溺愛社長とお菓子のような甘い恋を
6.キスと元カレ
休み明けは憂鬱。誰だって仕事に行く足取りは重くなるもんだ。
でも、私は特に今回は休み明けだからという理由だけではないことはわかっている。
でも。
「……休むわけにはいかないよね」
ため息をついた後、ベッドから勢いをつけて起き上がった。勢いをなくすと、会社に行けなくなりそうだった。
ふと机に飾ったグラスに目が留まる。朝日を浴びてキラキラしてる。
社長にもらったグラス。綺麗だから飾ったけど、見るたびに胸が苦しくなる。
キュンとしてしまう。
そして、あの日のキスを思い出してしまうのだ。
「あぁしっかりしろ、花澄!」
頬を叩いて気負いを入れると、勢いつけたままシャワーを浴びて朝食を食べて出社した。
そうして自分のデスクに着いた時には少し息切れがしていた。
「おはよう。どうした?」
給湯室から通りかかった社長が驚いた顔をしている。
「お、おはようございます。いえ、ちょっと急いだものですから……」
そう返したものの、なんとなく目が合わせづらい。
「そんな慌てなくても良いだろう。まぁ、でもちょうど良かった。来月のイベント、来場者の手土産の量と試食用、もう少し増やした方がいいって担当に伝えて」
「承知しました。あ、社長、これ今日のスケジュールです」
私は手早く担当者にその旨、社内メールで伝える。
メールを打ちながら、今日の予定を確認する社長を横目でちらっと見た。
良かった、いつも通りみたい。
顔を合わせたときは緊張したけど、それが顔に出なかったようでホッとした。
きっとあのキスは、あの場の雰囲気とかノリ的なものだったのだろう。
それか、社長にとってはあんな軽いキスなんて外人がやるのと同じで、挨拶みたいなもので大したことないと思っているのかもしれない。
ほら、外人が頬にチュッてするやつ。
それに社長にとってはあの程度はいつものことなのかも……。
あれ……? なんか……。
「それは嫌だな……」
ぼそっと呟くと社長が振り返った。
「ん? 何か言ったか?」
「いえ。広報に社長の記事を渡しに行ってきます」
サッと笑顔を作って席を離れる。社長は気にした様子がない。
私一人だけ、気にしているんだ。
あぁ、もうつまりはそういうことだよね。理由はわかっている。
休みの間、ずっと考えていたし自覚はしていた。
……私が社長に惹かれているからなんだろうな。
思いを自覚したところで、だからといって、特に何かあるわけではなくいつも通りの時が過ぎて行った。
社長とはお互い、あのキスのことには触れていない。
まるで、何事もなかったかのように仕事をして、休憩時には甘いお菓子を食べて談笑して……。
本当に、今まで通りなのだ。
それがある意味、不自然にも感じてしまうほどに……。
そして気が付けば秋の気配も高まり、明日はイベント当日である。
「午後からは明日の会場見学が入っています」
朝のスケジュールと最終決定した会場の見取り図を渡すと、神野社長は「うん」と頷きながらも難しい顔をしている。
「どうされましたか?」
「ホテル側から聞いた話だが……。明日のイベント、隣の会場で別の会社が創立50周年のパーティーを開くらしい」
「そうなんですか? 困りましたね、来場者が混乱しなければいいですが」
「開始時間や、そもそもの規模が違うからそこは心配ないだろう。ホテル側もブッキングの謝罪と来場者には十分に注意を払って進めると連絡してくれた。だが、一点……」
社長は自分のデスクに肘をついて手を組み、目の前に立つ私をじっと見上げる。
「その会社はイイジマ文具。大園、前職はそこに勤めていただろう?」
「あ……」
そう聞かれて、私は顔をしかめる。
確かに、ここに来る前はそこに勤めていた。
苦い記憶がよみがえる。
「元カレ、専務の娘と結婚するんだよな?」
「……はい」
頭を抱えたくなった。
社長の言わんとすることが分かった。
創立パーティーは一部の人間しか出席しないだろうから、規模自体は小さいけれど、元カレ……生島さんは専務の娘と結婚をする。
ということは、確実にパーティーには出るということだ。
「気をつけろよ」
「はい……」
社長、私のことを気にかけてくれたんだ。
会いたくもない元カレと、ばったり顔を合わせてしまうかもしれないという懸念を感じて教えてくれたのだろう。
正直、私だって会いたくはない。
あれから連絡はないけど、会ったところで不愉快な思いをするだけだ。
生島さん以外の知り合いに会って、そこから話が伝わるのも嫌だな。
どのみち、明日は会場の外をなるべくうろうろしないに限るだろう。
そしてふっと疑問が湧き出る。
「あれ? 社長、元カレが専務の娘と結婚したってどうして知っているんですか?」
「お前が、初めて会った時にあのバーでそう言っていたんだよ。私と結婚すると思っていたのに、専務の娘と二股してあっちと結婚した! って」
「あ~……、そうでしたっけ?」
記憶をたどる。
そういえば、言ったような気もしなくはない……。
しかし、なにせお酒が入っていたから確実ではないが、あの時は荒れていて社長に八つ当たりまがいな言動もしていたから、どこまで言ったか記憶になかった。
あの時は、なんでもかんでも自分のこと暴露していたらしい。
「……新しい恋は……」
「え?」
「いや、何でもない」
記憶を辿っていて、社長の呟きがうまく聞き取れなかった。
鯉がどうのって言っていたような?
「鯉なら中庭にいますよ。会場から見えると思います」
社長の持っている見取り図を指さす。ホテルの中庭に大きな池があった。景観ならバッチリだ。
「え? あ……、アハハ。そうだな」
社長は可笑しそうにケラケラと笑った。