、、、。」
心次郎は吸いかけた煙草を揉み消しながら暗示顔をする。 「起きてないからって起きない保証は無いんだぜ。」
「とは言うけど、起きる保証は有るのか?」 「そりゃまあ、何とも言えんがね。」
「だったら空論じゃない。 陰謀論には騙されんよ。」 「だからって安全だと言える保証は無い。」
「そりゃあ、確かに中国と繋がっている政治家はたくさん居るさ。 だからってそれが戦争に繋がるとは考えにくいだろう。」「それはそうなんだが、、、。」
俺は隣で黙っているお姉さんを見た。 彼女は黙ったまま横を向いた。
「さてと、もう一発やるか。」 心次郎はパイを混ぜながら笑った。
 翌日は木曜日。 午後のゼミを終えて通りを歩いていると古本屋が在ることに初めて気付いた。
「こんな所に古本屋が在ったんだ。 知らなかったな。」 古びたガラス戸を開けて中へ入る。
薄暗い店内で客が数人、哲学書の棚を漁っている。
「おー、西田幾多郎だ。 珍しいな。」 「どれどれ? あっはんとだ。」
どうやら哲学科のやつらしい。 俺はそいつらを無視して奥のほうを見た。
「あれ? あの子は?」 セミロングの髪、メガネを掛けて何かを探している。
俺はそっと小説の棚に近付いてみた。 なるほど、西村京太郎とか吉本バナナとか石原慎太郎とか赤川次郎とか一応は名前を知っている作家の本が並んでいる。
何気に西村京太郎の本を取ってみた。 「あ、、、。」
彼女はその本のタイトルを見て声を上げた。 「これ、探してたの?」
「そうです。 読んでみたくて。」 西村京太郎の戸津川警部シリーズ しかも[怒りの追跡]である。
「はい。 あげる。」 「いいんですか? ありがとうございます。」
女の子はお辞儀をすると本を持ってレジへ行った。 後ろ姿も何だか昭和っぽい子である。
(うちのクラスには居ないから1年生だな。」 俺はまた棚に目をやった。
あの哲学青年たちもお目当ての本を見付けたのか、もう外へ出て行っている。
俺はというと詩集を買って下宿へ戻ってきた。 「部屋も汚いなあ。 掃除しなきゃ、、、。」
そりゃそうだよな、ここ三日ほど麻雀に狂って部屋には帰ってこなかったんだから。
下宿の叔母ちゃんも(やっと帰ってきたか。)という顔をしている。
 部屋に入ると俺はまず散らばっているナイロン袋を集めることから始めた。 肉だとか野菜だとか買ってきた袋があっちこっちに散らばっている。
男の料理だとか言って、作るのはカレーと味噌汁だけ、、、。
母ちゃんに言ったらどんな顔するだろうなあ?
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