白い嘘と黒い真実
「……紗耶」
扉を開けて真っ先に視界に飛び込んだのは、黒いパーカーとジーパン姿の紗耶で、向こうはこちらの存在に気付くと、虚な目で私をじっと見つめてきた。
薄暗くて顔色がよく分からないけど、覇気の無い表情を見る限りだと体調はあまり良好ではなさそうで、よく見ると目の下にクマも出来ているような気がする。
「真子……あの時突き飛ばしてごめん。本気じゃなかったの。真子が消えればいいって本気でそう思っていたわけじゃないの。だから、それだけは分かって欲しくて……」
私が口を開くよりも先に紗耶はこちらへと近寄ってきて、目に涙を浮かべながら体を小刻みに震わせる。
「それなのに、真子に会うのが怖くて、これまでずっと逃げてたの。でも、これ以上先延ばしにするのも耐えられなくなって。だから、ちゃんと謝らなきゃって……。本当にごめんなさい」
それから、次第に溜まっていた涙は一気に溢れ出して、地面に水滴をいくつも落としながら、紗耶は私に対して深々と頭を下げた。
これまでずっと待ち望んでいた言葉。
もうこれだけで、今まで抱えていた切なさや、寂しさや、絶望感が和らいで、希望が見えてくる。
怒りや悔しさが全くないと言ったら嘘になるけど、それでもこの言葉を聞けたのなら、もうそれで良かった。
本当につくづく自分は単純な人間だと思うけど、私にとっては賠償とかそんなものよりも、一番欲しかったのは彼女の“真意”だったから……。
「もういいよ。紗耶の気持ちはよく分かったから。それより今何処にいるの?もしかして、まだ高坂部長の家?」
そして、もう一つ確かめたいことに、私は神妙な面持ちになって彼女の方へと一歩詰め寄る。
「……うん。別れ話をされた後一旦自宅に戻ったけど、社レクでの出来事を正直に話したら、暫く落ち着くまで家に居ていいって言われて……」
やっぱり、高坂部長は私達の事情を知っている。
そうなると、裏で支持していたのは彼である可能性が大いに高まってきて、そんな人の側に紗耶を置いておくのは危険だ。
「ねえ、紗耶。明日にでも早く自宅に戻って。高坂部長に近づいちゃダメ。何ならこれから私の家に泊まってもいいから」
これで完全に彼が黒だと決定付けられた以上、兎に角彼女の身の安全を確保したくて、何とか彼から引き離せないかと思考を巡らす。
「どうしたの急に?彼に何かあるの?」
そんな切羽詰まった私に狼狽える紗耶の問いかけに、私は一瞬言葉が詰まった。
彼女に真実を伝えたら、おそらく相当ショックが大きいと思う。
けど、伝えなければ。紗耶自身にも危機感を持ってもらわないと万が一のことがあるかもしれない。
最悪の事態だけは避けたいので、私は躊躇いながらも彼女にこれまでの事を全て打ち明ける覚悟を決めて、生唾を飲み込む。
「……紗耶、あのね。高坂部長は……」
「俺がどうしたの?」
その時、口を開いたのとほぼ同じタイミングで、背後から彼の声が聞こえ、私の肩は大きく震えた。
「こ、高坂部長?何故ここに?出張中じゃなかったんですか?」
恐る恐る後ろを振り向くと、そこにはいつもの柔らかい笑みを浮かべながら、高坂部長がスーツ姿で立っている。
確か部下の人から泊まりがけの出張だと聞いていたのに、何故今彼がここにいるのか分からない。
「前倒しで戻ってきたんだ。それより、何だかやけに警戒されているのは俺の気のせいかな?」
すると、そんな私の様子を楽しむかのように、うっすらと目を開いてほくそ笑む彼の表情からは闇深いものが感じ取られ、思わず身震いがした。
「真子なんか様子が変だよ?そもそも、この場を設けてくれたのは彼の計らいでもあるんだから。私が迷っていたら背中を押してくれて、人目を避けて真子とゆっくり話すならここがいいって……」
「それなら、高坂部長の家でも良かったじゃん!何でわざわざ会社の敷地内なの!?おかしいでしょ!?」
この場所を選んだのが彼女じゃないと分かった瞬間、一気に危機感が湧いてきた私は、きょとんとする紗耶の反応に若干の苛立ちを感じて思わず声を荒げてしまう。