溺愛社長とお菓子のような甘い恋を
10.会長からの圧力
「海斗はいるか?」
午後の仕事が始まると社長室に突然、初老の男性が入ってきた。
背が高く、がっちりした体形で顔立ちが整っている。
この人は……!
私は思わずギョッとした。
現れたその人は、海斗さんの父親で神野フーズ会長、神野忠だ。
「親父!? どうした?」
海斗さんも驚いてパソコンから顔を上げる。
今まで会長が社長室に出入りすることはほぼなかった。一昨年、体調を崩してから経営は全て海斗さんに任されていたからだ。
相談役として会長職にはついているから先日の横領事件でも、役員会、株主総会には顔を出してはいたが、ほとんどは海斗さんが指示だししている。
私も顔を合わせれば挨拶をしたくらいだった。
なんで会長がここに?
疑問に思いつつ、その会長がソファーに座ったので慌ててお茶を入れに行く。
会長が来るなんて、急にどうしたんだろう……。また何かあったのかな?
なんだか嫌な予感に胸がザワザワする。
「親父、どうしたんだよ。急に」
海斗さんも会長の訪問に驚きを隠せないでいた。会長は口角を上げて息子である海斗さんを見る。
「お前、この前の横領事件はどう思っている?」
「え? それはもちろん俺の管理不足だとは思っているけど……」
「うむ、そうだな」
会長は腕を組んでうんうんと頷いている。海斗さんはそんな会長を軽く睨んだ。
「そもそも、竹田の横領は親父の代から行っていたことだ。親父がもっと早く気が付いて対処していれば……」
「そこは悪かったと思っているよ」
「……絶対思っていないだろう」
会長の軽い口調に、海斗さんは疲れたようにはーっとため息をついてソファーに寄りかかった。
「で? 何しに来たんだよ。俺も暇じゃないんだけど」
「そう言うな。お前にお見合い話を持ってきたんだから」
「なんだ、そんなこと……、今なんて言った?」
一瞬流しそうになった会長の言葉に、海斗さんが体を起こす。
ちょうどお茶を出していた私も、思わずこぼしそうになった。
え? 今なんて……。
「お見合い?」
「そうだ。海斗、お前にはお見合いをしてもらうぞ」
にんまり笑う会長に海斗さんが手で待ったをかける。
「ちょっと待て。俺はお見合いなんてしないぞ」
「なんでだ?」
そう聞かれて、一瞬言葉に詰まって私をチラッとみる。
そして、はっきりと言った。
「恋人がいるからだ」
「……この子か」
会長は私を振り返り、じっと見てから呟いた。海斗さんの視線で、私だと気が付いたのだろう。
圧のある目に固まってしまう。
「そうだ。大園と付き合っている。だからお見合いなどできない」
「大園さんはどこかのご令嬢なのかな?」
会長は優しく問いかけるが、探りを入れるような目線にたじろぐ。
「いえ……、普通の家庭ですが……」
消え入りそうな呟きに、会長は頷いた。
「そうか。では残念ながら、別れてもらおう」
「親父!」
会長の言葉に海斗さんが鋭く制止する。私は自分から血の気が引くのが分かった。
海斗さんと別れる?
私は唖然とし、海斗さんは会長を睨みつけた。
「いい加減にしろよ。俺は別れない」
「海斗、お前は自分の立場をわかっているのか? この神野フーズを背負ってこの先何十年とやっていくんだ」
「わかっているよ」
「では、その神野フーズにふさわしい嫁が必要だということもわかるだろう」
‘ふさわしい嫁’
その言葉は私の心にナイフのように刺さった。
会長の言いたいことはわかる。
世界的企業にまで成長した神野フーズには、一般家庭の女ではなく、神野フーズに釣り合うような良家の令嬢などがふさわしいと。
でも……。
私は青ざめながらスカートをギュッと握る。
海斗さんは苛立ちを隠さないで、会長に吐き捨てるように言った。
「必要ない。この会社は俺が運営しているんだ。嫁なんて関係ないだろう!?」
「お前は何もわかっていないな。これを見ろ」
会長はテーブルに台紙を広げた。中には写真が入っており、色白で小柄な可愛い女性が移っている。お見合い写真だ。
「彼女は横川真理愛さん。歳は23歳だからお前とちょうど10歳違うな。彼女はあの横川ホールディングズの次女だ」
「横川ホールディングズって……、あの?」
「あぁ、財閥の流れをくむ世界的企業だ」
そんな凄いところのお嬢さんとお見合いなんて……。
確かに私とは家柄も何もかもが違う。
「先日の横領事件が世間であまり大ごとにならなかったのは、この横川ホールディングズが支援してくれたからだ」
会長の言葉に海斗さんが額を抑えて俯く。
「なんで勝手なことをっ……」
「私が支援を申し出たんじゃない。私と横川は旧知の中でね。うちの状況を知って、あちらが勝手に……と言っては聞こえが悪いが、手を貸してくれたんだ」
「その条件がお見合いだっていうのか?」
海斗さんの怒りを含めた声に、会長は首を振る。
「お見合いは話の流れだ」
「ふざけるな! 支援とお見合いは関係ないじゃねーか。そもそも勝手なことするなよ!」
海斗さんの口調が荒く、きついものになる。
しかし会長は顔色一つ変えない。
「お前は本当に何もわかっていない。私が言いたいのは、婚家も我が家にふさわしい相手の方が、ゆくゆくは利用価値があるということだ」
「利用価値で結婚なんかしない」
海斗さんのきっぱりとしたいい方に、会長はやれやれと首を振る。
「海斗。会社を第一に考えろ。お前には何万人という社員の人生がかかっている。それを考えたとき、何が一番最善なのかが分かるはずだ」
言うだけ言うと、会長は「よいしょ」と席を立って入口へ向かう。
私は震えそうな手を抑え、扉を開けた。会長は足を止めてそんな私を見下ろした。
「大園さん。君なら私の言いたいことが分かるよね?」
「……会長、私は……」
「また、ゆっくり話そう」
会長は微笑んで部屋を出て行った。パタンと扉が閉まる音が部屋に響く。
部屋には重い空気が流れていた。
「花澄、あんな奴の言うことなんて気にしなくていいからな」
海斗さんはため息をつきながら立ち上がる。
気にしなくていいだなんて言われても……。
「海斗さん……、でも……」
どうしたらいいんだろう。
言葉にならない不安に唇をかむと、海斗さんが私を抱きしめてきた。
「心配するな。俺は花澄と別れるつもりは微塵もない」
「でも会長が……」
「親父のことは俺が何とかする。大丈夫だから、な?」
「はい……」
安心させるようにギュッと抱きしめられた。