あんたなんかもう好きじゃない
「そういえば、藤沢とサシで呑むのはこれがはじめだな」
「そうですね。ってかまず、ご飯すら行った事無いですもんね、私たち」
遊びに来た真尋先輩が帰るタイミングで、私も首尾よく女子会から抜け出せた。
雅也の事で相談があると持ち掛ければ二つ返事で先輩が時間を作ってくれた為、私たちは今どちらの最寄駅でも無い中間地点の繁華街に来ていた。
大学に入ってすぐ、私は美術サークルに入った。
このサークルが定期的に藝大や多摩美などと共同制作を行うことがあると入学前から知っていたからだ。
私は中学、高校共に美術部だった。
絵や彫刻、陶芸、版画など、一通り学びはしたが、どれもそこそこの出来栄えで、お世辞にも才能があるとは言えなかった。
人生の早い段階でそれを自覚した為、一般大学を受験し美術は趣味でやろうと決めていた。
そして入学後、念願の美術サークルに入ってみると、私と同じように才能は無いけれど純粋に楽しみたい人がかなり居た。
真尋先輩もそのタイプで、才気煥発な一部の学生への嫉妬を隠すことなく、堂々と〝ヘタの横好き〟を自認している。
そんな彼が、嫉妬心すら忘れて惚れ込み、半ば強引にサークルに連れて来たのが、水沢雅也だった。
掘り出し物を見つけた!と放課後にわざわざ私を呼び出すほどの興奮だった。
雅也は心の赴くままに絵を描く。
細やかな筆致と、一度見たら忘れられないくらい鮮烈な色使い。
観るものすべてを虜にする、説得力のある絵を産む男だった。
気分にムラがあり、描かない時は1ヶ月以上キャンバスに触れないが、描く時は講義すら忘れて一心不乱に描いている。
私が雅也と出会った時は、彼が自分の世界に没頭している最中だった。
彼は自分を紹介する先輩の声だけではなく、周囲すべての音をシャットアウトし、ただ筆を動かしていた。
つけまつげ並みに毛量の多いまつげがゆったりと影を作るところ、綺麗に通った鼻筋、緩やかに波打つ天然パーマの黒髪、何もかもに心を奪われ、私は生まれて初めて恋に落ちた。
「……どちら様?」
ひと段落つき、自分の真横に人がいることに気づいた雅也のあの時の顔は、一生忘れない。
「藤沢楓です。一年で、文学部の英文学科」
「水沢雅也です。俺も文学部だよ。フランス文学科」
「あの、もし良かったら連絡先教えてください」
恋に落ちた自覚がないまま、普段なら言わないようなことを口走る。
断られたらどうしようという発想は無かった。
そんなもしもを考える余裕など無いくらいに、雅也に繋がるものが欲しかった。
だからか、なんの抵抗もなく「インスタとLINEどっち教えたら良い?」と聞かれた時には、安心感から力が抜けそうになった。