ゴーストと呼ばれた地味な令嬢は逆行して悪女となって派手に返り咲く〜クロエは振り子を二度揺らす〜
「火事だ!!」
そのときだった。にわかに男の叫び声がした。
薄れゆく意識で、ぼんやりと声のほうに目を向けると、庭師たちが血相を変えてこちらを見ていた。
「早く消火をっ! 水っ!!」
「こっちだ!」
「バケツは!?」
一瞬で、あたりが慌ただしく動き始める。彼らはすぐに本邸に連絡をして、屋敷中の従者たちが集まり、消火活動にあたった。
彼らの見事な連携で、火はやがて消え去った。
これで助かった……と、クロエはほっと胸を撫で下ろす。
少なくとも焼け死ぬことは免れたのだ。あとは、挟まった脚を抜き出すだけだ。
「お願い……」煙で喉を痛めた彼女が掠れた声を上げた。「什器に脚が挟まって動けないの……。助けてくれない?」
「…………」
「…………」
「…………」
たしかに、聞こえたはずだった。
しかし、従者たちは声の主に目さえ向けない。
「助けて! お願い!」
クロエは削られた体力を振り絞って、今度こそと大声を上げるが、彼らには届かなかった。
「私は旦那様に報告して参りますね」
一拍して、執事の一人が口火を切る。
それを皮切りに、
「わしは被害の確認を」
「わたしは奥様とお嬢様のもとへ」
「さぁ、夕食の仕込みの続きをしなければ」
屋敷の使用人たちは、それぞれの仕事へ散り散りに向かっていった。
「待って! お願いします! 助けてくださいっ!!」
クロエの腹の底からの懇願は届かなかった。
彼女一人が残されて、倉庫はしんと静まり返った。
孤独……。
孤独が彼女を八つ裂きにする……。
ユリウスと出会ってから、浮かれていた。目の前のむごい現実から逃げられた気がした。
でも……自分は、人から認識されない「ゴースト」だったのだ。誰も自分のことなんて、見えない。
ここでは、自分の存在なんて、端っから無かったのだ。
(私は………………)
涙が止まらなかった。