幸せでいるための秘密



 桂さんのところへ行くときは、いつも必ずお花を――というわけではないけれど。

 この日も私はお花屋さんに寄って、安い花束を買うことにした。以前贈ったフラワーアレンジメントは、枯れるぎりぎりまであの窓辺で粘り、殺風景な病室をほのかに明るく彩ってくれた。桂さん自身もお花のことを気にかけてくれていたようで、枯れさせない方法はないかとしつこく訊ねられたほどだ。

 一度咲いたお花をそのままにするのは難しい。でも、新しいお花を渡すことで季節の移り変わりを教えてあげることならできる。

「あらあら。ちょっと輪ゴムが緩んじゃってるわ。《《がっと》》締めなおすから」

 いつもの花屋の店員さんから、シンプルだけど可愛らしい花束を受け取る。

 溢れかえる甘い香りを鼻先で堪能しながら、私はすっかり慣れた手つきで病室のドアをノックした。私の訪れを知っているからだろうか、前より穏やかな「どうぞ」の声で部屋へと足を踏み入れる。

「待ってたよ」

 ベッドに腰かけ、足を組んだ桂さんが、やわらかな春の日差しみたいに微笑んだ。

「どうしたの。可愛い格好をして」

「そ、そうですか?」

 ストレートな言葉にはにかみながら、おどけてスカートを広げて見せる。実はこれ、彼氏とのデート用に新調したんです……とは、さすがに言えないけど。

 桂さんは私を手招き、近づいた私のワンピースのスカートを指先でつまんで持ち上げる。ひらひらと揺れる柔らかな白い生地。こんなに優しい目で見つめられると、なんだかちょっと恥ずかしい。

「また花を? まめだね、お前は」

「夏になって、お花のラインナップも変わったみたいなんです。空いたペットボトルとかありますか?」

「あるけど、普通に花瓶を買ってこさせるよ。たぶんそのほうが長持ちするんでしょ」

 花束を受け取った桂さんは、鼻先をおおぶりの花にうずめて目を伏せる。それから思い出したように根元の輪ゴムを外し、百合の花だけを拾い上げた。

「またこれか」

 そういえば前に渡したフラワーアレンジメントにも、大きな百合の花が入っていたっけ。でも桂さんの表情を見た限り、どうやら喜んでいるわけではなさそうだ。

「百合、嫌いですか?」

「別に」

 指先で茎をくるくる弄びながら、桂さんは軽く眉根を寄せる。

「ただ、ちょっと昔を思い出しただけ」
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