ゴーストと呼ばれた地味な令嬢は逆行して悪女となって派手に返り咲く〜クロエは振り子を二度揺らす〜
クロエは、一つ、魔法をかけた。
時間という牢獄に閉じ込める魔法を。
二人の肉体の時間は永遠に止まってしまった。しかし、彼女たちの意識は今も続く。
母娘は、肉体は静止したまま、内なる精神はずっと生き続けるのだ。
でも、彼女らの声が外に届くことはない。傍から見たら、ただの人形のように、動くことも喋ることもないのだ。二人の意思なんて、誰にも分からない。
「おや、夜行蝶が」
ちらり、ちらり、と蝶々が集まって来た。きっと蜜の香りに惹かれたのだろう。はじめは数匹、そして徐々に増えていく。夜行蝶の翅は淡い光に反射してオパールみたいに七色に煌めいて、とても幻想的な光景だった。
「美しい……」
伯爵令息は恍惚とした表情を浮かべて、ため息をつく。
「そうですね」と、クロエは微苦笑する。きっと今頃は、母娘は自分に向けて罵詈雑言を放っているのかと思うとおかしくなったのだ。
「まさか闇魔法でこのような壮麗な光景を拝めるとは……! さすが聖女様!」
「恐れ入りますわ」
『ひいぃぃぃぃぃっ!!』
『嫌っ! 来ないでっ!』
夜行蝶の細い脚がそろそろと表皮を進んで、ぞくりと背筋が凍る。
『嫌! 気持ち悪い!!』
『あたし、虫ダメなの~! 本当にやめてっ!』
すぐにでも手を振って蝶を払いたいが、どんなに力んでも彼女たちの腕が動くことはなかった。
甘い蜜の香りに誘われて、蝶々の他にも、なにかがやって来ている。露出した皮膚の上を這われて、総毛立った。
(あら、しまったわ……)クロエは困ったように口元に手を当てる。(伯爵令息が闇魔法で使用している毒虫の入った虫かごを誤って持ってきてしまったわ…………)
『ちょっとぉっ! ボサッとしていないで早くここから下ろしなさいよっ!』
『お異母姉様ぁっ! 助けてくださいぃー!!』
二人がいくら懇願しても、金切り声を上げても、クロエには届かなかった。
その間にも、虫はじわじわ増えていく。
『クロエ! 悪かったわ! あたくしが悪かったから! だから、助けて!』
『お異母姉様! なんでもしますから! なんとかしてくださぁいっ!!』
クロエには、なにも聞こえなかった。
静かに鳴く虫の声が綺麗だと思った。
『どうして、さっきから無視をするの!? あたくしの声が聞こえないの!?』
『お異母姉様っ! あたしの話を聞いてっ!! 助けてよ!』
『クロエっ!!』
『お異母姉様っ!!』
『『なんで……なんで、誰も答えてくれないのっっっ!?』』
二人の絶叫も、この世界には存在しない。
深い夜は、これからだ。