春送り〜藩医の養父と娘の禁断愛〜
 高森で初めての春を迎え、わたしが十九の歳になった頃のこと。

「今日は非番で時間がある。俺も買い出しに付き合いたいんだが、いいか」
「それはもちろん、構いませんけど」

 日頃、感情の波のない七さんが朝から上機嫌に言うものだから、すこし面食らってしまった。
 わたしは八百屋用にかごを持ち、七さんは魚屋用に桶を持って家を出た。
 桜はとうに散り、夏を思わせる暖かな風が新緑の葉を揺らしていた。

「なにかいいことでもあったんですか?」
「ちょいと小金が入ってな、久しぶりに酒でも買おうかと思って」
「ナガサキにいた頃は、寝る前までずうっと小さな火を灯して本を読んでいらしたものね」

 七さんが一人前と認められたのは、酒も女も遠ざけて、絶え間ない努力があったからだと思う。

「今日の夕げにと思っていましたけど、酒のあてに美味しいお魚買いましょうか。庭で七輪を使って焼いて、できたてで一杯やるのはどうです?」

 わたしが見上げて微笑むと、七さんも嬉しそうに笑顔を見せてうなずいた。

 ねぇ、七さん。きっとわたしたち、はたから見ると夫婦に見えると思うの。だけど、わたしたちが夫婦になることはないのよね。

「はぁ……」
「どうした。急に暗い顔をして」
「なんでも。なんでもありません」

 いつまでも喉につっかえたまま吐き出せない想い。代わりに出るのは重いため息ばかり。
 隣で垂れる空の手を見ては、いつぞやのときのように握ってくれないかと願ってしまう。
 そんなことが起きる気配は微塵もない。
 それが、ただただ悲しかった。
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