春送り〜藩医の養父と娘の禁断愛〜
 あの騒動のあと、長屋での生活はすこしばかり居心地が悪くなった。
 お千をもらわなかったことから、妙な噂が流れ始めたのだ。

 俺がお春を自分好みの女に育てているだとか、お春は俺の子をみごもっているだとか。

 それでも、面と向かって罵声を浴びせられることがなかったのは、俺が医者だからだろう。
 助けられた恩を忘れてものを言う人間はいないようだ。

「お春、今日から夏祭りだ」
「そうでしたね」

 水汲みから帰ってきたお春は、家のかめに水を注ぎながらうなずいた。
 襟足の髪がほつれ、はらりと垂れる。

 長屋のかぐや、という通り名にふさわしいほど、十八になったお春は美しく成長していた。
 ほっそりとして華のある顔立ちに、白く玉のような肌。濃い色をしたまつ毛が愛らしい目をふちどっていた。

「今日は昼に仕事が終わる。一緒に商店通りに行って、なにか買ってやろうか」

 たとえば、新しいかんざし。くしでもいい。とにかく、祭りの間そばに置けるならなんでもいい。
 この家に放っておいたら、余計な虫が集まってくるに違いなかった。
 お春は桶を置くと、うーんと天を仰いだ。
 
「それなら、手鏡にしようかな」
「いいだろう」
「気前がいいんですね。ふふっ、ありがとう」

 ふわりと花がほころぶように微笑むお春に、胸がどくっと高鳴った。
 まただ。
 俺はいつからか、お春の微笑みに心臓をざわつかせるようになっていた。
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