青春の坂道で
 まあさあ、ラーメンばかり食べてるよりはいいけれど、、、。 片付けが終わると鍋を洗う。
夜飯の準備だ。 とはいっても今夜もまた特製のカレーなんだけどな。
豚肉を切りながら、さっきの女の子のことを思い出してみる。 (文学部の1年生か。 本 好きそうだった門奈。)
あの本屋に来てるのかな? でも1年生ならまだまだだよ。
この辺を歩き回るんだってまだまだ慣れないだろう。 もしかしてこの辺に住んでるのか?
俺だって慣れるのに一か月は掛かったんだ。 それにこの辺は変なのが多いからな。
去年の夏にはホームレスにケガさせたって高校生が捕まってるんだ。 女一人で歩き回れるとは思えない。
 続いてジャガイモとニンジンを切って炒めていく。 確かに危ないよな。
先月だって酔っぱらった卒業生が殴られてるんだもんな。
 さてさて炒めたら水と昆布出汁を入れてじっくりと煮込む。 それにしても可愛かったよな。
セミロングってあんなに印象を変えるんだなあ。 ってか素顔も知らないのにさあ、、、。
 部屋の中にカレーの匂いが漂ってきて腹がグーグー鳴り始めた。 冷蔵庫に入れておいたコーヒーのボトルを取り出す。
それを一気に胃袋へ流し込む。 炊飯器のご飯も残ってるし、今夜はこれでいいな。
スマホを取り出すとニュースサイトを開いてみた。 桜前線も北へ上がってしまっている。
(桜か。 今年も見なかったな。 予定してたけど、バイトの都合が合わなくて、、、。)
丼に盛ったカレーを食べながら俺はふと時計を見た。 もう7時だ。
昨日だったら飲んでるおっさんたちと話し込んでたな。 競馬がどうの、競輪がどうのってずっと喋ってるんだもんなあ。
先輩は慣れちゃってて聞き流しながら焼き物を作ってたけど聞かないわけにいかないしさあ、、、。

 その頃、下村綾子は買ってきた本を机に置いてぼんやりしていた。 「あの人 何処の人なんだろう? 文学青年には見えなかった。 でも西村京太郎の本を探してた。 小説読んでるのかな? でも、、、。」
大学に入るためにこの町に来たばかり。 何処が何処やら分からなくて毎日が迷子になる。
たまたまバス通りの奥に古本屋を見付けて入っただけ。 古い店だけど中は意外ときれいで好きかも。
(明日 学校に行ったら会えるかな?) でも綾子は満腹に満たされてそのまま寝てしまった。

 終末はバイトが忙しくて本屋に行く暇すら無かった。 月曜日になるとゼミの傍らで趣味を探しに出掛けていく。
趣味と言っても三日と続いた試しが無くて父さんには笑われてばかり。 「三日坊主とは言うけれど、まったくもってお前のことだな。」
クラスの女の子に誘われて花を育てたいって言ったことも有るけれど、母さんからは「どうせ長続きしないからやめときなさい。」って言われてしまった。
それくらいに俺は何をやっても続かない。 っていうか発展しないんだなあ。
日記だって二日で飽きてしまって、後は天気予報を調べてそれだけ書いたっけ。
担任は呆れてしまって「学習障害でも有るんですか?」って親に聞いてきた。
そんな俺が大学に入ったものだから弟は引っ繰り返って信用しなかった。 「それってさあ、どっかのサークルじゃないの?」
「そんな訳有るかい。 ちゃんとした大学様だ。」 「兄ちゃんが大学ねえ。 じゃあ俺は大学院に飛び級出来るね?」
「こら、お兄様を馬鹿にする気か?」 「馬鹿を馬鹿には出来ないよ。」
弟が疑った大学に入って2年。 文学部ではあっても頭は使っている。
高校時代まで読まなかった小説とか文学書まで買い込んで読み始めたのだから、部屋を見に来た母さんが「お前大丈夫か?」っておでこに手を当てた。
 さてさて昼食を済ませると3時のゼミまでは時間が有る。 俺はのんびりと本屋へ行ってみた。
何かを探すでもなく、誰かと待ち合わせるでもなく、店内をブラブラと歩き回ってみる。
古い小説から哲学書、辞典から歌集までいろんな本が置いてある。 一つずつ盗み見るように表紙を捲っていると、、、。
「あ、この間はありがとうございました。」と聞き覚えの有る声がした。
「ん?」 振り向くとセミロングのあの子が笑っていた。
「ああ、どうも。」 俺は何だか照れくさくて本で顔を隠しながら、それだけ言うのが精一杯だった。
何分か経って(もう居ないだろう。)と振り向いたら、その子は本を立ち読みしていた。 急に心臓がバクバクしているのに気付いた俺は本を落としてしまった。
「あ、。」 女の子はさっと本を拾うと笑顔で俺に渡してくれた。
「小説、好きなんですか?」 (文学部だからさ、一応は読まなきゃいけないなって思って、、、。」
「私もなんです。 文学部に入ったから読まなきゃって思って、、、。」 「そうなんだ。」
「私、下村綾子って言います。 よろしくお願いします。 先輩。」 「ああ、こちらこそ。」
俺はくすぐったいような恥ずかしいような妙な心持を初めて感じて焦ってしまった。 本屋の帰り道、綾子は本を読みながら俺の後を付いてきた。
なんか緊張してしまう。 道を間違えたり、縁石に躓いたりふつうではない。
そのたびに綾子が背中を支えてくれる。
校舎に入ると「じゃあ、またです。 頑張ってくださいね。」 そう言って綾子は走って行った。
 ゼミが終わると下宿へ戻ってきてつかの間の休みを取る。 6時からはバイトだ。
この仕事も半年が過ぎてだいぶ慣れてきたらしい。 最近ではいろんな仕事を任されるようになった。
「お待ちどうです。」 「兄ちゃん 元気だねえ。」
「元気だけが取り柄ですから。」 「じゃあさあ、こっちにも日本酒を頼むよ。」
「毎度!」 時には厨房にも入らせてもらう。
「いいか。 サンマはこうして焼くんだぞ。」 先輩がいろいろと教えてくれる。・
今夜も忙しくなりそうだ。 「お前さあ、彼女とか居るのか?」
皿を洗いながら先輩が聞いてきた。 「俺なんかに引っ付くような人は居ませんよ。」
「居るんだろう?」 「居たらここには居ませんよ。」
「そうだなあ、、、遊びに行ってるな。」 「さてさて、もうひと踏ん張りかな。」
「頼むぜ。 店長。」 「またまた、、、俺なんて店長をやれるような柄じゃないですって。」
「まあまあ、そう言わずに頑張れ。」 そんな訳で今夜も1時までガッツリ働いて下宿へ帰ってきたのである。
「ファー、眠いなあ。」 下宿の二階は静まり返っていて真っ暗である。
俺以外は専門学校生らしいな。 おばさんに食事を作ってもらっている。
さすがに風呂は無いから近くの銭湯に行くんだけど、、、。
3時までやってる銭湯が有るから俺はこれからお風呂に行くんだ。 こんな所であの子に会ったらどうしようねえ?
仕事している時は思い出しもしなかったのに、不意に思い出すんだからなあ。
まだ好きだとか嫌いだとかいう感情は無い。 だけどあの素直さに魅かれていく自分がここに居る。
それがなんだか怖いと俺は思った。 ただただ本屋で一緒に居ただけ。
それだけじゃないか。 それ以上でも以下でもない。
恋人でもなければ、まだ友達でもないんだからな。
学年も違うし、おそらくは出身も違うはずだ。
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