恋をしているのは内緒~報われないと知っているから~
 仕事を終えてオフィスビルを出ると、夏の生ぬるい風が頬を撫でた。
 今日は朝から雲ひとつなくカンカン照りだったので、夜になっても気温が下がらず蒸し暑い。
 このあと寄りたい場所があるから汗臭くなるのは嫌だなと気にしつつ、私はバッグを肩に掛け直して駅に向かった。

 電車に乗って三駅目で降りて改札を抜ける。
 裏通りのほうへ進み、駅から五分ほど離れた場所に目当ての店を見つけた私は入店する前にバッグからスマホを取り出した。
 待ち合わせていた友人の美穂(みほ)もそろそろ着くころかと思い、電話をかけようとしたが先にメッセージが来ていることに気がついた。
 
『仕事でトラブル発生。残業になっちゃった。今日は行けそうにないよ。ごめん!』

 今夜は美穂が最近利用して気に入ったというダイニングバーにふたりで訪れる約束をしていたのだ。
 洗練された雰囲気のバーで、フードメニューも豊富でおいしいのだとか。
 だけど、肝心の美穂が来られなくなってしまった。
 とりあえず美穂には『わかった。また次の機会に』と返事をしたが、すでに店の前まで来ているとは言えず、どうしたものかと立ち尽くす。

 こぢんまりしたバーではないと美穂から聞いていたとおりで、活気のある店なのは外から見ただけでもわかる。
 ここまで来たのだから様子見に一杯だけお酒を飲んで帰ろうと、私はひとりで店の中に入ってみることにした。

 店内は右側にカウンター席が奥へずらりと並び、左側にはテーブル席が十席ほど設けられている。
 ムードを高めるために照明が薄暗く落とされているものの、若い男女がたくさん来店して談笑しているからか、カジュアルなバーといった印象を受けた。
 私はおひとりさまなので出入口に近いカウンター席へ案内され、スタッフからメニュー表を差し出される。
 お酒はスタンダードなものから少し変わったものまで揃っているし、たしかにフードメニューも写真を見る限り全部おいしそうだ。
 どれをオーダーしようかと迷いながらメニューを眺めていると、四席ほど離れた奥のカウンター席のほうからひときわ大きな声が聞こえてきた。

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