飛んでる聖女はキスの味
 すると今度は金色の杖に変わったのです。 「こいつはすごい。 本物の金だ。」
持ってみると彼でもよたよたしてしまうほどに重い杖であります。 姫はそんなクリスティーを何も言わずに見詰めています。
 彼は3枚目の花びらに手を伸ばしました。 するとどうでしょう?
 さっきまで確かに揺られていた古い小船がまるで皇帝でも乗せているかと思われるような立派な船に変わったのです。
「これはなんということだ?」 見たことも乗ったことも無い大きな船の中で彼は狼狽えております。
「さあ、こちらへお越し下さいませ。」 さっきまで黙っていた姫が彼を誘います。
 木の扉を開けてみると革張りの椅子に彫刻を施したテーブル、そして暖かい暖炉が彼を待っておりました。
 「これはいったいどういうことなんだ?」 「あなた様はザイミールの方ですね? 私はあなたを探しておりました。」
「この俺を探していただと?」 「そうです。 私はカサブラーナの最後の皇帝 エリオスの娘 ホワイティアです。」
「なんと、、、。」 彼は姫を疑いながらも椅子に座りました。
 そこからは船窓の景色がよく見えます。 うっそうと茂った草むらの中に襤褸屋が1軒、ポツンと建っているのも見えます。
「あれは何だ?」 「先ほど、あなた様を襲った勿怪の家でございます。」
「勿怪とはあのような襤褸屋に住んでおるのか?」 「人間たちに怪しまれぬように好んで襤褸屋に住んでいるのであります。」
そう話しながらホワイティアは温かい紅茶を勧めてくれるのでした。

 「しかし、お前にはなぜ私がザイミールの人間だと分かったのだ?」 「それは今は申せませぬ。」
「まあいい。 私は疲れたので寝たいのだが、、、。」 「畏まりました。」
姫は奥の扉を開き、こちらへ来るように手招きしたのです。
 クリスティーが入ってみると部屋中に花が生けられているのが見えました。 「これは?」
「はい。 カサブランカでございます。 今は季節ではないので造花に香水をたっぷりと湿した物です。」 なるほど、初夏から秋口にかけてあの優雅な香りを振り撒いてくれるカサブランカである。
「これはいい。 今までにこんな優雅な香りを嗅いだことは無い。 ぐっすりと寝れそうだね。」 「それではお休みなさいませ。」
 肌触りのいい布団の中でクリスティーはふと考えた。 ホワイティアと名乗った姫は実在の姫なのだろうか?
カサブラーナは100年以上前に無くなっていると聞く。 ならば、ホワイティアはなぜ今、俺の前に現れたのだろうか?
その皇帝すら今は生きてはおらぬはず。 だとすれば、、、。
 考えは尽きないのですが、これまでにいろいろと有ったので体は疲れ切っています。 彼は知らない間に眠りに落ちてしまいました。

 船は静かに静かに川を流されていきます。 その船を静かな宵闇が覆っています。
その頃、王亭では? クリスティーが居なくなったことなど気に留める物は誰も居ません。
あの馬もいつものように草を食み、庭を歩き、馬小屋に帰っては死んだように寝ています。
 三世は相変わらず国賓が訪れるたびに馬を走らせて喜んでおります。 でもクリスティーが居なくなったことには気付かないのです。
警護の者もいつしかクリスティーのことを忘れてしまいました。 それくらいに影の薄い男だったのでしょう。
 一方のクリスティーは夜も明けぬゆえ、まだまだ集鼾をかいて眠っております。
船は先ほどと同じように川を流されております。 宵闇の向こうに紺色の雲が浮かんできましたね。
明けの明星がキラリと輝きました。 もう朝なのでしょう。
しかしクリスティーは朝の訪れにも気付かぬくらいに眠り込んでおります。 薬でも盛られたかと思うくらいに。
 ホワイティアはというと、船室の窓から川面を悲しげに眺めております。 何が有ったのでしょうか?
 この辺りはまだまだザイミールの領土です。 カサブラーナの人たちには縁も由香里も無い敵国です。
 「この辺りなんだわ。」 赤茶色に染まった岩山が見えます。 「この辺りでお父様は、、、。」
傍に置いてあった弓矢を取りますと、一度だけ岩山に向かって矢を射ました。
矢は金色に光りながら岩山のてっぺんへ消えていきました。 そこへ空から一羽のカラスが、、、。
 カラスはその山の頂上辺りを二度三度とまるで獲物を探しているように巡っておりましたが、すぐに何処かへ行ってしまいました。
かと思った瞬間、激しい雷鳴が聞こえて雨が降り始めました。 「ホワイティア、私をよく覚えていたね。」
「お父様、、、。」 姫は船窓からその山を見やるとニヤリと笑ってクリスティーのベッドの中へ、、、。
もちろん、寝入ってしまっている彼がそれに気付くはずも無く、二人はいつしかきつく絡み合っておりました。
そのままで船は何処までも流されていきます。 ザイミールの領土から出ていくように。
 それから三日があっという間に過ぎ去りました。 しかしクリスティーにはほんの一日のように思えるのですが、、、。
「三日も俺が寝ていたというのか? そんなはずは無いだろうよ。」 「いえ。 あなた様は確かに三日間 お休みになられていましたわ。」
「まあいい。 一日でも三日でも寝ていたことに変わりはないのだ。 食事をしようじゃないか。」 クリスティーが部屋の奥を覗いてみますと厨房が在ります。
ホワイティアは慣れない手付きで野菜を切り、肉を焼き始めました。 「危なっかしいな。 姫だけにやらせるのは気が引ける。 俺も手伝うよ。」
そう言って包丁を握ったクリスティーをホワイティアは懐かしそうな眼で見詰めていますけれど、、、。
「どうしたんだ?」 「あなたは随分と昔に私と会っていますね?」
「何だって? お前と私が昔に会っていたって? とんでもない。 誤解ですよ。 私はあなたなど、、、。」
そこまで言ってからクリスティーはホワイティアの胸元に目を奪われました。 見覚えの有るチェーンが下がっていたからです。
「それは、、、。」 「お忘れですか? これはカサブラーナ皇帝のキーですわ。」 「それは確かに、、、。」
クリスティーは頭の中で現在と過去が入り乱れてしまって手に負えなくなっていることに気付きました。 (どうしたらいいんだ?)
「目を閉じるのです。 スコラディウス殿。」 ホワイティアの言うがままに目を閉じたクリスティーは意識が遠のいていく恐怖を初めて感じました。
しかし後戻りは出来ません。 遠くへ遠くへ、体ごと吸い上げられていく奇妙な気持ちになりながら彼は意識を失いました。
 「さあ、目を覚ましなさい。 スコラディウス。」 何処からか声が聞こえます。
クリスティーは疑いながらも目を開けました。 すると、、、。
 
「お前は我が娘 ホワイティアの良き夫となるのだ。」 そんな声が聞こえてきました。
「俺がホワイティアの夫だって?」 「そうだ。 我が娘 ホワイティアなら文句は無かろう。」
 大きな影がクリスティーの前に現れました。 とっさに身構えたクリスティーですが、腕に力が入りません。
「どうしたんだ?」 「お忘れかな? スコラディウス殿。 あなたはもう人間ではないのですよ。」
「何?」 「あなたは私と永遠の旅を続けるのです。」
「何のために?」 「遥かな昔に滅び去ったカサブラーナを再建するために。」

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