ゴーストと呼ばれた地味な令嬢は逆行して悪女となって派手に返り咲く〜クロエは振り子を二度揺らす〜
そのとき、入り口から微かに物音がした。
薄暗い先に目を凝らす。出し抜けに黒い影がすっと現れたかと思ったら、スコットの前で立ち止まった。
「ジョン・スミス男爵令息……?」
意外な人物に、彼は目を丸くする。
厳重に警備された王宮の地下牢に、なぜ地方の男爵令息が潜り込めたのだろうか。たしか、ジェンナー家が調査した限りでは、彼は本当に凡庸な田舎貴族だったはずだが……。
「やぁ、公爵令息。調子はどうだ? その様子だと、相当参っているようだな」と、男爵令息は口の端を上げて不気味に笑った。
「な、なぜ……君がここに……?」
「なぜって、貴公に会いに来たからに決まっているだろう?」
「どっ――」スコットは矢庭に気色ばむ。「どういうことだ!? それに、君の態度はいささか無礼じゃないか? 僕は公爵家の者だぞ」
「あぁ、そうか。俺はそういう設定だものな」
目の前の令息は、おもむろに懐から懐中時計を取り出した。そして、そっとスコットの眼前に持っていく。
それは、暗闇でもきらりと輝く金細工の、吸い込まれるような精緻な模様は――……、
「キンバリー帝国……」
スコットは思わず息を呑んだ。蓋に彫られた紋章は間違いなく、大陸で最大の勢力を誇るキンバリー帝国の犬鷲だったのだ。
「俺の本当の名前はローレンス・ユリウス・キンバリーだ」と、彼はにやりと笑った。
「っ……!」
スコットは硬直する。額から汗が滲み出て、ぴりりと皮膚がつった。
その高貴な名前は、少し前に聞いたばかりだ。それは、己の婚約者であるクロエ・パリステラに求婚したという帝国の第三皇子……。
「ま、まさか……」彼は絞り出すように声を出す。「クロエを、奪いに……?」
少しの沈黙。隙間風の音だけが二人の間をかすった。
そして、
「そうかもしれないな」と、皇子は苦笑いをした。
途端に、スコットの顔がぐしゃりと歪んだ。
「じゃ、じゃあっ! 魔石はき――で、殿下が!?」
「さぁ?」皇子は首を傾げる。「もう、そんなこと、どうでもいいじゃないか」
「そんなことって――」
「だって、貴公は既に終わっているのだから」
またもや沈黙が支配する。不穏な気配が闇夜に浮かんだ。
「それは……どういうこと、ですか?」
スコットは無礼だと承知で帝国の皇子を睨め付ける。
やっと腑に落ちた。薄々感じていた、これまでの疑惑の答えが見つかった。
クロエとローレンス殿下は共謀していたのだ。二人で、自分とコートニー嬢を陥れようと……でも、なんのために?
ぞくり、と背中に悪寒が走った。
この二人は……愛し合っているのか…………?