春送り〜藩医の養父と娘の禁断愛〜
 七さんは真顔で口を結んだまま、なにも話さなかった。
 藩医を辞めろと言われたのか、それともわたしたちの関係を怪しまれ、責められたのか。
 後者に限っては、鹿山様が言いそうにないけれど……でも、鹿山様のすべてをわたしは知らない。

 七さんが口を開いたのは、家に着いてからだった。
 薬箱を置いて、土間に立ったまま背を向けてわたしに言った。

「すまねぇ、お春」
「な、なんです? 急に」
「鹿山様がお前を後妻にと仰った」

 聞いた瞬間、心臓が大きく跳ねた。
 喜びじゃない。一番起きてほしくないことが起きた衝撃と悲しみだった。
 覚悟はしていた。していたつもりだったけれど、やっぱり辛かった。

「そうでしたか」

 なんともないふりをして、饅頭の入った笹の葉の包みを棚に置く。

「それで、七さんはなんとお返事したんです?」

 七さんは黙った。
 言い淀む気配があった。
 答えを聞かされるまでの時間が、やけに長く感じられ、心がざわついた。

「お春は」

 何度か呼吸を挟んだあと、七さんは声を震わせて続ける。

「俺の嫁ですと言っちまった……」
「え……?」

 夕げの支度をしようとしていた手が止まる。
 七さんの背中を見て、心臓が早鐘を打つ。

「すまねぇ……せっかくお前が裕福な家に嫁げるかもしれなかったのに……それを俺は自分のためだけにその道を潰しちまった」
「か、鹿山様はなんと」
「……そんな気はしていた、と。あの方は穏やかなまま、話はなかったことにと仰ってくださった。色々とお察しくださったのか、俺たちの関係も内密にする、と」

 つくづく奇特なお方だ。
 でも今はそんなことより、もっと知りたいことがある。

「七さんはどうしてそんな嘘を? あんなにもわたしを嫁がせようとしていたのに、なんで」
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