世界樹の下で君に祈る
第7話
「ルディにしては、新鮮な反応じゃない? 怒ってるのかと思った」
「当然怒ってますわよ! 無理矢理奥庭に連れて行かれたし」
平気な顔して陽気にしゃべるあの人の腕の中に、さっきまでいたなんて信じられない。
触れられた感触の残る髪に自分の手を這わせる。
早くそれを忘れてしまいたい。
リンダはテーブルに並んだ一口大のラルトベリーのタルトを口へ放り込んだ。
「ま、気にしないことね。どうせすぐいなくなる人なんだもの。今日のエマさまのお茶会が終わったら、明日にでも帰国なさるだろうし」
「でしょうね。レランドはここからとても遠い国だもの」
そう答えた瞬間、彼にささやかれた言葉が鮮やかに蘇る。
次に会う約束をしたいと言った彼への返事を、そのまま放っておいていいのだろうか。
少なくとも彼は一国の第一王子であり、正式な招待を受けてやって来た大切なお客さまだ。
そして私はホスト役を務めるこの国の、王女でもある。
「ねぇ、リンダ。約束したことをなかったことにするのって、よろしくない気がしませんこと?」
「そりゃあね。リシャールさまと、何か約束でもしたの?」
「してはいないけど、約束をしようという話をしていたの」
「ん? じゃあそれはまだ、約束するまでには至ってないってこと?」
「それでも、約束は約束だわ」
たとえそれがどんなに小さなものだとしても、王女として、ホストとして、なかったことにしてしまうわけにはいかない。
日はすっかり傾き始めていた。
お茶会は城内の広間に場所を移し、食事が振る舞われる。
彼の席は私とはずっと遠くに離れていて、話すどころか近寄ることさえ難しかった。
ちゃんと「次に会う約束はしない」という返事をしておかないと、お姉さまやマートンにまた迷惑をかけてしまうかもしれない。
食事も終わり自由歓談となった時、私は大広間に彼の姿を探した。
お酒も出され、歌や踊りを披露する劇団員まで登場し、会場は大変な賑わいを見せている。
昼間より一層華やかになった会場をいくら探しても、誰より目立っていた紅い髪は見当たらなかった。
もしかして、もう部屋にお戻りになられた?
そうだとしたら、本当に二度と会う機会もないだろう。
それならそれで構わない。
願ってもないことだ。
話さなくていい。
助かった。
だけどこのままうやむやにしておくのも、気分が落ち着かない。
やはりもう一度会ってはっきりお断りしておかないと、後々まで引きずりたくもない。
柱のかげ、カーテンの裏。
どれだけ会場を探しても見つからないのなら、外で休憩しているのかもしれない。
雑踏をかき分け広間を抜け出し、テラスから身を乗り出すようにして夜の闇に満ちた庭園を見下ろす。
目を凝らし、じっと探した植物園の小さな外灯の下に、ようやく紅い髪を見つけた。
「いましたわ!」
よかった。
これでちゃんとお断りできる。
最後にもう二度とお会いすることはありませんと、伝えられる。
階段をすべるように駆け下り、急いで奥庭へ向かった。
もう二度と会わないのだから、ここではっきりとお断りしておかないと。
人の気配など全くない庭園の、大木の陰で呼吸を整える。
走ることで乱れた髪とスカートの裾を丁寧に直してから、彼のいた外灯付近に近づいた。
見つかったらどうしようという思いと、彼の方から見つけてほしい、気づいてほしいという気持ちが交錯する。
「てかさ、リシャールって女に本気だしたら、あんな風になるんだ」
「ふざけるな。勘弁してくれ」
どこからか、高らかな笑い声が聞こえる。
私は足音を忍ばせ、こっそりとそこへ近づいた。
「俺がどれだけ苦労してるか、知ってるくせに」
「あはは。ここでのお前を城の連中が見たら、びっくりするだろうな」
「やめろ。マジでやめろ……」
「俺は悪くないと思うけどね? そういうリシャールも」
昼間はキッチリとしめていた上着の前を開け、だらりと地面に寝転がっていた。
彼はその態勢のまま紅い前髪を勢いよくかき上げる。
「てか、あのエマさまは相当手強いぞ。こんなやり方で、本当に上手くいくのか?」
「だけど、他に方法はないって……」
「まぁ、そういう結論には確かになるんだけどさ。俺ばっか損してないか」
「それを役得と思えよ。いい話じゃないか」
リシャールは深いため息をつくと、ごろりと寝返りをうった。
「だけどあの姫さん、本当に俺なんかになびくのか?」
「俺たちのバックアップ態勢を信じろ! お前のその顔と演技力があればいける! なんのために無駄に顔良く血統良く生まれ、完璧な礼儀作法まで身につけてきたんだ。王子さまだろ!」
「エマさま、彼氏いたし」
「そんなことは百も承知で来てんだよ! 彼氏がいることは、想定内だ! それでもこれはお前じゃなきゃ、出来ない仕事なんだろ?」
リシャールが心底うんざりしたようなため息をつくのを、従者が励ます。
「大丈夫だ。相手は伯爵クラスで、こっちは王子なんだから」
「そういう問題か?」
「弱気になるなよ、リシャール。俺たちに課せられた最大の使命は、世界樹を守る聖女を国に連れ帰ることだ。エマさまがダメなら、他の誰だっていい。とにかく能力の高い聖女をお前に惚れさせ、自分からレランドに来たいと言わせないことには……」
「きゃあ!」
突然首筋に張り付いた何かに、思わず声を上げる。
「当然怒ってますわよ! 無理矢理奥庭に連れて行かれたし」
平気な顔して陽気にしゃべるあの人の腕の中に、さっきまでいたなんて信じられない。
触れられた感触の残る髪に自分の手を這わせる。
早くそれを忘れてしまいたい。
リンダはテーブルに並んだ一口大のラルトベリーのタルトを口へ放り込んだ。
「ま、気にしないことね。どうせすぐいなくなる人なんだもの。今日のエマさまのお茶会が終わったら、明日にでも帰国なさるだろうし」
「でしょうね。レランドはここからとても遠い国だもの」
そう答えた瞬間、彼にささやかれた言葉が鮮やかに蘇る。
次に会う約束をしたいと言った彼への返事を、そのまま放っておいていいのだろうか。
少なくとも彼は一国の第一王子であり、正式な招待を受けてやって来た大切なお客さまだ。
そして私はホスト役を務めるこの国の、王女でもある。
「ねぇ、リンダ。約束したことをなかったことにするのって、よろしくない気がしませんこと?」
「そりゃあね。リシャールさまと、何か約束でもしたの?」
「してはいないけど、約束をしようという話をしていたの」
「ん? じゃあそれはまだ、約束するまでには至ってないってこと?」
「それでも、約束は約束だわ」
たとえそれがどんなに小さなものだとしても、王女として、ホストとして、なかったことにしてしまうわけにはいかない。
日はすっかり傾き始めていた。
お茶会は城内の広間に場所を移し、食事が振る舞われる。
彼の席は私とはずっと遠くに離れていて、話すどころか近寄ることさえ難しかった。
ちゃんと「次に会う約束はしない」という返事をしておかないと、お姉さまやマートンにまた迷惑をかけてしまうかもしれない。
食事も終わり自由歓談となった時、私は大広間に彼の姿を探した。
お酒も出され、歌や踊りを披露する劇団員まで登場し、会場は大変な賑わいを見せている。
昼間より一層華やかになった会場をいくら探しても、誰より目立っていた紅い髪は見当たらなかった。
もしかして、もう部屋にお戻りになられた?
そうだとしたら、本当に二度と会う機会もないだろう。
それならそれで構わない。
願ってもないことだ。
話さなくていい。
助かった。
だけどこのままうやむやにしておくのも、気分が落ち着かない。
やはりもう一度会ってはっきりお断りしておかないと、後々まで引きずりたくもない。
柱のかげ、カーテンの裏。
どれだけ会場を探しても見つからないのなら、外で休憩しているのかもしれない。
雑踏をかき分け広間を抜け出し、テラスから身を乗り出すようにして夜の闇に満ちた庭園を見下ろす。
目を凝らし、じっと探した植物園の小さな外灯の下に、ようやく紅い髪を見つけた。
「いましたわ!」
よかった。
これでちゃんとお断りできる。
最後にもう二度とお会いすることはありませんと、伝えられる。
階段をすべるように駆け下り、急いで奥庭へ向かった。
もう二度と会わないのだから、ここではっきりとお断りしておかないと。
人の気配など全くない庭園の、大木の陰で呼吸を整える。
走ることで乱れた髪とスカートの裾を丁寧に直してから、彼のいた外灯付近に近づいた。
見つかったらどうしようという思いと、彼の方から見つけてほしい、気づいてほしいという気持ちが交錯する。
「てかさ、リシャールって女に本気だしたら、あんな風になるんだ」
「ふざけるな。勘弁してくれ」
どこからか、高らかな笑い声が聞こえる。
私は足音を忍ばせ、こっそりとそこへ近づいた。
「俺がどれだけ苦労してるか、知ってるくせに」
「あはは。ここでのお前を城の連中が見たら、びっくりするだろうな」
「やめろ。マジでやめろ……」
「俺は悪くないと思うけどね? そういうリシャールも」
昼間はキッチリとしめていた上着の前を開け、だらりと地面に寝転がっていた。
彼はその態勢のまま紅い前髪を勢いよくかき上げる。
「てか、あのエマさまは相当手強いぞ。こんなやり方で、本当に上手くいくのか?」
「だけど、他に方法はないって……」
「まぁ、そういう結論には確かになるんだけどさ。俺ばっか損してないか」
「それを役得と思えよ。いい話じゃないか」
リシャールは深いため息をつくと、ごろりと寝返りをうった。
「だけどあの姫さん、本当に俺なんかになびくのか?」
「俺たちのバックアップ態勢を信じろ! お前のその顔と演技力があればいける! なんのために無駄に顔良く血統良く生まれ、完璧な礼儀作法まで身につけてきたんだ。王子さまだろ!」
「エマさま、彼氏いたし」
「そんなことは百も承知で来てんだよ! 彼氏がいることは、想定内だ! それでもこれはお前じゃなきゃ、出来ない仕事なんだろ?」
リシャールが心底うんざりしたようなため息をつくのを、従者が励ます。
「大丈夫だ。相手は伯爵クラスで、こっちは王子なんだから」
「そういう問題か?」
「弱気になるなよ、リシャール。俺たちに課せられた最大の使命は、世界樹を守る聖女を国に連れ帰ることだ。エマさまがダメなら、他の誰だっていい。とにかく能力の高い聖女をお前に惚れさせ、自分からレランドに来たいと言わせないことには……」
「きゃあ!」
突然首筋に張り付いた何かに、思わず声を上げる。